第57話 道中にも敵はいる
――アビー、ヒーロ、ハーラン、クーの四人は、森を目指して歩みを進めていた。
依然、対フォレストドラゴンにおける決定打は見つかっていない。今遭遇すれば、敗北しないまでも、撤退は間違いなく――
――撤退が続き、依頼が未達成となれば……おそらく、冒険終了だろう。これは彼らのせいではないのだが、この依頼は既に、『一度失敗』しているのだ。
二度も失敗が続けば、依頼を仲介する冒険者ギルドは面目を失う。その最後の泥を塗った彼ら四人を……引き上げ、プッシュし、売り出したりするようなことを、今後ギルドは一切やらなくなるであろうことは、想像に難くない。
このフォレストドラゴン討伐依頼は、ある意味では、彼らにとって最後のチャンスだ。
だがもし、依頼を達成すれば――レベルは念願の『3』に上がる。
無数のレベル2亡者の海から一歩でも抜け出てしまえば、そこから先、レベル10までは一直線に駆け抜けられるという。その慣性のままレベル20に到達してしまえば、世間からは英雄と讃えられ、高額納税者番付に名を連ねることも夢ではなくなってくる。
人生が変わるのだ。
だからこの冒険は、最後にして最大のチャンスなのである――
「……あれは……?」
夢を目指す四人に随行する監査官、こちらも別の夢を抱くトーコが呟いた。慣れた動作で胸ポケットから双眼鏡を取り出すと、前方を注視する。
ヒーロも素早く、同じように自分の双眼鏡を覗き込んだ。残りの三人は、やや腰を沈め、静止。指示を待つ。
「「……ジャイアントスクウェール……」」
稀に、あることだった。
何の示し合わせもあったわけでもないのに……寸分違わぬタイミングで、一言一句同じセリフを、口から出してしまうことが――
そういった場合、ある種の気恥ずかしさを感じるのが通常であるし、またそれを誤魔化すために、「ゴホン」などと咳を払ったりするのが一般的である。
だが――トーコとヒーロの二人は、どちらにも妙なプライドがあるのか――
……二人とも、咳払いもしなければ、続きを喋ることもなく、ただ黙り、間を作った……!
「この場合、戦ってもいいんでしたよね?」
さてそんな二人の水面下の些細なせめぎ合いなどどうでもいいといった風に(事実ここまでどうでもいいことも滅多にないというくらいにはどうでもいいことだ)、アビーがトーコに声をかけた。声量は最低限に抑えている。
「はい。ジャイアントスクウェールの戦闘可能レベルは3。フォレストドラゴン以下ですから」
メガネを直す動作でさえ、空気を震わせてしまう、それすら惜しむかのように、微動だにせずにトーコは答えた。
――通常、冒険者は、戦闘可能レベルに達していないモンスターと遭遇しても、バトルすることは許されていない。どころか、逃亡・報告が『義務』付けられており、違反すれば割と容赦のない罰則が課せられる。
ヒーロたち四人のレベルは現在「2」。よって、戦闘可能レベルが「3」以上であるジャイアントスクウェールとの交戦は認められておらず、原っぱでただデカいだけのリス公と出くわしてしまったが最後、尻尾を巻いてトンズラするより他に取れる選択肢は存在しない。(実際彼らはこれまでに何度か、同じような局面で、己の無力さに涙を流してきた)
――だが、今回の場合は。
ギルド主催のオーディションに、補欠とはいえ合格した彼らは、「フォレストドラゴン」の討伐依頼を受けさせてもらうことになった。
フォレストドラゴンの戦闘可能レベルは5である。つまり、ギルドが一時的に、彼ら四人のことをを「レベル5相当の戦闘力を有するパーティー」であると、認めたということになるのである。
すると――この冒険の最中限定ではあるが――暫定的に彼らのレベルは「5」と同等に扱われる。即ち、戦闘可能レベル4以下のモンスターとのバトルは無条件で認められるのだ……!
(リスに阻まれ、フォレストドラゴンにたどり着けませんでした、では本末転倒であるのだからして、順々に考えていけばこの措置はあまりにも妥当なのである)
「……ここで会ったが百年目だぜ……! 覚悟しろや、リス公……!」
ハーランの好戦的な発言に、トーコはわずかに小首を傾げ、
「あのジャイアントスクウェールとなにか因縁が?」
「あの個体とではないのですが、まあ、過去に色々と」
アビーがそう答えると、トーコは再び静かに双眼鏡を覗き込み、
「そうですか。まあどちらでも構わないのですが。現在、ジャイアントスクウェールは、ギルドでも度々議題に取り上げられるほど、生息範囲を広げている害獣です。討伐してくださるなら、ありがたいことなのですが」
――「ですが」で繋げられた。つまり、トーコの発言のその先にあるものは――
「無駄な戦闘は回避します。メインターゲット討伐のために、体力の温存をお願いします」
ギンッ、と眼から光をほとばしらせ(ほぼほぼ双眼鏡に吸い込まれたのだが)、トーコは不戦の決断を下した。
「えーっ!?」
思いもよらない急旋回、想像だにしなかった平和主義に、ハーランが声を上げる。
「なんで!?」
「体力温存です」
「いやいやトーコちゃん! リス倒すくらい、何も消耗しねーって!」
そのセリフに、密かにクーもコクコク頷いている。かえって、準備運動になるくらいのものだろう。
が、
「認められません。万が一があります」
「万が一というのは?」
質問したアビーも、ハーランほどではないが逸っていた。彼にとっても、ジャイアントスクウェールは因縁の相手。それに、実戦で体を慣らしておきたいというのは、戦闘員であれば当然の思考だった。何せ彼らは、これまでの冒険人生で、まだ『レイニー・ゲル』と『人類』としか、戦闘経験がないのだから。
「ジャイアントスクウェールは、病原菌を持っています。万一怪我をし、そこから菌が体内に侵入してしまえば、以降戦闘不能となることも考えられます。そうなってしまえば、帰還の判断を下さざるを得なくなる。そのリスクは負えません」
「いやいやいや! 遠いって! そのリスク、遠すぎるって!」
ハーランが両手を広げて説得。するも、トーコは尚も首を振り、
「よく言われることですが、リスクとの距離というのは、当事者が最も誤って掴んでしまうものです。ここは、監査官としての、私の意見に従ってください」
キッパリと。決然と。
言ったトーコのその表情が……男たちのプライドを、軽めに逆撫でした……!
別に四人とも、そこまで絶対に譲れないものではない。
リスとの戦闘くらい。
戦闘したい理由にしたって、「腕試し」程度であり、それが欠けたからといって、致命的な運命の分岐など起こりはしないだろう。
だが――
二つの点で、反論をさせてもらいたい。
一つ。『体力温存』の目的が、フォレストドラゴンの討伐成功確率を少しでも上昇させることにあるのなら――『前哨戦』もまた、トレーニングとなり、勝率を上げることになるのではないか? 検討もせずに『体力温存』を選択するのは、どうなのか?
もう一つ。『万が一』とは言うが……自分たちは、ジャイアントスクウェール程度を相手にしてすら『万が一』を考えなければならないほど、弱いパーティーなのだろうか? それは、理論上、『勝率100%』などと言うつもりは、ヒーロにもアビーにもない。冒険者業界にはこんな言葉もある。「ピンゾロを二連続で振れば、ゴブリン相手にも即死できる」と。元は、古いゲームの用語からきた格言らしいが、要するに、運が悪ければ、どんな雑魚戦でも命を落とすという意味だ。町を歩いていても事故に巻き込まれる確率はゼロではないというのとほぼ同義の内容でもある。ともかく――
――あんなリス公相手に、「万が一、万が一」と連呼されては……いい気分はしない……!
ぶっちゃけ、千回戦ってもノーダメージだ。くらいに、ヒーロやアビーやクーは思っている。それを、万回に広げたときに、噛みつかれることもある「かもしれない」とトーコは言っているのであって、それを否定はしきれないものの、一体、考慮に入れる必要があるのか?
――以上二つの理由から、瞬間的に不満は高まり、四人は同タイミングで唾を飛ばした。
「監査官とはいえ、一方的ですよ! このパーティーのリーダーは俺です!」
「体動かしておいた方がいいですって、体力温存よりも!」
「リスクが怖くてプチ屋にいけるかっつーの!」
「リスの攻撃、かすりもしない、100回戦っても!」
――ハーラン以外の三人は、決して大声と呼ぶほどの大声ではなく、単品でみればそう遠くまで響くような声量であったわけではないのだが――
「あ。逃げていきます。ジャイアントスクウェール」
双眼鏡を覗いたまま、トーコがポツリと言った。
「戦闘は回避できたようですね。念のため、少しここで待機しましょう。ついでに、ご飯にしましょうか」
時刻はお昼。
夕方には、討伐対象であるフォレストドラゴンの生息する、シルワス大森林に到着するだろう。
現在のモンスター戦歴、0戦0勝0敗。