2 魔王の指輪
現れた指輪は中空に浮いていた。
『それは『身代わりの指輪』という』
説明する魔王。
『名前の通り、装着者が致命傷を負った際、一度だけ身代わりになり、ダメージを肩代わりしてくれるというものだ』
「身代わりの指輪……」
つまり、一度だけ死を無効化できるわけか。
『ただし自然死には無効だ。気をつけよ』
言って、魔王の眼窩の奥がふたたび輝いた。
『そして、もう一つ渡すものがある』
「何?」
『今のは純粋な贈り物。これから渡すものは、汝に対する頼み事でもある』
俺の眼前で黒い輝きが弾けた。
出現したのは、血のように赤い色をした鍵だ。
『レムセリアの遺跡の中には、侵入者防止用の迷彩魔法が施されたものがある。この鍵があれば、迷彩を突破して内部に入ることができる』
「遺跡に……?」
魔王の説明に俺は眉を寄せた。
『汝はレムセリアの遺跡に行き、力を磨くすべを探すつもりだったのであろう?』
確かに、そうだ。
もともとリジュ公国にやって来たのは、マイカ戦で目にした【光】と【闇】の混合術式──【混沌】に対抗する手段を身に着けるためだった。
マイカがその術式を使えるなら、ユーノも使えるかもしれないからな。
いくら前回の戦いでは圧勝しているからといって、油断はできない。
奴は、やはり選ばれた勇者で──しかも魔王退治の英雄だ。
なんらかのきっかけで、強大な力に覚醒することだってあり得る。
その遺跡に入るための手段が得られるなら、俺にとっては利になることだが──、
「狙いはなんだ? 『頼みごと』と言ったな。お前が純粋な厚意で俺に鍵を渡すとは思えない」
『厚意、か。いや、余は汝に好感を抱いておるぞ。人間など等しく嫌悪と憎悪の対象だと思っていたが、汝はなかなか面白い精神構造をしている』
魔王が笑った。
……こいつに気に入られても嬉しくはない。
『一から十まで余を信じろとは言わぬ。だが、余にとって汝の存在は必要だ。我が配下たちでは、祭壇の第一起動すらままならなかった。の祭壇を最終起動まで持って行くためには──そして、その力によって余自身が復活を果たすためには。強大な【闇】を備えた汝と手を組むのが一番合理的だ』
「罠にかけるようなことはしない、か」
俺は黒い髑髏を見据えた。
「少なくともお前の望みが叶うまでは」
『そうだ。余は汝を利用する。だから汝も余を利用せよ。取り引きとはそういうことだ』
と、魔王。
『持ちつ持たれつ、ということわけだな』
「で、お前の頼みごとというのはなんだ?」
『遺跡で、あるものを手に入れてほしい』
魔王が言った。
『汝の【闇】で祭壇を最終段階まで起動できれば、それに越したことはなかった。だが、実際には第一段階の起動に留まっている。この先の段階へ行くために必要なものが、遺跡に存在する。汝にはそれを持ってきてほしいのだ』
「遺跡の中に……か」
『実体を持たぬ余には不可能だ。遺跡内には数多くの罠や強力なモンスターが潜んでいるが、汝の力なら可能であろう』
魔王が説明を続ける。
『そして遺跡に行けば、汝の求める力も手に入る。【光】に対抗する手段が──な。レムセリアにおいても【光】と【闇】の術者同士の戦いはあった。今から行ってほしい遺跡には、その戦術の記録が存在する』
対【光】用の戦術──。
ユーノとの戦いに備え、会得しておきたい。
ただ、魔王の言葉をどこまで信じるか。
どこからが、奴の思惑なのか……。
「──分かった。行ってみる」
俺は黙考の後、返答した。
「クロム様!?」
驚くシアとユリンに、俺は静かに告げた。
「ユーノへの復讐を果たすために、必要なことだからな。遠回りに見えても──確実に奴に打ち勝ち、確実に復讐を遂げる──その目的のために」
もっとも、その結果として魔王を復活させるわけにはいかない。
上手く立ち回る必要はあるだろう──。
「じゃあ、鍵をもらうぞ」
俺は中空に浮かぶ赤い鍵に手を伸ばす。
ばぢぃっ!
鍵に触れたとたん、しびれが走った。
突然、視界が切り替わる。
断片的な映像が次々に浮かんだ。
さっきの、レムセリアの浮遊大陸。
神殿らしき場所で祈りを捧げる、大勢の人。
暗い部屋に集まった数人の男女。
彼らは闇に包まれ、その姿を変質させ──。
そのうちの一人は、魔王ヴィルガロドムスそっくりの姿へと変じた。
「これは……!?」
驚く俺の視界は、ふたたび元の景色に戻った。
今のは夢か、幻か。
それとも……。
『どうかしたか、クロム・ウォーカー?』
魔王が訝しむようにたずねた。
どうやら、さっきのは奴が意図的に見せた光景じゃないらしい。
鍵を通して流れてきた映像──。
それがなんなのかは分からないが、とにかく俺は遺跡の鍵を握り締めた。
さあ、出発だ。