第4話 貧乏人にも居場所はある
リス鍋に感謝を述べ、色のついた報酬をありがたく受け取ると、四人は帰宅した。道中早歩きで飛ばしはしたが、到着したのはどっぷり深夜をまわった頃だった。
四人が住む首都ウルトは百万都市と呼ばれている。が、実際はその倍はいると言われており、それは多少盛られていたとしても、百万人よりは二百万人の方が近そうだぞというのが、住民たちの肌感である。
官庁や高級住宅が立ち並ぶ一帯を円の中心とし、東西南北放射状に区画が仕切られ、その外側をぐるりと壁が囲む。
外縁部が貧民街で、中心へ行けば行くほど閑静、というよくある作りの都市だったのは――今は昔。
とにかく人が増え建物が増え、現在では、一握りのエリア以外、これでもかというほどに雑多だ。高級住宅の裏手に激安アパートが立ち並んでいたりする。こうなってくると静寂が欲しいのであれば郊外へと移るより他ない。
だが、貧困層も富裕層も、去る者は少ないのだという。
それは深夜でも眠らず、一年中体温の下がらない都市の活気がポジティブなエネルギーに満ちており、そしてまた、人口の密集が次から次へと新たな出会いと刺激を生み出すためであろう。
時の女神の祝福により、人類の多くは、肉体的にだけでなく『気』も若い。八十からでも一攫千金を夢見られるこの時代、老若男女問わず誰もが都市へと群がってくる。
そしてまた――ここウルトには、無数の『求人』がある。
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「……ん」
早朝。目を覚ますとアビーの視界一杯には木の板が広がる。
三段ベッドの天井であり、床。アビーは一番下の段だ。
というのも、魔法戦士三人戦士一人のパーティーで、メイン戦闘員を張るアビーは、身長178セルチと特筆して高くもないのだが、固定観念により最下段に割り当てられたからだ。
最上段で高いびきのハーランは放っておくといつまででも寝ている。中段のクーは寝息も静かだが、仕事が夕方からなので、起こすのは忍びない。
三段ベッドから外れて床で寝るヒーロは、なぜなら勉強家だからだ。毎晩寝落ち寸前まで専門書などを読みふけっている。なのでベッドを譲り、自ら床を志願した。最年長者としての矜持もあったのだろう。
アビーは三段ベッドから這い出ると、ヒーロを踏まないようにまたぎ、部屋を出る。
決して広くはないが、四人が横になれて荷物や服や装備も置ける。鍵がゆるゆるで蹴りの一発で外側からでもドアが開くことを除けば、悪い住処ではない。とアビーは思っている。
家賃は格安。トイレとシャワー共用(シャワーは15分で50レンのコイン式)。
大家は一階に住んでいる。滞ることなく月末に家賃を渡せると、台所の木箱からワインを一本持って行って良いことになっている。それが少し嬉しい。
アパートを出て、朝日を浴びながら顔をこすり、目の前の道を右手に曲がり、数十歩すれば大通り。
さて今日も朝から仕事だ。そんなアビーの同類たちが、きびきびあるいはだらだらと、通りの両端を歩いている。
昼には人出が倍になり、夕方から夜にかけて、そのさらに倍となる。
ここは繁華街のど真ん中。
「おはようございまーす」
声を出しながらアビーは思う。早朝一発目の挨拶は重要だ。
「いつもどーもー」
四本ある腕の一本を軽く上げて応じてくるこのバルーガ族のご主人は、朝に強くない。仕事なので仕方なく足を引きずり、日光の下に出てきているのだ。
そんな相手に「おはようございます!!」は満点の回答になるだろうか?
アビーはそうは考えないため、あえて六割程度の「おはようございます」を出している。
「じゃはじめますねー」
「おねがいしまーす」
あくびを噛み殺すご主人の隣に小さな馬車が停まっている。
アビーの仕事は馬車の中の荷物をまず一旦地面に下ろし、そして指定された店へと運ぶことである。
というのも、ここ首都ウルトの繁華街は狭い路地が入り組んでおり、小型の馬車でも入っていけない裏通りがあちこちに存在している。そういったエリアでは、人力で運ぶのが結局一番効率が良いのだ。
アビーは筋トレも兼ねて、このアルバイトを三年間ほぼ毎朝こなしている。
最初のうち、仕事に慣れるまでは色々あった。「こっちはもういいよ」と、ご主人に荷物を半分取り上げられたことは本当にショックだったし、道端で寝そべる酔っ払いに「朝からうるせえぞ!」と怒鳴られたときは思わず飛び上がったものだ。
今やアビーも三年選手。判断力も培われた。ここは速さと判断すれば、小脇に荷物を抱えて駆け抜け、酔っ払いの視界から風のごとく消える。ここは量だと判断すれば、四本腕のご主人でさえ「やるなあ」と呟く量を肩に担ぎ、いちどきに運びきる。
なんとなく、スポーツでいえば攻撃と守備、どっちもやっているようなイメージで、アビーは体を使い分けている。
そしてまた、繁華街に顔見知りも増えた。
「おはようございまーす。ここ置いときまーす」
狭いバーの裏口を開けて、定位置に箱を下ろしたアビーに、
「いつもありがとアビーちゃーん。今度飲みに来なさいよ。サービスするわよー」
「あざっす、じゃ、ハーラン誘ってまた来ますー」
今声をかけてくれたのは、男性のお姉さんである。ちなみに彼女……は誰にでも同じように声をかける。別に身の危険を感じたことはないし、飲み代も本当に安い。
また別の店でも、
「ふわぁ……キミがいるってことは、もうそんな時間かぁ……」
「お疲れ様です。荷物入れときますね」
「おつかれ。おやすみー」
このエルフバーのお姉さんは、朝は耳が長くない。
以前こんな事をボヤいていた。
「なにがサギだっつーの。こんな安い店のエルフがホンモノなわけねーだろっつーの」
なあ? と突然振られたアビーは、咄嗟に「ホントっすよね」と返した。
そのシンプルな同意がなぜだか良かったらしい。以来顔を合わす度に、一言二言会話を交わす仲だ。
……などなど。
アビーはクーのように、ファーストインプレッションで必ず勝利するタイプではないが、三年間毎朝汗を流しながら路地を駆ける少年に悪感情を抱く者はおらず、あちこちの店から気さくに声をかけてもらえるような存在、この繁華街の朝の顔になってきているのだった。
路地を往復すること二十回、三十回……時間にして一時間ほど。肩で息をするようになった頃、一度目の荷物の山がなくなる。
息を整えながらしばらく待つと、同じ馬車をもう一度荷物で一杯にし、ご主人が再びやってくる。今度は通りの向こう側に停められ、そちらサイドに配送する。
えっほえっほと荷運びしながら、計二時間の間に上昇する気温はばかにならない。全てを運び終える頃には、滝のように汗が流れている。
というのも本来三時間の仕事量を圧縮しているからでもあった。
ハイペースをキープして、肉体追い込み続ける。この配送の仕事は、アビーにとって理想的な朝のトレーニングでもあるのだ。
そしてお給金も頂ける。二時間労働で三時間分なのだから、それもまた嬉しい。一時間巻きで帰れるご主人も上機嫌なわけで、ウィンウィンのウィンである。いや、本来ならば若者二、三人を雇うところを、一人分の人件費で済んでいるわけだから、ウィンウィンの二乗だ。
「終わりましたー」
「ごくろうさまー。またよろしくねー」
雇用主と労働者、別れ際はいつも笑顔。こうありたいものである。
こうしてじんわりとした達成感に包まれながら、アビーの一日は始まる。
早朝二時間(三時間)のこの仕事、一ヶ月でおよそ11万レン。
わりとなんとか、生きていける額だ。