第39話 以前と同じルーティンがある
『もうほぼ辞める気満々だった仕事を、また続けることになる』
――これはキツい――
ずっと続けていたときよりも遥かにキツい。
これが終わったら楽になると。自由になると。そして何をしようと。どういう階段を上がって行こうと。有名になったら何をしようと。お金が貯まったら何を買おうと――
なまじ夢や希望が……無限に膨らんでしまっていた分、その全てが泡と弾け、そしてまたあの重さや肌にまとわりつく湿度、流れる汗、それらの『現実』を再び実感したとき、全ての感覚は『これが永遠に続くのではないか』という『絶望』に直結してしまうし――
――悪いことにまた、アビーはイメージトレーニングが得意な男であったのだからして、夢と現実、そのギャップによるダメージは、普通の人よりもさらに数倍してしまうのだった――!
あの日はまだよかった。補欠合格という理不尽な仕打ちへの怒り。突然のクーの失踪からの帰還、ゴリアンの完食。などがあり、まだ、「全てが確定してしまったかんじ」は薄かったわけで、「帰ってみるまでまだわからない」という思いがあったため、まだなんとかなった。耐えられた。
だが――クーが『月の牙』の同行することになったと伝えられ。今回の件で、自分がレベル3に上がることはなくなったことが確定し――
――どんな思いでアビーは体を引きずり、早朝バイトへ向かったのか!?
これはまさしく……『筆舌に尽くし難かった』……
「いつもどー……! …………大丈夫ですかー? 風邪とかですかー? 顔色、悪いですよー……?」
バルーガ族のこのご主人が、四本腕を全部使って、こんなあたふたとリアクションをするのをアビーは初めて見た。
しかしそれを『初めて』と認識するほども頭に余裕はなく。
「大丈夫です、風邪とかじゃないです」
とだけ答える。その声は、驚くほどに低く、低く……地獄の底から響いてきたようだと我ながらアビーは思った。
早朝の運送バイトの雇用主、バルーガ族のご主人は、こう見えて八十代である。そもそも人間族の倍ほどの寿命の種族であるし、女神の祝福のおかげで鬼のように若々しいが、『百万都市』と呼ばれる都の繁華街の中心で、長年商いを続けてきた人物である。人生経験は言わずもがな豊富も豊富だ。
※また、種族としてバルーガ族は、人間族よりもだいぶ魔界に近いと言われている。だからこその四本腕でもあり、魔族の遠い親戚なのではと唱える学説もある。そして肉体的にだけではなく、魔界との距離は往々にして、精神構造にも影響を与えていたりもする。(当然同一種族の中にも個体差は大きくあるので、〇〇という種族は全員一律で好戦的、などという極端なことにはさすがに中々ならないのだが、クーの一族のように、『ほとんどの人はなんとなく他力本願』くらいの共通した傾向はあったりすることも多い)
よって、このご主人。見た目と違い(見た目でどんな印象を抱くかは人それぞれではあるが)、『若者の負の感情』に対して、非常に懐が広かったりする。
要するに、多く見てきたとも言える。この首都ウルトで、夢を追い、夢に破れた若人たちを。
だからといって、判に押したように同じ対応をするわけではもちろんないのだが、ご主人はそれ以上アビーに何も言わず、素知らぬ顔でいつも通り接した。
むしろ逆に、いつもより、ちょっとだけ荷物を多くした。これが、遠回しなご主人なりの配慮であった。
その甲斐あってか――始めはどろどろと自動思考する雑念に塗れていたアビーの脳であったが、徐々に『体を動かすこと』に指令が占められてゆき、知らぬ間に一心不乱に物を運ぶだけのマシーンにアビーはなり下がっていた。
いや――『なり上がっていた』
いつも通りのおよそ二時間後。今朝の業務が終了し、ぜーはーと肩を大きく上下させるアビーに、
「ごくろうさまー。ゆっくり休みなねー」
と挨拶をして、ご主人は帰っていった。
「またよろしくね」を言わなかった。
無論、アビーはそのことに気づかなかった。が、もし言われていたなら、『そう言われたこと』に、気づいてしまっていただろう。
仕事とはいえ、約三年の付き合いなのだ。ご主人は口数が多くはないが、アビーのことを応援している。末を案じて下さっている。
「にしても残念だったな。ま、しょうがねえよ。次だ、次!」
師匠の道場。とは名ばかりの庭。
剣を構え、微動だにしない(と自分では思っている)アビーに向かって、ギドはカンラカンラと笑いながらずけずけと物を言う。
「俺は推したんだけどな、おめーらのパーティーを。でもなあ、師匠だからよお。弟子贔屓に見られても逆効果だってんで、若干控えたなんだよなあ」
一度キセルをくわえ、ぷかりと煙を吐き出しながら「それによ」とギドが続ける。
「ナルタフの野郎、いただろ? 今はノディマスで通ってるが、結局のところ、あいつの意見が一番強いんだよ。実際にプロデュースするのはギルドだし、あいつにゃ実績もあるしな。そこいくと、俺はただの客、あくまで戦闘を評価するだけの専門家ってだけの立ち位置だからなあ。ぶっちゃけ、ギルドが俺の言うことを聞き入れる義務なんかありゃしねーんだわ」
珍しく饒舌なギド。理由は二つあった。
一つはもちろん、アビーのため。消沈する弟子に対して、ギドは「ちょっかいをかけて忘れさせる」手法を選んだのだ。バイトのご主人とは真逆のやり方であるが、それがかえって両面からバランス良く働きかけそうである。
もう一つは、この前、しゃべり足りなかったのだ。
かつてのライバル……というほど因縁があったわけではないが、一度は本気でやりあった相手、勇者ナルタフ(現ノディマス)。最近の冒険者には古く映るかもしれないが、全力で戦った二人には、やはり一種の友情のようなものが流れてはいる。
それはギドだけでなくノディマスの側でも同じく感じている。が……性格と、役職が違う。
ギドより十歳ほど若いノディマスは、冒険者資格を返還し、現在ではギルドの要職に就いている。主な業務は若い冒険者のプロデュース、ギルドの広告塔を作ることであり、それは右から左に書類を流せばいいという仕事ではない。言うなればむしろ業界の最前線だ。無論、激務である。
だから、合格者を最終決定する会議の場で昔話に花を咲かせる暇もなかったし、「この後一杯どうだ?」という老戦士の誘いも断ったのだ。
ギドとて大人だ(どころか御年九十五歳)。事情は理解している。だが、元々の性格的にやや子供っぽい部分のあるこの老人は、「なんだよなんだよ、そんなに俺と話すのは嫌かよ」という、いじけた感情も多少抱いていたのだ。
その不満を、弟子にぶつけているというわけであった。
「だがよー、アレだよな、矛盾してるトコあんだよな、あいつも。冒険者は危険と隣り合わせの商売、一番必要なのは力だ、とか抜かしてやがるくせに、いざ合格者を選ぶ段になって、やれ容姿がどうの、カリスマ性やフックがどうの、最優先は話題性だだの、細けぇことをごちゃごちゃと……」
「……師匠。少し、静かにしててもらえませんか?」
構えを解き、さすがに多少ムッとしたアビーが不満を漏らすと、かえってギドは楽しそうに、
「続けろ続けろ、ようやくお前も次のステージに上がったってこった」
「なんすか次のステージって?」
「邪魔が入る状況だよ。いいか、実戦でな、集中の時間を用意してくれてることなんかまずねーぞ? いつだって複雑なんだ。仲間が危ない、天井が崩れてくる、急がなければ毒が回る、ここを切り抜けたら次はあっちのフォローに走って……と、そういった色~んなことに気を取られながら、それでも全力を出さなきゃいけねえ、それで勝てるようになってこそ一人前なんだよ」
「……わかりましたよ……!」
「で、そもそもナルタフの野郎はよ――」
再度ベラベラとしゃべり出す師匠。
アビーは観念した。元々、口でもこの師匠には敵わない。何を言っても言いくるめられるに決まっているのだ。
ここはもう黙って耐えるしかない。……イライラするけど!
師匠をこんな風に思っちゃいけないんだろうけど、ムカつくけど!
怒り。一時的だが強いその感情に支配されたアビーは、束の間、絶望を忘れた。
結果論ではない。ギドはこれを狙っていたのだ。
ギドは自分が嫌われたりすることを何とも思わない器の大きさがある。(先ほどのいじけと矛盾するようだが、矛盾せずにこの二つは同居するのだ)
自分に怒りを向けさせることでアビーが楽になるのなら。今日の稽古に打ち込めるならそれでいい。
『慰めている側』が満足するような慰めに、何も意味などないないのだから。
バルーガ族のご主人も、師匠のギドも。二人ともそこがわかっているので、やはりアビーは恵まれている。