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キャメルマーケット

 長い睫毛に縁取られたつぶらな瞳が俺を見返してくる。

 そいつは口をモゴモゴ動かしながら鼻をパカパカと開閉したので、俺はそっと刺激しないように距離を取った。

 唾でも吐きかけられたらかなわん。

 このゲームのことだ、そういう臭いも再現してそうだし……っと、商人がそのラクダを引っ張っていく。


 ここは『荒野の街バスカ』にある広場前の通り。 

 ラクダを売っている市場は大規模で、割と簡単に見つけることができた。

 中には十頭を超える数を引き連れて現れる売り手もおり、辺りはラクダと人とでごった返している。

 それらは棒で引っぱたかれたりで大雑把な扱いをされているが……数が数なので仕方ないのかもしれない。


 ただ、これだけ大量に居るのだ。


「これは安く買える可能性があるな」

「うむうむ。僥倖ぎょうこうでござるな」

「やはり、ほとんどは食用なのでしょうか……?」

「じゃないか? 実在するエジプトのキャメルマーケットも、九割が食用だって聞いたことがあるし……」

「! ハインド、ラクダって食べられるのか!?」


 ユーミルが驚くが……まあ、日本人には馴染みが無いので知らなくてもおかしくはない。

 ミルクは牛の物よりカルシウムが豊富で、肉も若い物であれば美味いそうだ。

 乗って良し、食べて良しと、ラクダは乾燥地帯の人間にとって無駄のない素晴らしい動物ということになる。

 俺がそう説明すると、ユーミルは腕を組んで考え込む。


「……ねえ、ハインド君。ユーミルさん、もしかしてラクダの肉を食べてみたいんじゃない?」

「でしょうねえ。あの辺のラクダを見て、余りうまそうじゃないが……とか考えてるんですよ。きっと」

「なぜ分かった!?」


 セレーネさんとは互いに顔を見ないようにしての会話だ。

 目を合わせると赤面しそうになるので、少しの間は仕方ないと思う。

 彼女の側からあの夜のことは秘密にして欲しいとの要望があったので、これでもなるべく自然な態度を心掛けているつもりだ。

 リィズが時折、どういうわけか首を傾げるような仕草をするのが怖いが。


 ユーミルの言葉を受け、時計を確認して市場の看板と照らし合わせる。

 ああ、まだ開いてないのか、この市場。


「……なら、競りの開始まで時間あるみたいだし、食事できる店でも探してみるか?」


 ステータスを見ると満腹度は50%を切っているので、ここで補充しておくのもアリだろう。

 前日の盗賊達との戦い、それに加えて移動距離が長かったことも影響している。

 ラクダ料理を提供している店があるかもしれないしな。


「うむ、行こう!」


 市場から離れすぎないように店を探すと、俺達は宿と一緒に経営している食事処を発見。

 ラクダ料理はあるかと聞くと、旅人にお勧めだというメニューを一通り用意してくれるとのこと。

 若いラクダの肉を多く仕入れているとのことで、やや値段は張るが味に自信があるそうだ。

 人の良さそうな料理人の大将が、手を止めて俺達の接客に応じてくれた。


「モンスターの肉より先に、よもやラクダを食べることになるとは思わなかったでござるよ……」

「どんな味なんだろうね?」


 四人掛けのテーブル席に、五人で座って料理を囲んだ。

 料理の到着は非常に早く、それでいて手を抜いている様子はなかった。

 良い腕だ、大将……!


 俺だけ通路側で椅子を他の席から借りてきたが、他に客も居ないので邪魔になることもないだろう。

 席順はセレーネさんの隣にリィズ、ユーミルの隣にトビ。

 しかし、国境を越えてから本当に他のプレイヤーを見掛けないなぁ……。


「セレーネさんは、好き嫌いは特にありませんか?」


 スプーンとフォークを配りながら俺が尋ねる。

 失礼を承知で言うなら、セレーネさんは偏食してそうな雰囲気があるのだが。


「うん、それほど嫌いなものはないと思うよ」

「ほほう。せっちゃんは意外と健康的なのだな!」

「せ、せっちゃん?」


 ユーミルの呼び方にセレーネさんが面食らう。

 安定の馴れ馴れしさだが、意外な事にリィズが――


「なるほど。では、私もせっちゃんとお呼びしましょう」

「え、ええ? リィズちゃんまで?」


 ユーミルと同じ呼び方をすると宣言。

 その意図するところはというと……


「……まずは形から入るのも大事かと。あだ名を使うと、普通に呼ぶよりも親し気な感じがするでしょう……?」

「……な、なるほど……。ありがとう、リィズちゃん……」


 こんな小声での会話が漏れ聞こえてくる訳で。

 なんとなく、セレーネさんって放っておけない感じがするんだよな……リィズも恐らく俺と同じ気持ちだと思う。

 ともかく、この二人が仲良くなり出して俺としては一安心である。


 が、ユーミルは普段と違うリィズの様子に少し困惑しているようだ。

 無理もないが、余計なことは言うなよ? 絶対に喧嘩になるから。

 しかし、そんな俺の願いは通じなかったようで……。


「き、貴様らしくもない……寒気がするぞ? 本当に貴様、リィズなのか? もしや中身が入れ替わっているんじゃないのか!?」

「安心してください。ユーミルさんの呼び方は、今後一生変わることはないでしょうから。よそよそしく名前にさん付けのままですとも、ええ。あ、といってもハインドさんは別ですよ? いずれは呼び方も変えて――」

「はっ! そーかそーか、それは安心した。貴様に親し気に呼ばれた日には、全身に鳥肌が立って止まらなくなることだろうよ!」

「っ、貴女という人は――!」


 椅子を蹴とばして立ち上がる両者。

 食事中にだけは喧嘩するなと、昔から口を酸っぱくして言っているのに……!

 最近は二人ともそれをきちんと守っていたから油断していた。

 こいつらぁ……!


「あの、その、うぅ……は、ハインド君……」


 涙目のセレーネさんと呆れた顔のトビが何とかしてくれと俺を見てくる。

 うん、別にセレーネさんの所為ではないですよ……少々お待ちを。

 俺は怒りに震える手でラクダのステーキを切り分けると、二本のフォークに刺して罵り合いを続けるユーミルとリィズの口に無理矢理押し込んだ。


「むおっ!?」

「あぐっ!?」


 驚いた顔のまま肉をモゴモゴと咀嚼する二人の椅子を直すと、俺は両者の額を小突いて強引に座らせた。

 お前等には見えないのか、この料理を作った大将の顔が。

 心配そうに調理場からこちらを窺うあの髭面を。

 自分が丹精込めて作った料理に手をつけずに、喧嘩を始める客を見たらどんな気持ちだと思う?


「……」


 ただし、それらの思いは言葉にはしない。

 俺はただ、視線に力を込めて二人の顔を睨みつけた。

 するとユーミルとリィズだけでなく、セレーネさんとトビまで肩をびくりと震わせる。


「さ、騒がせてすまなかった……反省している……」

「も、申し訳ありません……場を弁えずに……」

「……冷めない内にサッサと食え」

「「は、はいぃ!」」


 両者ともに謝ったので、この場はそれで良しとしておく。

 食事は楽しく摂らなければならない。ストレスは消化にも悪影響だ。

 ゲームだからとて、決して疎かにしていい問題ではない。


「と、トビ君……ハインド君、凄い迫力だね……」

「わっ――ハインド殿は、自分も料理をするので食事のマナーに厳しいのでござるよ。にぎやかに食べるのは歓迎なれど、空気を悪くするとこれこの通り……何人も逆らえぬ夜叉へと変貌を。くわばらくわばら」

「……なんていうか、お母さんみたいだね……」

「誰がおかんですか、聞こえてますよ。ほら、二人も早く食べましょう」

「! あ、う、うん!」

「いただくでござる」


 二人がフォークを握ったのを見て、自分もラクダのステーキに口をつける。

 ……赤身は牛肉と羊肉の中間といった味で、歯応えもあるが若い個体ということもあり思ったよりは柔らかい。

 羊と同じで、年を重ねている肉は含有水分が減って固くなるのだそうだ。

 味付けは塩のみのようだが、丁寧に下処理してあって好感がもてる。


 横にちょんと添えてある白い塊は、恐らくコブだな……。

 少し齧ってみると、コリコリした食感と共にじゅわっと脂が口の中に広がる。

 こ、これは……好みが別れそうだ……。

 赤身肉と一緒に食べた方が良さそう。


「独特の味があるが……うむ!」

「私はちょっとこの脂が苦手ですけど……悪くはないです」

「拙者はこの噛み応えが気に入ったでござる。肉! という感じで」

「私はステーキより煮込みかな……お肉に染み込みにくいのか、ちょっと味が濃いけど。美味しい」

「ラクダのミルクって、何か塩気を感じないか? 俺だけ?」


 その後は場の空気も持ち直し、賑やかにラクダ肉を味わうことができた。

 大将の前言通りに会計時の値段はやや高かったが……俺達が出る間際に美味しかったと言い残すと、大将は顔をくしゃくしゃにしてニッと笑う。

 飛び込みで適当に入った店だったが、この店で良かったと思える表情だった。

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