オアシスの町マイヤ
ほどなくして、クラリスさんは完全に意識を取り戻した。
呼吸の乱れも少なく、話したところ前後の記憶もハッキリとしている。
どうやら気を失ってから、それほど時間が経っていなかったようだ。
「……さすがに都合が良過ぎないでござるか? タイミング的に……」
「……言うな。恐らくゲーム的な都合だろう……」
俺とトビがひそひそと話している間、彼女は俺達が渡した水をゴクゴクと飲んでいる。
脱水状態から急速に水を取り込むと危ないと聞くが……彼女はそれほど長時間倒れていたわけではなさそうなので、恐らく大丈夫だろう。
念のために塩も渡しておいたし。
「プハッ、ありがとうございます……ハインド様」
「で、どうしたんですか? こんなところにお一人で」
「それが……」
クラリスさんの話によると、彼女はとあるキャラバンと一緒に砂漠の町へ向かっていたのだそうだ。
しかし、道中でモンスターの大群に襲われてキャラバンは散り散りに。
ラクダに慣れていないクラリスさんは、逃げる途中で落ちて意識を失ってしまったとのこと。
彼女が乗っていたラクダの姿は見えないので、どこかに逃げてしまったのだろう。
「それは災難でしたね」
「気を失っている間に魔物に襲われなくてよかったです。本当にありがとうございました、みなさん」
「気にするな! な、ハインド!」
「ああ、うん。クラリスさんが強運なんでしょう、きっと」
キャラバンを襲ったモンスターは『ホーンヴァイパー』という猛毒を持つ蛇だそうだ。
クラリスさんによると、この辺りでは見ないモンスターらしいのだが……。
「今年はヌシの討伐に失敗したとは聞いていたんですが、まさか群れがヤービルガ砂漠にまで出現するなんて。この分だと、やはり王都ワーハまで行くのは難しいですね……」
お、お、お!? 何やら重要そうな情報がクラリスさんの口からボロボロと。
おかしいな。
NPCには情報制限が掛かっているというのがもっぱらの噂なのに。
到達していない町の名前は教えてくれないのが基本のはずなんだけど――王都ワーハだって?
「ちなみにクラリスさん、ここから一番近い町の名前は?」
「はい? マイヤですよね、オアシスにある。みなさんもそこに向かっていたのではないんですか?」
「お、おお……クラリスさん、ちょっと失礼。俺達は相談することがあるので、少しの間だけそこで寛いでいて下さい」
「え? わ、分かりました……」
ササッと全員がクラリスさんに背を向けて集まる。
今の会話で、既に彼女の特殊性に関しては全員が気が付いている。
まずはリィズがメニューを開いてマップを確認した。
「――彼女から町の名前を聞いた直後、マップにも名前が表示されました。システム的にも、彼女から情報を得るのは正当な行為と認識されているようです」
「……考えられるのは、彼女が長距離を移動するNPCだからというのが一つ。他には、行商人っていう職業が関係している可能性もあるな」
「あともう一つあるぞ! ヤツがハインドに好意を寄せている……つまり、単純に他のNPCよりも好感度が高いという理由だ!」
「ユーミル殿がまともな意見を……!?」
「確かにクラリスさん、ハインド君の名前だけやけに連呼してたね」
余計な発言をしたトビが剣を抜いたユーミルに追いかけられているが、それはともかく。
正解は現段階では不明だが、折角なので色々と訊いておいた方が良いだろうという結論に。
「お待たせしました、クラリスさん。このままマイヤまでお連れしますよ」
「本当ですか! お願いします。近い距離とはいえ、私は戦いが苦手なので」
「じゃあ、俺のラクダを使って下さい。手綱はちゃんと引くんで、乗っているだけで大丈夫ですよ」
「え? でも、それではハインド様が徒歩に……」
「大丈夫ですよ。大した距離じゃありませんから」
「うーん……」
他のメンバーは既に騎乗している。
ラクダには載せるスペースが足りなかったので、彼女の大きなバックパックは俺が代わりに背負った。
クラリスさんの背を押して、ラクダに乗るように手を貸し――
「なら、一緒に乗りましょう! それが良いです!」
「はい?」
そうと決めた彼女はかなり強引且つ弁舌巧みだった。
俺は反論をことごとく封じられ、気が付いたらクラリスさんと一緒にラクダに乗っていた。
おかしいな……不思議と、彼女には口で勝てる気がしない。
それも全くと言っていいほどに。
何がそうさせるのか、俺の前に座ったクラリスさんは安心したように俺に体重を預けてくる。
そしてラクダも、背中の荷物が増えてもこれまでと変わらない動きでしっかりと歩いている。
お前、力持ちだなぁ……。
「これなら進む速度も、それほど落ちませんね!」
「そ、そうっすね……はは……」
怖くて後ろを振り向けない。
ちゃんと四人とも着いてきている気配はあるのだが、先程から誰も話をしている様子がない。
ひたすらに無言。漂ってくる空気が重い。
そういえば、このゲームにはチャットの類が無い。
パーティチャットも、ギルドチャットも、果ては個人チャットすら存在しない。
これは折角のVRなのだから、声を出して直接話して欲しいという開発の意向だそうだ。
なので遠方との連絡手段、及び聞かれたくない会話等は全てメール頼みである。
つまり何が言いたいのかというと……クラリスさんと一緒にラクダに乗った少し後から、メールの着信音が鳴りやまない。
ピロピロピロピロという音で頭が痛くなりそう。
犯人は多分、ユーミルとリィズの二人だと思う。
クラリスさんの好感度を損ねないようにという最低限の配慮は感じるが、その前に俺が参りそう。
綺麗な女性との相乗りという嬉しい状況の筈なのに、何故だか苦痛の比率の方が大きい道中だった。
『オアシスの町マイヤ』というのが、この町の名前だそうだ。
その名の通り、豊かな水源を持つオアシスを中心として町が広がっている。
商品輸送の中継地として、また旅人の逗留地として発展してきた歴史を持ち……と、ここまでがクラリスさんの説明。
土と煉瓦で造られた街並みは、火に照らされて落ち着いた雰囲気が滲んでいる。
町に着く頃には辺りがすっかり暗くなっていた。
「――あ!? おーい、帝国人のお嬢さん! こっちだ! 良かった、無事だったのか!」
「あ、アミンさん! ハインド様、あの人が私が同行していたキャラバンのリーダーです」
入り口でラクダから降りてすぐに、クラリスさんが声を掛けられた。
声の主は恰幅の良い男性で、数人の護衛らしき武装した男女を連れながらこちらに近付いてくる。
見た所、商人だな……それもかなり裕福な。
俺は、ラクダに水を飲ませに行くのでここで別れましょうとクラリスさんに声を掛ける。
運が良ければまた会うこともあるだろう。
背負ったままだった彼女の荷物を返して、オアシスへ向かおうとラクダの手綱を握った。
「待ってくださいハインド様! それにみなさんも! 助けていただいたお礼がしたいので、後で砂漠のフクロウ亭という宿に来ていただけませんか!?」
「あ、ええと……」
「ハインド君」
「……はい。後で伺います」
「本当ですか! では、宿でお待ちしていますね!」
俺の返事に、クラリスさんが嬉しそうな顔をしてから去っていく。
セレーネさんの呼び掛けには「受けておいた方が良い」という思いが言外に込められていた。
確かにメール爆撃のせいで情報もあまり訊けていないし、関わりを多く持った方がクエストに発展する可能性も高い。
結局モンスターも出ず、途中で拾っただけなので少し図々しい気もしたが。
それはそれとして、今の俺にとって最大の問題は――
「「……」」
「こわっ……あ、何も言っていないでござるよ! お願いだから、その顔でこっちを見ないで!?」
目を吊り上げて俺を睨む、ユーミルとリィズへの対処である。