前へ次へ
3/8

アートにエールを?

 青井はショックで頭の中が真っ白になった。

 座長の鬼高地(おにこうち)雫流(しずる)は、構うことなく話を続ける。


「まぁ、いい。次の質問だ。演劇をやる上での必須事項。"演劇の聖地"がどこか解るヤツはいるか?」


 あろうことか合格者一同、沈黙してしまった。

 鬼高知にとってこれは由々しき事態だった。

 合格者へ人差し指を向けて責め立てる。


「オイオイオイオイオイオイオイオイ、オイィイーーッ!!? 誰もわかんねぇのかよぉ!?」


 その時、手を挙げて、この修羅場を勇んで切り込んだ役者がいた。


「おう? フェニックス(だい)。答えろ」


(まさる)です! 演劇の聖地は(しも)――――」


「誰が下ネタ言えっていたんだよぉお!? このエロガキがぁあー!!」


「ま、まだ答えてないのにっ!!?」


如月(きさらぎ)(かなで)、答えろ」


「聖地は……そのぉ……わかりません」


「聖地はー……シーモ……キター……」


「下北沢です」


「正解だぁ!」


 青井・春は明らかな違和感を覚えた。


 は? 座長、小さい声で助け船を出したよね?


 青井が周囲の顔を見回すと皆と目線が合い、無言の賛同が得られた。

 

「演劇人目指してんのに、そんなことも知らねぇのか、このド素人ども! 下北沢は数々の演劇人が通って来た、いわば登竜門だ。演劇をやりたいなら、この門をくぐらねぇとならねぇ。だが、その聖地に異変が起きている」


 なんか、ひたすらパワハラみたいな話が続くんだけど?


「街で演劇をやる場所が減っていき、同じ演劇人同士で劇場の奪い合いが起きる。そして、お客さんもひいきにしている劇団の舞台が見れなくなるならと、聖地への足が遠退く――――今、演劇業界はベリーハードモードに突入した。パンデミック前は劇場の入場料は三千円か四千円が相場になっていたが、円相場があかり市場が高騰、チケット代は五千円から七、八千円まで羽上がった」


 い、いきなりこんなこと言われても、まだ演劇をこれから始めようとしてるところなのに、難しい話をされてもなぁ……。


「劇場の貸し切り、衣装代、必要機材、人件費。全ての費用が経済に合わせて金額が上がってんだ。これまでの三千円、四千円のチケット代じゃ、大赤字だ。必然的にチケット代は五千円超えがマストになる。だがなぁ、お前ら、七、八千円払って三十人規模の手狭な劇場へ足を運んでまで、芝居を見たいか?」


 合格者達に動揺が走る。


「ハリウッドの超大作映画ですら二千円で、どこでも見れる上に、3Dだの4DXだのが三千円から四千円で見れるんだぞ? お前らはどっちを見るよ? ワイなら八千円払って、手狭な劇場で生の役者の演技が見れる舞台なんざ、見に行かないね! 映画館のプレミアシートでポップコーンとジュース片手に、スーパーヒーロー映画を大迫力で楽しむけどな」


 舞台関係の人がこんなこと言っていいの?


「今、下北沢は土地開発で街並みが激変している。聖地下北沢に映画館ができたらどうなる? 演劇業界は絶滅だ。実際に昔、下北沢に映画館が作られる計画が持ち上がったが、演劇協会が猛反発して計画は頓挫(とんざ)した。なのに、お前らと来たら、わざわざ劇団の門を叩いて自分から絶滅危惧種になりたいと、頭下げに来てんだぞ? 頭おかしいだろ?」


 青井・春は息を呑み、胃液が自分の内臓を痛め付けるのが感じられた。


「いや、絶滅危惧種は保護する価値があるが、演劇をやりに来たズブの素人なんざ、保護する価値もねぇ。ここに集まった連中は、漏れなくウジ虫だぁ!! 改めて聞く――――劇場に足を運んで金まで払って、芝居を見る価値はなんだ?」


 黙りこくってしまった劇団員の表情を、座長の鬼高知は一人一人睨み付けながら言った。


「いいか、よく聞け? お前らは役者を続ける限り、その命題と死ぬまで向き合わねぇとならねぇんだよ。それが役者人生だ」


 集まった合格者、もとい、演劇のスタートラインに立った役者の卵達は、ここまでの話で、すでに狼狽している。


「よし、まずは舞台公演に向けての目標を立てる。それに当たっての重要(キー・)達成(ゴール・)目標(インジケーター)、略してKGIだ。そのスローガンだが……もう決めてあるぞ?」


 鬼高知は小さなクス玉をどこからともなく取り出した。

 手作り感が否めない、クス玉の紐を引いて割る。


「トゥットゥル~!」


 変な合いの手入れながら。

 中から垂れ下がったのはハガキサイズの垂れ幕。

 青井・春は思わず垂れ幕にかかれていた文字を読んだ。


「アートに……エールを?」


「耳障りの良い題目だろ?」


 座長が勿体ぶって見せつけたソレには 《アートにエールを!》と書かれていた。


 ここまで演劇の現実を突きつけられ、出鼻をくじかれた青井・春の瞳に、微かな光が宿った。


 なんだか凄くイイ!

 夢に向かって青春を突き抜ける感じかして、展望が持てる。


 しかし、座長の鬼高知の唄い文句は、夢とは程遠い内容だった。


「よく聞けよ? 東京都はパンデミックでエンタメ産業が衰退することを危惧し、芸術文化活動支援事業プロジェクトと称して、絵描きや映像事業者、そして演劇団体に助成金を配ることを決定した。そのプロジェクトの名前こそが、『芸術(アート)応援(エール)を!』だ」


 え? 助成金?


「支援される給付額は一団体に二百万円。このプロジェクトに応募すれば給付金が貰える」


 二百万円と言われても、いまいちイメージがつかない。


「し・か・し、それには条件がある。一年以上、プロフェッショナルとして継続していること。そして、ここが重要だ。芸術活動で不特定多数の観客から対価を得ていること……演劇で言えば――――」


 座長はより一層、嫌みな表情を見せながら、役者の卵達に発破をかける。


「舞台公演を成功させることだ。当面の目標は舞台を公演して、東京都から助成金をぶんどる。つまり、ワイらは金の為に演劇をするわけだ」


 か、金の為に演劇をやる?

 そんな、そんなのって無いよ!

 僕は見る人に僕の演技を見て、買えがたい感動を楽しんでほしいから、大学を退学してまで演劇の世界へ入ったのに……これじゃぁ、僕がやりたかった芝居と違う!!

※注意:東京都が推進する【アートにエールを】は、現在、募集を終了しています。

前へ次へ目次