10 黒の位相3
「そいつはどこにいる?」
俺は【奈落】にたずねた。
『随分と執心のようだな。汝に縁のある者か?』
「どこにいるのかと聞いている……!」
声が、自然と震える。
ユーノがここにいるのか?
『会いたいのであれば、飛ばしてやろう』
と、【奈落】。
「俺は──」
戦術的な面から考えれば、まだ会うべきじゃない。
俺はまだ、奴と戦う準備を整えていない。
だから、ここは──。
「……飛ばしてくれ」
自然とその言葉が口から出ていた。
戦術など知ったことか。
今の俺の力と、あいつの力がどうなっているのか……知ったことか。
ただ、会いたい。
会って確かめたい。
あのときの、真実を。
あいつ自身の口から語られる、真実を──。
いつの間にか、俺は荒野から別の場所に立っていた。
無数の墓標が並ぶ、小高い丘。
初めてこの世界に来たときの場所だ。
側にはラクシャサの姿。
そして、丘の向こうには長身の人影があった。
金髪碧眼の秀麗な容姿が、さわやかな雰囲気を漂わせている。
身に着けているのはきらびやかな甲冑。
風にたなびく真紅のマント。
手にしているのは、芸術品と見まがうばかりの美しい長剣。
「お前は……!」
忘れもしない。
忘れるはずもない。
この二年間、毎日思い描いた男の姿だ。
この二年間、毎日憎み続けた男の姿だ。
「お前……は……っ!」
俺の全身から黒い鱗粉が噴き出した。
通常なら、スキル範囲内に敵がいない限り、可視化はされない【闇】のエネルギーが。
俺の気持ちの高ぶりに合わせてのことなのか、それとも【光】を持つあいつは特別なのか。
「君は……まさか……!?」
ユーノもまた、俺を見ていた。
呆然とした顔だ。
「久しぶりだな、ユーノ……!」
俺は一歩一歩近づいた。
「クロムくん……なのか?」
ユーノはまだ呆然とした顔で立ち尽くしている。
「ああ、随分と面変わりはしたかもしれないが、俺だ」
歩みを、さらに進める。
視界に現れた対象との距離を示す数字は30──効果範囲までは、あと20メートルだ。
「お前に裏切られた男、クロム・ウォーカーだ」
『ふむ、ラクシャサを従えているとは。かなり強力な【闇】の宿主だぞ、マスター』
ユーノの側で声が響いた。
黄白色の輝きが弾け、ずんぐりと太った男の姿が現れる。
『ヴァーユ……!』
ラクシャサがうめいた。
「知ってる奴か?」
『【光】の端末の中でも、かなり厄介な者です。今はまだ大きな力を持っていませんが、もしも【光】の宿主が覚醒すれば……」
「生きていたんだね、クロムくん……」
ユーノがかすれた声でうめいた。
「お前も元気そうで何よりだ。今や魔王退治の英雄様だそうじゃないか」
鼻を鳴らす俺。
「ほ、他のみんなも君のことは気にかけていたんだ。やっぱり仲間だったからね……」
どの口が、言うんだ。
力を得るために、俺を生け贄にしたくせに。
恋人だった女を、俺から奪ったくせに。
「だろうな。すでに何人かとは旧交を温めさせてもらった」
俺は一歩近づいた。
……あと17メートル。
「ライオットは非道な領主になっていたな。気のいい兄貴分だった奴が……権力を手に入れると、人は変わるということか」
「粗暴なところもあるけど、根は優しいんだよ。ライオットくんは」
「そうか。そいつは悪いことをしたな。俺の力で跡形もなく消し飛ばしてしまった」
さらに、一歩。
……あと16メートル。
「ヴァレリーは魔導を極めるために人体実験を繰り返していた。あいかわらずだったよ。だが、被験者たちの苦しみを見ていられなくて、な。魔力を奪い、二度と研究ができないよう拘束した。奴はもう表には出てこない」
「ヴァレリーさんを……!? あの人は君の師匠だろう!」
この期に及んで非難めいたことを言うユーノ。
まったく……人の神経を逆なでするのが上手い奴だ。
俺を苛立たせようという計算なら、ここまで腹は立たない。
こいつの場合、本心から言っているのが、なおさら癇に障るのだ。
どこまでもおめでたく、どこまでもお気楽で。
どこまでも──自分本位なこいつに。
「イリーナにも会ったぞ」
「っ……!」
ユーノの顔色が変わった。
こいつとイリーナは婚約しているという話だった。
そのイリーナの行方が分からず──まあ、俺があの女を魔獣に変えてしまったからだが──ユーノは相当心配しているのだろう。
「か、彼女は無事なのか!?」
「最高司祭の地位を得るために、他の男に抱かれていたようだ。逆上したそいつに殺されそうになったり……聖女様はあいかわらずのご様子だな」
「他の男に……?」
ユーノは一瞬、何を言っているのか分からないといった様子で眉をひそめ、それからハッとした顔で叫んだ。
「う、嘘だ! 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ! 彼女は僕だけのものだ! その辺のふしだらな町娘とは違う! 純潔だって、僕に捧げてくれたんだぞ! 他の男になんてなびくもんか!」
「純潔?」
いや、イリーナは恋人時代に俺と何度となく肌を重ねたんだが……。
もしかしたら、ユーノには『あなたが初めてです』とでも嘘をついていたんだろうか。
「そ、そうか、君は僕を惑わすために、そんな嘘を……卑劣な罠にはかからないぞ!」
手にした剣を振り、ユーノが叫んだ。
「僕の恋人は──イリーナは、この世でもっとも清らかな女性! 絶対に僕を裏切ったりしない!」
……あの女の本性を知らない方が幸せかもしれないな、こいつにとっては。
まあ、それは些末事だ。
「イリーナが無事か、という質問なら──答えはイエスだ」
俺はニヤリと笑った。
「ただし……お前が知っているイリーナはもうどこにもいない」
「どういう……意味だ」
「俺が、あいつにふさわしい姿に変えてやったのさ」
一泊置いて、奴を見つめた。
不安げな顔。
心配そうな顔。
そんな表情を見ていると、嗜虐心でゾクゾクする。
憎しみが、黒い悦びへと昇華されていくのを感じる。
もっと怯えろ。
もっと震えろ。
怒れ。
悲しめ。
そして、絶望しろ。
かつて俺がお前に受けた苦しみを、今度はお前が味わえ──。
「醜い魔獣にな」
「う、嘘だ……嘘だ……騙されないぞ!」
ユーノは愕然とした顔になりながら、首を激しく左右に振った。
「残りは三人。お前とファラ、マルゴだけ──」
俺はさらに近づいた。
彼我の距離は13メートル。
「破滅のときだ、ユーノ」
……いや、一思いに殺すのは生ぬるいな。
さて、こいつにはどんな『罰』がふさわしいだろう。