第75話 今の時代には法がある
――もしも冒険者法が、彼らを縛らなかったなら――
魔術の使用にも規制はかからず、才能だけで修めたハーランの、何がしかの得意魔術が炸裂し、戦局はガクンと傾き――
――なんの苦戦もなく、彼らはフォレストドラゴンに勝利しただろう。……どころの、話ですらなく――
定められたレベルが。彼らの戦闘行為を妨げることがなかったら。
彼らはとっくのとうに、こんなところにはいなかっただろう。
彼らは鍛錬をし続けた。思考をし続けた。お世辞ではなく、彼らはレベル2の範疇に収まるような実力では全くない。
ゴブリンさえ絶滅していなければ。あるいは、レベル2から3に上がるための討伐対象が、ゴブリンでさえなければ。
彼らは呼吸をするように戦闘に勝利し、鼻歌混じりに、レベルの階段を上がっていったことだろう。
だが、時代は、法は。
人を守る。
一度抜けた者を守る。
冒険者人口の増加、クエスト生還率の上昇は、それはとても素晴らしいことである。
素晴らしいことではあったが……格差を生んだ。
いや、格差はあった。遥か昔から。
それをよりクッキリと鮮明にさせた。そしてその差を飛び越えることを、より一層困難にさせた。
差を埋めるのが困難だからこそ、成功者には富と名声が降り注ぐ。
それはわかる。だから皆が夢を見る。
だから誰もがそれを目指す。
それはわかる。だが――
――それになれる者が少ない(・・・・・・・・)からこそ、誇大に喧伝され、多くの低レベル者が目指すようにコントロールされているというのが、真実なのである――
大多数の貧民が、ほんの一握りの富裕層に憧れ、目指すように、世の中はできている。
なぜそうできているかの答えは単純――その方が、経済が動くからだ。
成功者を夢見て。ある者は学術施設に。ある者は私塾に。
金を落とす。そして、夢を追うために、アルバイトをし。
夢を追い続けるための休息を求め、酒場で息抜きをする。
一人一人の扱う金額は些細だ。だが、人数が、その母数がとんでもない。
チリも積もればなんとやら。
大多数の庶民たちが、下層から経済を動かす。そしてその動いたモノの、流れ着く先は、財の留まる場所は――
……その仕組みが、『抜けた者たち』にとって、とても都合が良い形だから――
――だから、冒険者法は、彼らを縛る。
※理由は無論、それだけではない。が、選ばれし民は少ない方が都合がよく、そして、選ばれていない民からの羨望が集まれば集まるほど、さらに都合がよくなるのだ。
仕組みは庶民を上手に押さえつける。8の不満にも2の解消先を与えることで、上手にモチベーションをコントロールし、活かさず殺さず、歯車にする。
そこからの脱却――それも、『正面突破』は、並大抵のことではない。
例えば『月の牙』は。すでにプッシュが約束されていた。冒険者ギルドによって。
これはサクセスストーリーに数えられるだろうか? ……答えは、否である。
この例から考えても……本当に、真正面から。努力によって。
『レベル2の壁』を突破した冒険者などというものは、果たしてどれくらいいるのだろうか……?
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――ゼロではない。それはさすがに間違いない。
ゼロでないのなら、自分たちかもしれない。
そう信じ、冒険者たちは、今日も世界中で蠢く。
未来の英雄を目指して。
――そして、今ここに。
激レア中のレアケース……『決められていなかったのに、オーディションを補欠合格で突破したパーティー』が。
これまた超絶レアな快挙を狙い――
――そして不運なことに。これまた稀な『飛び抜けて巨大な個体』のオオトカゲを。
討伐せしめんと、している。
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「……アビーさん。すいませんでした……」
森の外、キャラバンの残骸に囲まれしばし、小休止中のこと。
指揮官権限を取り上げられたトーコが、アビーのところへやってくると、深々と頭を下げた。
切り株に(なんと超座りやすそうなものが偶然そこにあったのだ)腰かけていたアビーはキョトンとした表情で、
「え!? え、な、なんで謝るんですか!?」
声を上ずらせた。
その反応が想定内だったか外だったのか――どちらかはわからないが、トーコはグッ、と、下唇を一度噛みしめてから、
「私のせいで、怪我をさせて……気絶までっ……!」
頭を上げることもなく。……かといって下がりきっていたので、そのままだが……
謝罪を継続した。
この辺りで、なんだなんだと、思い思いに散っていたアビー以外のメンツ、ハーラン、ヒーロ、クーがとことこと近寄って来つつあった。
「いやいやいやいや!」
アビーはパーにした両手をブンブンと振った。
「戦闘のことですから! 明らかにアレだったらアレですけど、アレは偶然と言いますか、トーコさんのせいじゃないですから!」
アビーは既にだいぶ回復していた……わけではなく、パニックがアドレナリンを出しているだけである。
それはともかくとして、そうであった。一同は誰も、トーコが悪いなんて思っていない。ハーランも思っていない。自分のせいとも露とも微塵も。
それはわかっているからだ。バトルは水モノ。一瞬の選択で展開は変化する。
トーコの号令でハーランが投げた石がフォレストドラゴンの目にあたり、バーサークしたのは事実であるが、なんなら油断は、それを見て瞬間足を止めてしまったアビーにある。自業自得の率が一番高いと、アビーもそうだし、男衆は全員そう認識していた。
だから、トーコが謝ることなど大間違いだと思っている。本人以外。
「顔を上げて下さいって! 全然気にしてませんから!」
「無理です……他にも、散々失礼なことも言いましたし……」
あ、とアビーは思う。フォレストドラゴンを呼び寄せた直接の原因、アビーとトーコの口喧嘩のことまで謝罪してきているのだ、と。
「いえいえ! あれはもう完全にお互い様というか、むしろ俺が悪いですから!」
「悪いのは私です……! ひょっと現れた監査官の分際で、何年も一緒にやってきたみなさんに、頭ごなしに命令するだなんて、不快に思って当然です……!」
――このとき、男たち四人は、瞬間、アイコンタクトを交わした。
どうする? と。
このまま、かさにかかって、「引っ込んでろ」くらい、言ってみるか?
彼女が見てさえいなければ(・・・・・・・・・・・・)、いくらでもやりようはあるのだから。
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……だが、結果的に。誰もそうは言わなかった。
賢明な判断だった。仮にここで彼女に罪の対価を求めたところで――『監査官』の職務まで放棄することは、決してないだろう。
かえってそこに不自然さを嗅ぎつけられてしまう可能性の方が高い。
「……トーコさん。アビーも言っていますが、俺たちは誰も、トーコさんのせいだなんて思っていません」
「……すいません……」
ヒーロがそっと声をかけると、もう一度口の中で謝りながら、ようやくトーコは顔を上げた。
「あなたの謝罪を拒絶しようとは思いません。ですが、クエストはまだ終わっていません。後悔する時間があるなら、次の作戦を考えなくてはならないんです」
「……はい、そうですよね……」
リーダーに諭され、トーコは気持ちを切り替えたようだった。
さて……『作戦を考える』だが……
そこにトーコがいてしまっては、それもやりづらい。
とはいえ、この『枷』は、外せない。
閃くしかないのだ、なんとかして、この状態から……!
「――みんな……!」
しっ! と口元に指を立て、クーが森林の方に顔を向けた。
それ以上の説明は必要なかった。
奴が向かって来ているのだ。
一軒家に尻尾を生やしたような、暴君オオトカゲ――大森林の王、フォレストドラゴンが……!
視線の先で、木々が揺れる。
近づいて来る。
足元にあったテントの残骸を蹴飛ばしながら、ヒーロが言う。
「少しずつ下がって、あの丘まで誘い込むぞ」
丘、というのは、二泊し、荷物を置いてきた小高い丘のことだ。
「それから?」
アビーは問い――そして、聞いても仕方なかったなと、自己完結した。
先の展開などわからない。
なぜなら用意も打ち合わせもしていないのだから。
確定しているのは――最後のチャンスだということ、それだけだ……!