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第76話 実力はレベル10以上である

「来たぞ!」


 緑色の頭部――それだけでダイニングテーブルほどの大きさだ――が、森林の『ふち』から外に出た瞬間。


 ヒーロの号令の元、パーティー四人は、再び円の動きを始めた。

 十分に距離を空けて。そして、監査官のトーコには、万一に備えて大きく後方に下がってもらっている。



 遭遇戦と追撃で――フォレストドラゴンには、疲労の色が見え隠れしていた。

 当初、彼を動かしていたのは、爬虫類であっても平等に生じ得る怒りの感情が源泉になっていたのだろうが――今はもはや、惰性と言えた。

 どうしてこの小動物たちを自分が追っているのか。わからなくなっているのだろう。


 よってフォレストドラゴンの動きは、切迫感や精彩を欠いたものであったが――




 パーティーの受けた被害もまた、無視できるほど少なくはなかった。



「――っ!?」


 幾度目かの円の動きのとき。

 反対方向へと切り返そうとして、踏ん張りが効かず、アビーが土に足を滑らせた。



「アビー!?」

「ウォオオオオッ!」



 一早くそれに気づいたクーにもまた、咄嗟のフォローをするほど余力はなく、代わりにヒーロが威嚇の声を上げ、フォレストドラゴンの視線を集めた。

 ヒーロめがけて発射される舌。しかしそれはどこか緩慢で、スピアを盾代わりに前に出しつつ、回避。


「すまん、助かった……!」


 そう返答するアビーの息は荒く、不調を如実に物語っている。

 また、如何なる場合においても、トドメの一撃は彼の両足と、両腕にかかっている。

 その分も温存しておかねばならない――




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 ――危ないっ! ……ああ、よかった、かわした、セーフ……!


 みんなやっぱり、体が……!

 がんばって……! 丘まで、もうすぐだから……!


 あいつを、丘まで誘い込めば、誘い……込め、ば………………?



 ――ともかくっ! 360度開けた場所の方が、圧倒的に有利! だから、丘の上で戦えば、きっと勝機はあるはずっ!



 だから……がんばって、みんな……!




 ……私は結局、何もできないから……


 いや、何もってわけじゃないんだけど、そう思いたいけど、実際、監査官の干渉は、原則的には禁じられてもいるし……


 少しでも力になれればなんて思って、みんなが戦闘に集中できるように、よかれと思って……采配を執ろうとしてみたけど、でも、ダメだ、やっぱり。


 急に出て来た新人指揮官よりも、四人の阿吽の呼吸に任せた方が、勝率が高いんだよ、結局……!


 ……悔しい。これから、もっと学ぼう、戦闘について……!


 きっと、彼らとは――これからも、長い付き合いになるんだから。

 ――いいや! 長い付き合いにしてみせる! この初仕事も、絶対成功してもらわないと!



 だからみんな……なんとか……!


 なんとか、倒してっ……! お願いだからっ……!


 わかってる、それが相当難しいってことは。決定打が無いってことは。


 だけどきっと……それこそ、ハーランさんが投げたあの石が、目玉に直撃したみたいに。

 きっと、幸運が訪れる、ときもあるから……! 希望さえ捨てなければ……! パーティーが完全に戦闘不能にならなければ……!


 私は……本当に危なくなったら、止めなきゃいけない立場だけど……


 ――まだ大丈夫、うん、客観的に見ても、平気、全滅はしない、絶対にしない……!




 勝って……! なんでもするからっ……!


 なんでもって言っても限度もあるし、そもそも戦闘に関して貢献できることなんてほとんどないんだけど……!


 でも、それでも――ほんの少しでも、後方の憂いをなくすというか、心配事とか、そういうのを取り払うくらいのことが、私にも、できるなら……!



 そう、たとえば、戦闘後の食事。ちゃんとありますよって、ご飯のことなら、何も心配ありませんよ、って……






 ………………………………あれ?


 あれーーー!? なんだアイツーーー!?




 ちょっと!!! それ保存食!!! 何やってんのーーー!!!???




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 アビーたち四人は、フォレストドラゴンの周囲を動き回りながら、じりじりと丘へ向かって後退していた。

 開戦時のヒーロの宣言通りに。



 負傷したアビーとクーの動きは普段より格段に悪く、また、ヒーロとハーランの二人の回避率は、アビーとクーに比べれば、実際のところかなり低い。


 四人全員、フォレストドラゴンの舌に狙われれば、捕まってしまう危険性があった。



 だが、フォレストドラゴンの動きもまた、一度目、二度目の遭遇戦のときより、数段鈍くなってもいた。

 体力の減少もあるのだろう。戦闘へのモチベーションを失ってしまったことが、もっと大きい要因かもしれない。



 ともかく、互いに戦力は低下しており――それが不思議な拮抗を保ち――大トカゲを中心として四人が周囲に散らばるその図は、丘方向へと並行移動し続けていた。



 それをやや離れて見ていた監査官のトーコは。

 足裏に感じる斜度に、ついに丘を登り始めたことを覚え、ふと――ある場所へと視線を移した。


 その場所とは、小高い丘の、一本の木。テントなどの荷物を根元に置いておいた木の、その樹上。


 保存食を置いておいた、枝の上。




 ――戦闘後、無事に勝利した場合の未来、そのときの食事のことを考え、自然とそこへ目線を飛ばしたトーコは。


 その木の枝の上に、リスを見た。




 そして――彼女は駆け出していた。

 本能的に。

 使命感から。


 狡猾なる害獣・ジャイアントスクウェールは、あらゆる有機物を貪る。


 その常識は、冒険者だけでなく、監査官だけでもなく、現代を生きる多くの人類の、共通のものとなっている。



 また、彼女はフォレストドラゴンと距離を取り、安全であるという自覚と、同時に、無力であるという自覚も抱いていた。


 よって思ってしまったのだ。

「フォレストドラゴンは無理だけど」と。

「リスくらいなら自分でも」と


 それどころか、これこそが――

 リスを追っ払うことだけが、今自分に――

 可能な最大限のパーティーへの貢献だと、彼女は思ってしまったのだ。




「トーコさんっ!?」


 偶然視界の端に、ヒーロはトーコの後ろ姿を捉え、叫んだ。


 一本の木に向かって、駆けて行くトーコ。

 右手を振り上げ。「コラー!」のような、威嚇の声を、発しつつ。

 持前の俊足を活かし、彼女は雷光のように一直線に疾走し、そして――




「――だぁあああああああ!!!!???」


 それは。


 ヒーロが掘った、落とし穴だった。



 木の枝に保存食を乗せ。

 みなが見ていない隙に。

 野犬対策として。

 たった一本のスピアだけで、だがしかし――


 ――脅威の速度で!


 半メータルほどの深さの穴を、ヒーロは掘っていたのだ……!

 ヒーロの、『罠』に懸ける、執念……

 それ以外に言いようはなかった……!




 突如として足下に出現した無の空間。


 何が起きたかもわからずトーコは――それでも刹那、防衛のため、手で顔を守り――


 しかる後に、後方へ引っ張られるような形でバランスを崩し、尻もちをついた。落とし穴の、底へ向かって。



 激しい視界の移動であった。超アップになる己の手、地面、そして――


 落とし穴におしりを落としたトーコの目には、今。

 真っ青な空だけが広がっていた。




 トーコの悲鳴は、パーティー全員の視線を集めていた。

 そして、地面に沈み、彼女の姿が見えなくなったとき。


 ――四人は同時に『ここだ』と悟った!


「ハーラン!!!」

 ヒーロが声をかけると、

「おう!」

 ハーランはそのヒーロに投げて寄越した。

 あらゆる戦闘時のログを残し、冒険生還率に革命を起こした魔具、ポータブルライセンスを。



 そしてハーランは目を閉じ、唱える。


 ――誰がもたらされたとも知れぬ、この世ならざる公式。それを呟くことで、式は無限界への扉を開き、この物質界へとエネルギーを引き込む。

 その引き込んだエネルギーは、行使者が定めた公式に従い――摩訶不思議な現象を呼び起こす。


 ――魔術の発動!



「オラーーーーッ!!!」


 ハーランが両手を突き出すと、その前方、フォレストドラゴンの周囲の空気が色を変えた!

 (※ちなみにだが、魔術発動時の最後の発声は基本的に自由である。それまでの式さえ成立していれば、魔術の名称を叫ばねばならないという制約はない)



「あれが……!」


 呆然としたように、クーが呟く。

 クーも特殊能力持ちではあるが、所謂魔術のような派手さはない。おそらく初めて見るであろう、「この世界で自然発生するはずのない現象」に、年若い戦士は目を奪われていた。



 音が止んでいた。


 ゆっくり二呼吸ほどの時間で、金色に変色した空気は散っていった。


 再び姿を現したフォレストドラゴンは――


 ――遠目にも完全に硬直していた!


 効いたのだ! ご法度中のご法度、普通に使うだけでも大罪なのに、しかもそれに改造を施したという、禁術クラスの創作違法呪文、〈麻痺の霧〉が、フォレストドラゴンに!




「行け、アビー!」

 ヒーロの指令を聞くか聞かぬかのうちに、アビーは走り出し、口の中では詠唱も行っていた。

共通魔法〈跳躍〉。ごく簡単なその魔術は主に農作業者向けであり、金銭を支払って教えてもらえる短い詠唱は、凡人の秘める魔力で十分発動し、ほんの一瞬、一度きり、脚力を倍化させ、沢を跳び越す際などの補助となる――




 微動だにしない深緑色の巨体、胴体だけで八メータルを誇る規格外の個体、フォレストドラゴンへと向かい、土を後方へ飛ばしながら全力疾走する最中――詠唱は完了。


 アビーの足に力が宿り――完璧なタイミングで、跳んだ――!




 それはまるで放たれた矢のように。


 地から一直線に、アビーの全身は、フォレストドラゴンの顔面目掛けて空を切り裂いた。



『最速で標的の生命活動を停止させること』



 それに小細工は不要。己自身が槍となり。最高速度で、一直線に。

 急所を貫けば良い。




 冒険者法が人々を縛る前の時代、実力が全てだった頃に幅を利かせていた、伝説の冒険者ギド――師匠の教えをアビーは今、ここに蘇らせた!


 両手で握り、骨に直結させるように伸ばし、どこにも力が逃げぬ剣は、フォレストドラゴンの左目に、吸い込まれるように突き刺さる!


 勢いは削がれず、腕の付け根まで、アビーは剣を潜り込ませた!

 一抱えもある眼球の裏側、そのさらに奥へ。




 岩のような鱗に覆われ。また分厚い皮下が、あらゆる致命傷を避ける。


 『巨大だ』というだけで、これほど討伐が困難であったフォレストドラゴンだったが、ついに――


 届いたのだ――急所に、アビーの剣の、切っ先が――




 ――魔術により、全身が麻痺していた大トカゲが、それでもビクン! と、一度震えた。


 たしかな手ごたえ――生命の消失を感じ、アビーは剣を引き抜くと、一度肩を足場にし、スタっと地面に飛び降りた。



 すると、先ほどの一度の痙攣がためか、巨体は「ぐらっ……」と、ゆっくりと傾き――



 ……ずずーん……! と、大きな音を立てて、横倒しとなった……!




「……やったーーーーーーーーっ!!!」

 その音の余韻が消えると同時に、四人は口々に歓声を上げた。

 トドメを刺したアビーを中心に集まると、ドロドロなのも構わず、互いに抱きしめ合った。


 喜びを隠すことなど不可能であった。なにせ、これでようやく、晴れて――」



 『レベル2の壁』を越えられるのだから……!






「……空が、青いなあ……」


 落とし穴に埋まり、角度的に視界一杯に広がるのはただ青空のみ。追っ払ったジャイアントスクウェールのことも忘れ、しばし呆然と、そんなことを思っていたトーコは。



 その耳に、歓声が聞こえてきて。

 少しぼうっとしてから――ハッと、気づいた。



 ……まさか、勝った!?


 しまった!


 私、見ていない! 初仕事が、成功したその、瞬間を――!

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