第63話 当たって砕けはしない
ガッ、チィーン……! と、金属と金属をぶつけ合ったかのような音。
八メータルオーバーの緑色の鱗の塊、その巨大生物、意を決し、一番近くにあった左足(木の幹と同じくらいの太さだ!)を狙い、全体重を乗せてショートスピアで突いた結果が、これだ!
「かってぇ!」
そりゃあそんなセリフも思わず漏れてしまうヒーロ。
――ギロリ――
という音がした気が気がして、上目遣いに確認すると――
――案の定、フォレストドラゴンの左目、黒い眼球が、こちらを見下ろしている!
やべえ! と思った刹那、ヒーロの眼前を黒い影が横切る。
クーだ!
「離れて!」
フォレストドラゴンの視線を引きつけることに成功したクーは、ヒーロに向かってそう叫んだ。
そのクーに向かってまず尖った鼻先が向く!
思った以上に俊敏な動作、そして間髪入れずに舌が射出される!
一直線へクーへ!
と、すんでのところでクーは状態をねじり、右手の短剣を掲げて目印にすると、フォレストドラゴンの大蛇のように太い舌が、その短剣に巻きついた。
瞬きする間もなくその舌がフォレストドラゴンの口の中に巻き戻る。大振りの短剣ごと。
ピタ、と一瞬巨体が止まった! 刃物を口内に招き入れ、些かダメージがあったか!?
「――ォオオオっ!」
そこへアビーが飛び込んでいく!
パーティー随一の瞬間火力! 全体重を乗せた、長剣での刺突が、フォレストドラゴンの左目へ向かって伸びてゆく――
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彼はいくつかの間違いを犯していた。
一つ。ここまで温存に温存を重ねてきた虎の子の共通魔法〈跳躍〉を、使いそびれたまま飛び出してしまったということ。
もう一つは。
『今だ』と思ったこのタイミングでは『なかった』ということだ――
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思った半分の時間で、トカゲの硬直は解けた!
丸太のような四肢が怒張!
フォレストドラゴンの全身が一段回持ち上がる!
腰を上げたのだ(・・・・・・・)!
しかもそれは機敏だった!
アビーが狙っていた左目の位置が上昇!
剣先が頬の鱗に弾き飛ばされた!
一寸たりと刺さりもせずに!
「嘘だろ!?」
ヒーロはそう叫んだが、アビーには今の現象が理解できていた。
立ち上がる際の全身の急上昇により、刺突点にも急激な上下の動きがあった。
つまり、下からの動きによる『逸らし』が生じた。それ故、一点で貫くはずだった突きは、大きく力を削がれてしまったのだ。(それでなくとも突きは左右または上下から力が加えられることに弱い)
「やっべ……!」
アビーは大急ぎで剣を引き戻す! と同時に、トカゲが頭ごとこちらを向いた!
大慌てでバックステップ!
追いすがるように、トカゲは口内から何かを射出!
アビーは反射的にのけぞった! が、高速で飛び去るそれを完全には躱しきれず、顔面に裂傷を負った。
クーの短剣を吐き飛ばしたのだ。その切り傷は……浅いか深いかどうかなど、今は確認している暇もない!
一軒家のようなバケモノトカゲが! 完全に!
戦闘態勢に入ってしまったのだから!
ピュボッと舌を素早く出し入れし、咆哮は上げず、だがしかし両の目をギョロギョロギョロと忙しなく動きまわらせ――
そして標的を定め、一歩踏み出した、右側の前脚!
背の低い植物をベキベキと薙ぎ倒し、すぐさま今度は左前脚!
そのまま四本の足が唐突な最高出力で駆動!
巨体が突進する!
アビーもヒーロも、考える間もなく体が動いた!
一歩の跳躍における最大値で、二人は左右に、間を空けるように飛び退る!
そこを地響きを立ててフォレストドラゴンが通過! ヒーロ・アビー間を!
見た目の大質量からは想像もできないほど俊敏だ! 音が、振動が遅れて伝わってくるようだ!
だが、素早すぎることと巨躯であるがゆえに――二、三歩行き過ぎただけで、アビーとヒーロはフォレストドラゴンの背後を奪った形となる。
二人の間には、深緑色の鱗に覆われた尻尾。
あまりにも隙だらけなその尾。
……だが二人は、突いたり斬ったりしようなどという気に、微塵もならなかった。
間近で見て、確信したのだ。
これは無理だ。
この、大人が両手を回しても抱えきれなそうな尻尾、頑強な鱗をまとったこの部位は、絶対に斬れない。傷一つつけることもできない。
こんなもの岩と同じだ。剣が折れる。槍が潰れる。
ヒーロとアビーは、同時に、「ドン!」と、体の片側を木にぶつけ、減速して着地した。二人合わせて6、7メータルの横っ飛びだった。
そして空中で思ったことは、二人とも同じだった。
即ち――
――勝ち目はない。
「逃げろぉおおおおおーーーーーーーー!!!」
ヒーロが叫んだ。トーコとハーランにも届けるために。
グイッと首がねじれ、トカゲの口先が、今しがた叫んだ男の方向を向く!
刹那、ヒーロとフォレストドラゴンの間を、再び影が横切った。またもやクーだ。
羽虫のように素早く視界を横切るクー。
トカゲは思わず本能でそれを追い、伸ばした舌は中途半端に二人の中間を漂った。
だがすぐにまたシュルっと格納すると、今度はクーへ向かって前進を始める!
「クー!?」
「行って!」
ヒーロに返したクーのその言葉は、『殿を務める』という意思表示に違いなかった。
危険だ――とは思えど、ならば何ができる? ……何もできはしない!
フォレストドラゴンはクーに狙いを絞り、ヒーロ・アビー間に対して左方向へと、梢を踏み倒しながら突進していく。
その隙に、二人は駆け出した。
だがしかし――すぐまた、後方から、巨体な質量が近づいてくる気配! 振動!
クーからこちらに狙いを変更し、追ってきたのだ!
「うぉおおおおおおっ!?」
「ちょーーーーーーっ!?」
二人の視線の先で、ハーランとトーコが叫び、背を向けて走り出した。
それは、取りも直さず――背後に迫ってきていることを示す――!
ヒーロとアビーは、バキバキという音と地響きに包まれながら、無我夢中で駆けた。
ただただ全力で駆けた。呼吸を止めて。とにかく、少しでも遠くへ。一秒でも早く安全な場所へ。
命の危険を感じながら走るのは、生まれて初めてのことだった。
このとき、二人の視界は極端に「狭まって」いた。
前方、ハーランとトーコが逃げていく後ろ姿と、そこへと至る道。その映像だけがくっきりと鮮明に映り、それ以外の周囲はすりガラスを挟んだようにボケて見えていた。
本能が自動的に視界を絞っていたのだろう。生き残る公算を少しでも上げるために。
四人は森林の中を、来た道を戻るようにして逃げていった。
それもまた、最高速度を引き出すため、安全確認ができている、一度通ったことのある道を自然と選んでいたからだろう。
これも火事場のなんとやら。大荷物を背負ったトーコも、遅れることなく共に駆け抜けていった。
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――しばらく全力疾走で後退し――その後も、やや抑えた速度でさらに後退を続け――ようやくフォレストドラゴンを振り切り、安全が得られたと実感できたところで、四人は一塊になり、しばし、呼吸を整えた。
情けなかった。
歯が立たなかった、ことがではない。
初めて命の危険を感じ――こんなに『大きく』逃げてしまったことが。
なぜこんなに遠くまで逃げてしまったのか。
なぜ途中で立ち止まり、様子を伺わなかったのか。
クーを案じなかったのか。
ぜーはーと息を整えながら、四人は(うち約三人が)、己の行動を恥じ入っていた。
その後、ようやく冷静さを取り戻した四人は、昨日の野営地点、森林の外まで戻ることに決め、実は行くときにちゃんとやっていたマッピングを元に道を辿り、日が高いうちに森林から脱出した。
ほどなくして――クーが戻ってきた。まさかやられることはないだろうと、一同思ってはいたが、万が一を否定しきれてもいなかったので、かすり傷一つ負っていない浅黒い肌を見て、ほっと胸を撫で下ろした。
が……クーもクーで、悔しそうだった。
悔しそうというより……困った顔をしていた。
「……どうやって、倒す……?」
その問題に、正面から向き合わなければいけないときが来ていた。
初戦によって、足された情報。
たぶんアレ、レベル5どころのモンスターじゃない。