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第58話 踏まない同じ轍がある

 昼なお暗い、鬱蒼とした木々の群れ――シルワス大森林。


 監査官のトーコを含めて5人となった一行は、まだ陽が高いうちに、目的地である森の辺縁部へと到着した。



「……なるほどね~……」



 一週間少し前、『月の牙』のキャラバンが、森林と目鼻の距離であるこの広場に、ベースキャンプを設置しようとした。

 その残骸は、今も一帯に散らばっていた。



 食料も放り出したまま逃げていったわけだからして、野生動物たちが漁りに来たのだろう。周囲には大小無数の足跡。



「ホントに、大所帯だったんだなあ」

 アビーが呟いた。

「コレってアリなの? トーコちゃん?」

 と、ハーラン。「コレ」というのは、『月の牙』が、金にあかせて一団を形成していたことを指す。



「……規則上は、違反しているわけではありません。まあ……お金がかかりますからね……通常、そういう発想には至らないというか……」



 トーコも呆然としているようだった。


 周囲に散乱する痕跡は、キャラバンの規模の巨大さを、如実に物語っている。

 報告は受けていただろうが、いざ目にしてみて、トーコがショックを受けるのは無理もなかった。


 こちらは総勢5人であり、荷物も最小限。一番かさばっているのはトーコの背負う個人用テントと期間中の保存食だ。かたや――


 ――キャラバンの所有していた『総物量』は、はっきり言って比較にならない。『月の牙』のメンバーは当然として、使用人まで含めた全員が、テントに寝泊まりするつもりだったのだろう。食器や着替えも、特に節約の意識もなく、十分に備えてきたのだろう。


 ――かき集めれば十はあろうかというテントの部品や、数十人分の食器、数十日分の衣類といったものが――野生動物にグシャグシャに踏み荒らされ、齧られ、引き裂かれ、泥にや糞尿に塗れて無残に広がっているのだ。



 大袈裟に言ってしまえば、一つの村が滅んだ姿のようにも見えた。


 トーコでなくとも、眼前の光景に立ち尽くしてしまうのが、一般的な反応であるだろう。




「……………………」


 先ほどから、クーはつぶさに地面を調べている。動物たちの足跡を観察しているのだ。


「何か分かったか?」

 と、ヒーロが声をかけると、



「ほとんどは、野犬の、足跡。餌に集まって、食べ尽くした」

 スンスン、と鼻を鳴らしながらクーは答えた。



「なあここ、危険なんじゃねーの?」

 両手で肩を抱きながら、ハーランが弱気な声を発すると、



「たぶん、平気」

 と、クーが言う。

「ここ、普段の、狩場、違う。餌あったの、一度きり。動物、それくらいわかる。普通なら、もうここ来ない」


 なるほど。と、ハーランがアゴに手をやると、クーはさらに続けて、


「それに、足跡、最後、逃げてる。たぶん、フォレストドラゴン、野犬、追っ払った」

「てことは……フォレストドラゴンを恐れて、野犬はもうやって来ないだろうってことだな?」

 アビーが付け足すと、クーは「そう」と頷いた。


「じゃあ逆に、ここにいりゃー安全ってことか!」

 ふーやれやれ、と、ハーランが緊張を解くと、

「いやいや、それ、フォレストドラゴンはまたここに来るってことじゃないか? 縄張りにしたってことになるんだから」

 とヒーロ。その言葉を聞き、ハーランは再びギクリとすくんだ。



 んー……と、クーは、その質問への返答にはしばし頭を悩ませて、



「……ちょっと、わかんない。トカゲ、性格、想像、しづらい」

 とのこと。


 無理もなかった。クーは元々狩猟生活をしていたわけだが、標的は草食動物が基本だったであろう。巨大トカゲの生態は、専門外といえば専門外ではあるのである。



「まあでも、野犬とかは寄ってこなくて、フォレストドラゴンだけが近寄ってくるなら、ここに陣取るのも好都合っちゃあ好都合か……?」

 腕を組み、ウームとヒーロが唸ると、


「いやいや、無いでしょ。奇襲されたら、『月の牙』の二の舞じゃん」

 と、アビー。

 全くもってその通りで、もしもフォレストドラゴンが再びここへやってくる可能性があったとしても、「ここを見張れる地点」で待ち構えていれば良いだけで、爆心地に居座っている必要は全くない。



「それもそうだな。じゃあ――」


「「「あ!」」」



 唐突に。

 ヒーロ、アビー、ハーランの三人は閃いた。



「ここに、落とし穴掘ろうぜ!」



 パン、と手を打ち、顔を輝かせるヒーロ。


 このリーダーは、三度の飯より罠が好きという、世にも珍妙な思考の持ち主。ただ、現代においては、罠の核となるエッセンスの部分に、取り扱い資格などの制約がかけられていることが多く、平たく言えばレベル2冒険者においては、『仕掛けられる罠』にさえ、選択肢がほとんど残されていない。


 そのため、一度は諦めかけていたわけだが――


 ――罠の中の罠、キングオブワナ、落とし穴ならば。穴の底に、資格の必要な毒物などでも仕掛けようとしない限り、穴を掘ること自体に制限はない。



 穴を掘る自由は、レベル2冒険者にも、等しくもたらされているのだ!




 ……そう信じ、ヒーロは会心の提案をしたつもりだった。

 アビーとハーランも、ようやく光明が差したと感じたし、言葉を出しはしなかったものの、クーとて落とし穴作戦にネガティブではない。ただ四足歩行の相手に対しては、難易度が高いというだけであり、実行を全否定するわけではないのだ。



 ――だが、しかし――



「保存しましょう」



「「「……は?」」」


 一瞬――いや、たっぷりと間を取ってからにおいても、トーコの発言の真意がわからず、男三人は間抜けな声を漏らした。



「これは……証拠です。あまりにも不必要な大人数で依頼に挑み、そして失敗した場合に、いかに損失を被るかという。そして――」


 トーコはグッと己の唇の端を噛みしめ、言葉を続けた。


「……そもそもの責任は、冒険者ギルドにあります。ここを、このままにしてはおけません。職員を呼び、後始末をしなくては……」



 そしてトーコは四人の方にくるりと反転して、大きく頭を下げた。



「申し訳ありません。ギルドを代表し、この恥ずべき事態の謝罪をいたします。そして、責任を持って報告し、迅速かつ適切な対応を行うことをお約束いたしますので、どうか、現場の保存にご協力をお願いします」



 ――間違ってはいない。筋は通っている。散らばっているのは大量のゴミでもあるわけで、それを目撃してしまったからには、ギルドの関係者として、トーコの取ろうとしている対応が満点なのだろう。



 だが……! それで、作戦を一つ無駄にするというのは中々……! ……どうなんだという気持ちがある……!


 そういった気持ちはあるが……! こうまでトーコに、真摯に頭を下げられては、「それはそれとしてここに穴掘ろう」とは言いづらい雰囲気だ……!



 ――という状況に置かれ、どうしたものかと考えを巡らせるリーダーに、クーはあっけらかんと言った。




「スコップ、ないし。落とし穴、諦めよ?」


 ……宿場まで往復一日半。買い出しに行って戻ってくるというのも、非現実的な話というわけではまったくなかったのだが……




 『まあ、そこまでして、だな』




 という空気で満ちたため、巨大落とし穴作戦は惜しくもオミットとなった。

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