第59話 作戦会議はもう行えない
『月の牙』が物資を放棄し、まるで村が壊滅したかのようになった広場は、冒険者ギルドが責任を果たすためにも、手をつけず保存するべし、ということに定まり――
それはそれとして、時刻は夕方だったため、森林への突入は翌朝がよかろうということになった。
即ち、再び、野営だ。
だが、これまでのような、街道沿い、宿場のすぐそばでの野営とはさすがに違う。
一行は、シルワス森林から十分距離を空けた、少し小高い丘のようになった地形を野営地に選んだ。視界はずいぶん開けている……が、夜になれば、月と星以外の明かりはなくなる。森林から忍び寄ってくるモンスターに備えるには、常にそちらの方向に注意を払う、見張りが必要だ。
見張りはもう一人要るだろう。森林方向以外の全ては、そのもう一人が警戒するのだ。
というわけで、二人一組とし、朝まで見張りのローテを作成する。
ちなみにこの見張りには、監査官のトーコも自分から加わってきた。
――監査官は、直接的な戦闘行為に関わることは禁じられているものの、こういった見張りなどにおいては個人に裁量が与えられており、ある程度自由である。そうとなれば、一人だけグーグー眠りこける道を選ぶ図太い神経の持ち主は、そう多くはない。
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一直目の見張りが終わり。
トーコは「後お願いします」と、自分のテントに帰っていった。
そして二直目。
結局頭が冴えてしまい、一直目も誰も眠ってなどいなかった彼らは、トーコの姿がテントの幕に遮断されて見えなくなると、正式に全員起床した。
なぜなら――この夜が、正真正銘、最後の最後。
『ラストブリーフィング』なのだから……!
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――パチパチと、焚火が爆ぜる。
風のない夜にそれが、やたらと大きく耳につく。
男四人は火の隣で、車座になった。
「……もし今ここに……」
遠くの木立から、ホウホウとフクロウの声をBGMに――リーダーが口火を切った。
「……フォレストドラゴンが現れたら。逃げるしかない。……決定打がないから」
知性を前面に湛えた表情でヒーロはさらに続ける。
「負けるとは言わない。勿論、危険はあるが、落ち着いて戦えば、対処できない相手ではない。多少大きくても、所詮はレベル5モンスターだからな」
リーダーはメンバーを鼓舞した。
悪いやり方ではなかった。
彼らは四人とも、どういうわけだか『実力』にはそこそこの自信を持っている。レベル2暮らしも早三年だが、無為に遊び惚けていたわけではなく、日々の鍛錬を欠かしたことはない。(若干一名を除いて)
(※その一名ですら、『法』の無視さえキマってしまえば、レベル10パーティー五人分と同等程度の火力を持つ。数字は適当である)
かといって、自信過剰は命取りだ。バトルとは、一瞬目を逸らしただけで、あっさり命を落としてしまうもの。
であるからして、彼らは決して過信はしていない(少なくともそう心掛けている)。
そこへ、「落ち着いて戦えば、対処できない相手ではない」というセリフは100%の形でハマった。
これこそヒーロがリーダーたる所以。なんだかんだで、メンバーの扱い方を誰よりも熟知しているのだ……!
「だが、おそらく。今の俺たちがフォレストドラゴンと戦えば、ある程度傷つけられたフォレストドラゴンは――逃げるだろう」
そのリーダーの言葉に、大きく頷くクー。
狩猟民族としての確信が、そこには強く表れていた。
そしてクーは、言葉でも補足する。。
「一度、逃げた獲物、もう一度狙うのは、もっと難しい……!」
クーのそのセリフは、他の三人にも容易に想像しやすかった。
放っておけば出血多量で絶命するような致命傷を与えられていたなら、逃げられたとしても問題はない。ゆっくり追い詰めればいいだけだ。
だがしかし。
『十分元気なまま』逃がしてしまったら。
巧妙に隠された巣に籠ってしまうこともあるだろうし、あるいは、四足歩行などの、獣が獣たる特徴を十分に活用し、おいそれと人類には近づくことのできない、たとえば絶壁の中腹などに逃げ込まれてしまったならば、追跡は困難を極める。
それでなくとも、以降相手は『警戒度MAX状態』なのだ。奇襲や罠などの作戦は、成功率がほぼゼロまで落ちる。
(『警戒度MAX状態』も、いずれ解けるものであろうが……それを待てるほど時間的余裕が保証されているわけでもない)
「つまり、チャンスは一度。ここだと思って仕留めにかかったときに、確実に討伐しなければならない。これはむしろ、方針がわかりやすくなったと言っていいだろう。だからまずは、これを提案したい」
ヒーロはスッと人差し指を立て、メンバーの顔を見渡して言った。
「基本は、『様子見』だ。ヤツが現れても、こちらからは手を出すな。攻撃を仕掛けるときは、全員同時だ。……俺が号令をかける」
――三人は、こっくりと頷くと同時に――
あまりにちゃんとした作戦会議らしさに、些かの違和感も胸に生じ始めていた。
そして複雑な思いを抱いた三人を代表するように――闇夜の中なお頭部を照らせるハーランが、猛禽類のようなするどい目つきで口を開いた。
「その号令は……いつかける?」
するとヒーロは、ギリリリと音の鳴りそうな、頭頂部の高さが微塵もずれることない平行の動きで顔をハーランに向かせると、
「いつだと……思う……?」
逆に聞き返した。
「だから、お前が、イケるって判断したときだろ?」
肩から少し大きく、右手を広げる身振りと一緒に、アビーが促してみると、
「イケるって……いうのは?」
――ざわ、と全員の背筋に悪寒が走った……!
これは、例の、いつものヤツ……
何も浮かんでいないときの、雰囲気だけ、ガワだけシリアスという、いつものリーダーの、わかりづらくそして若干イラっとくるアレ……!
「だから、ヒーロお前が、イケるかどうかを判断して号令を下すって話だろ?」
堪え性のあるアビーがもう一往復挑むと、
「ああ、そうだ。判断を下すのは俺だ。だが、イケるというのは具体的にどういうときだ?」
「自分で言ってたじゃねえか、フォレストドラゴンを逃がさず確実に仕留められるって確信したときだろ」
「そう、その通りだ。だが、だからこそ聞きたい」
ヒーロはすぅーっと大きく息を吸い込み、胸を膨らませてから――
そしてゆっくりと、その息を吐き出しながら、言った。
「フォレストドラゴンを確実に仕留められる……それは一体、どんな方法だ?」
――そのときブチンと、何かが切れる音がしたような気がした――
「だからそれをよ! ずっと探してんじゃねーかよォ!?」
「ヒーロお前もうやめろ! 前提だけをもったいつけて話すのをよ!?」
「もーやだよぉ……! 時間の無駄だよ、眠りたい……!」
三人の悲痛な叫びが夜空に吸い込まれていく。
宿場からも街道からも遠く、大森林のすぐそばのこんな場所で。
モンスターの一匹も、その声を聞きつけてやって来ないのは、運が良いという以外に言いようのないことであった――
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「決定打決定打って言ってるけどよ……オレたちはいつの間にか、『決定打』にとり憑かれちまってたんじゃねーか……?」
あれだけ大騒ぎしておいて、彼らがまだ無事で生きていられるというのは相当な幸運である。例えるならば、すぐそばに崖があるのを知らず、目隠しをしてスイカを棒で叩き割り、「あー面白かったね」と言っているようなものである。
ともかくそんなことはどうでもよく……やや落ち着きを取り戻したハーランの新たな問題提起が場を満たした。
――『決定打』にとり憑かれてしまっていたんじゃないか――
何度反芻しても、誰一人、スッと頭には入ってこない表現だった。
「……つまり?」
自分だけで真実にたどり着くのを諦めたアビーが尋ねると、
「言葉通りの意味さ」
などとのたまうので、
「それがわかんねえから聞いてんだよ!」
「ハーラン! お前、俺のこと言えないぞ!」
「ねえ、もうやめよぉ、寝ようよぉ……!」
ただのローテーションであった。ヒーロがハーランに代わり、残り三人が叫ぶという……
こうなってくると当然――
「じゃあおれが刺し違えてでも仕留める!」
「その成功率を上げる話をしてんだろーがよ!」
「リーダーとして特攻に賛成はできん!」
「アビー死んだら、終わりだよ、パーティー……」
「もういい! ボクが一人で、時間稼ぐ!」
「無理すんなっつってんだろが!」
「同じことを言わせるな! メンバーを捨て石にはできん!」
「クーがやられたらレベル3とか100パー絶望だ三人じゃ!」
――と。全員、一巡した。
(アビーとクーの提案は、やや無茶ではあったものの、他二人の発言よりも遥かにまともであり、あんなに大きな声で否定される筋合いは全くなかったはずなのだが、流れでそうなり、そして言われた側もそれを受け入れてしまっていたのだから、トータルで彼らは誰一人、まともな判断力を持っていなかったと言わざるを得ないだろう。全員場の空気に酔わされてしまっていたのだ)
――いくら騒いでもモンスターに襲われない幸運も四回使った。いや、一晩中繰り返されたのだからして、四回どころでは済んでいないだろう。(逆にこうなってくると『一晩』で一回、という計算でもいいのかもしれないが)
もはや、「いかにしてフォレストドラゴンを足止めするか?」という、議論の目的すら見失いかけながら、結果的に彼らは、これをループする世界線を抜け出せぬまま朝を迎える。
人生初の、モンスターらしいモンスターとの戦闘。
これが最初で最後の、『レベル2の壁』を越えるチャンス。
それが今日、この日かもしれない。
そんな大事な、大事な一日を――
――彼らは完轍で迎える――