第5話 人には歴史がある
ハーランとクーはまだ夢の中だろうか。ヒーロは家庭教師アルバイトの準備をし始める頃かもしれない。
早朝の利点、それは、二時間のバイトの後でもまだまだ午前中だということである。アビーには夢(『レベル2の壁』を越える)があるのだからして、使える時間は長ければ長い方が当然良いということになる。
簡易的に汗を拭い、部屋には寄らずアビーが向かう先は、首都の北の外れにある道場。
剣の師匠のところである。
『三女神の祝福』がもたらされる前のこと。
ギドという冒険者がいた。
ウルトがまだ王国であった頃、国王オルギア・ウルト四世の元、武術大会が開かれたことがあった。
大陸中から名うての冒険者が集い、技と力を披露する名目のその大会は、誰も何の疑問も抱かずトーナメント方式で、言わずもがな真剣を使用し、『一方が降参するまで戦うべし』という、命を落として当然の野蛮なルールであった。
(現在『死闘』は国際法で禁じられており、命の奪い合いが見世物になることはあってはならないとされている)
ギドはその武術大会に参加した。当時にして戦士レベル68。
(レベルの観念は当時と現在では大きく違い、一般に『マイナス25』で換算すると現在の冒険者レベルにあてはまるという。それでも驚異の43である)
出場人数は8名。一回戦、二回戦と、ギドは危なげなく勝利した。
キルマークもそのまま2つ増えた。
歴戦の冒険者であるギドの信条は、『最速で標的の生命活動を停止させること』だった。一回戦は開始直後の投げナイフ、二回戦はそれを避けたところを胴払いで一閃。どちらも目にも止まらぬ早業で、観客は熱狂した。
だがギドは決勝戦の相手に判定で敗れる。ギドの刃が届く寸前、間一髪で相手の防御魔法が間に合ったのだ。物理一筋だったギドは、魔法も自在に操る勇者ナルタフの〈見えない盾〉を破ることがついに敵わず、決勝戦だけでも死者を出すまいとした王が判定で決着させた。
――六十年ほど昔のことである。当事者も存命だし、記録は正確だ。四年に一度程度の間隔で、当時の人命の損失を罪として訴えようとする者が現れるが、今のところ勝訴した例はない。
「師匠、おはようございます」
首都の北の外れの古い一軒家。道場とは名ばかりの、20平方メータルの庭があるだけの敷地。
「おう、来たか」
そこに暮らす眼光鋭い老人こそ、アビーの剣の師匠であり――
件のギドである。御年九十五歳。
いつ奇跡の範疇からこぼれてもおかしくはないのだが、ヒヤヒヤする弟子をしりめに、毎日浴びるほど酒を喰らう。それもキっつい度の。
「不満気なツラだな。なんかあったのか?」
師の洞察力はもはや異能力。そう心得ているアビーは、
「実は昨日――」
と、ジャイアントスクウェールと遭遇し、悔しい目にあったことを包み隠さず説明した。
「……なんでリスが、ゴブリンよりレベル高いんですかね……?」
ため息ついでに聞いてみると、
「ジャイアントスクウェールはすばしっこいからな。パーティー構成によっちゃあ、攻撃を当てることすら一苦労って場合がある。それに個体差もある。お前の話を聞く限り、そりゃ小せぇヤツだ。一度、牛くらいのを見たことがある。そこまで育てば逆に、これがレベル3の相手かよと思うだろうぜ」
師はただの戦士ではなく、モンスターマニアな面もある。
曰く、『知識が刃を鋭くする』
「リス公と戦えないのは不便かもしれねえが、ゴブリンがいなくなって、世の中的にはずいぶん良くなったんだ。俺がガキの頃には、群れが人を襲うとかザラにあったからな。今の冒険者は困ってるんだろうが、女神の祝福さまさま、グルメブームさまさまだと俺なんかは思うがね」
女神の祝福というのはこの場合「冒険者人口の増加・冒険の死亡率低下」を指す。その二つは間接的にゴブリンの個体数を減らした。
ではグルメブームというのは何か?
それこそがゴブリン絶滅の直接的な原因なのだ。
ゴブリンの生態はよくアリに例えられる。一匹のクイーンから大量の子が産み落とされ、群れが成熟するとそこからさらに数匹のクイーンが独立し、新たな群れを形成する。
※御伽噺や都市伝説に聞く「人類との異種交配」は、山賊や野党の類を『ゴブリン』と蔑称したのであろうという見方が現在有力だ。どちらにせよ、いたとしてもそれは、冒険者ギルドが認定しているゴブリンとは別物ということになる。
さてゴブリンはさらに細かく分けられる。上位種にゴブリンキングやウィザードゴブリン、ゴブリンクラフトマンなどが様々にある。このランクは片言の人語を解している場合が多い。
最下級のゴブリンやホブゴブリンは、正しく2:6:2の法則に従う、その他大勢である。知能は低く、統率者がいなければ臆病でもある。
『三女神の祝福』のおよそ十年前。ポータブルライセンスをはじめとした発明品がガンガン量産され流通していった『魔具革命』もまた、冒険者の生還率を飛躍的に上昇させていた。
二つが合わさり、クエストから安定して帰ってくるようになった冒険者たちは、これといった依頼がないときには、なぜか必ずと言っていいほど、とりあえず町とゴブリンの巣を往復した。
五年足らずで、9割超のクイーンが狩られたと見られている。
だが本来、それでも簡単にゴブリンは消えてなくならない。というのも、クイーンは並ゴブリンの中から突然変異で誕生するのだが、種を存続させるための安全装置なのであろう、種族全体の個体数が減少するほどに、クイーンの発生率は上昇するのだ。
……なのに。
自らを『味人』と称する料理冒険者ロザンの著書『半自給自足生活』が、流行仕掛人ラシュラムの推薦図書になると、世は一気にグルメブームになだれ込む。合言葉は「これからの時代、獲物は自分の手で狩ろう!」
そして本の冒頭で特集された『材料費0! ゴブリンレシピ』に最も注目が集まり、冒険者ギルドには『ゴブリン討伐依頼』が溢れかえることになる。
だけでなく――
一般の商人や料理人までもがゴブリン討伐に乗り出してしまったことが、このブームの最大のポイントであった。魔具革命により、数人の一般人がゴブリンに勝つことは、既に当たり前だったのである。
追い打ちをかけるように、二匹目のドジョウを狙った本が広まる。『ゴブリンに捨てるところ無し』『ゴブリン皮パッチワークのススメ』『骨家具シリーズ~ゴブリン、その醜悪さと裏腹な純白の輝き~』などなど。
当時、狩りの対象をゴブリンに集約するのが、なにかと効率的だったのだろう。
人類は熱に浮かされたように、ゴブリンを追い求めた。その結果――
現在では、どの洞穴にも漂っていない。あの懐かしい腐臭は……!
※ちなみにゴブリン肉の評価だが……無論、調理法や個人の好き嫌いに左右されるも、総じて「狸肉よりもやや美味」程度に落ち着く。全体として脂にクセはあるものの、狸肉のようなまとわりつくクドさではなく、かといって鹿肉よりは野趣が強い。
そのため、いなくなればいなくなったで別の食材を求めるだけで、ゴブリンの味を今でもあえて求める者など、ほとんど居はしないという……! 嗚呼……!
「んな話はいいか」
ギドはポンと膝を叩いた。
「始めな」
「はい!」
返事をするとアビーは、縁側に座るギドからよく見える位置で、剣を構えた。
このまま三時間ほど、微動だにしない。
我が師は本物だとアビーは常々思う。すぐに小手先の技術を仕込もうとする剣術講師はいくらでもいる。
ギドはそうではない。まさしく彼の現役時代の信条、『最速で標的の生命活動を停止させること』を、それに必要なことを教えてくれる。この修行もそうだ。
動のために静を練る。
一ヶ月や二カ月では時間の無駄にしか感じなくとも、年単位で続けていると意味が違ってくる。
それに、ギドの弟子は現在自分一人だけ。彼に出会えたのはこれ以上ない幸運だったとアビーは考えている。
師は一流。稽古も一流。
ならばいつまでもくすぶっていては……申し訳が立たない!
だが……いかに努力量が人並以上であり、そして方法が正当だとしても。
それで必ず成功するとは、限らないのだ――