4 森の中で
「夜になると魔物を呼び寄せる──ということは、奴のところにたどり着くまで野宿したほうがいいな」
俺はシアとユリンに言った。
町中で宿泊すると、呼び寄せた魔物が町を襲う危険性がある。
「大丈夫。あたしも一緒にいるから危なくないよ、ユリンちゃん」
シアがユリンの手をギュッと握った。
「俺のスキルがあれば十メートル以内の敵は全滅だ。シアの助けが必要になる場面はないぞ」
「敵襲に関しては心配してませんけど、その……」
ちらっと俺を見るシア。
なぜかジト目だ。
「クロムさんは男性ですから」
「……まさか、俺がユリンによからぬことをしようとしている、なんて言うつもりじゃないだろうな」
「だって、ユリンちゃん可愛いじゃないですか」
「そ、そんな、私なんて……シアさんのほうがずっと美人です」
「可愛いってば。自信持ちなよ、ユリンちゃん。メイド服もよく似合ってるし」
「あ、この服装は趣味なんです……えへへ」
照れ笑いするユリン。
「でも、そんな可愛いユリンちゃんだから、多くの男の欲望にさらされる危険性は見過ごせないのよ」
いきなり真顔になるシア。
「いい? あたしの姉さんはことあるごとに言ってたの。『男はみんなケダモノ』『男はみんな性欲魔人』って。ユリンちゃんも気をつけなきゃだめだよ」
「男はケダモノ……性欲魔人……」
シアの言葉を繰り返すユリン。
それは偏った男性観だと思うが──。
「ということは、クロムさんは私の体をご所望だったのですか……!?」
ユリンがハッとした顔で俺を見た。
「いや待て。話が妙な方向に進んでいる」
どうにも、調子が狂う。
夜が、深まっていく。
俺たちは三人で並んで寝ていた。
俺が真ん中で右隣がシア、左隣がユリンという並びである。
「どうした、眠れないのか?」
小声でユリンに問いかける。
ちなみに、シアのほうは静かな寝息を立てていた。
気配からして、ユリンは目を覚ましたままのようだ。
気持ちが高ぶって眠れないんだろう。
「その……研究所を逃げ出してから数日間、ずっと魔物におびえながら夜を過ごしてきたので」
ユリンも小声で答える。
「俺が側にいるから安心しろ。どんな魔物でも、近づく前に死ぬ」
答える俺。
「俺の側にいるかぎり安全だ」
「……クロムさんは、ヴァレリーを倒しに行くのですか」
ユリンが上体を起こした。
暗がりの中で、俺を見つめる気配がする。
「お前にとっても恨みのある相手だな。だが、奴は俺の復讐対象だ。悪いが譲るつもりはない」
「い、いえ、そんなつもりは。私は復讐ということは考えてません」
ユリンが首を振ったようだ。
「もしかして、クロムさんもヴァレリーの実験を受けたのですか?」
「そんなところだ。おかげで死にかけたし、魔力もすべて失った」
俺は説明した。
あの呪術の目的は勇者ユーノを強化することだった。
だが、ヴァレリーにとっては実験も兼ねていたんだろう。
「俺のスキルはその副産物だ」
「すみません。詮索したみたいになってしまって……」
「いや、いい。とにかく今日からは安心して眠れ。お前の体に施された呪術を解除できるかどうかは分からないが、可能性はある。まずは奴の元へ行き、手立てを探すんだ」
「……ありがとうございます。お優しくしていただいて」
ユリンは微笑んだようだった。
「俺が──優しい?」
違う、今の俺は復讐のことしか考えていない。
ユリンを助けたのは、確かに襲われている人間を見過ごせない気持ちはあったが、研究所の案内を頼めるという利を取ったまで。
その、はずだ。
「俺は……」
つぶやいたところで、寝息が聞こえてきた。
今度こそ、ユリンは眠ったようだ。
きっと疲れがたまっていたんだろう。
あっという間の入眠だった。
……俺も、しばらく眠ろう。
ヴァレリーへの復讐──その英気を養うとするか。
明け方になり、目が覚めた。
空はまだ暗い。
日の出までもう少し、といったところか。
「……クロム様」
シアもすでに起きていたらしい。
ユリンの方はまだ眠っている。
「なんだ?」
「少しお話が」
と、シア。
「ユリンちゃんからあまり離れるわけにはいきませんが、もう少しだけ」
「ああ」
俺たちはユリンから数メートル離れた場所へ移動した。
「うっ……」
バランスを崩して倒れそうになる俺。
旅の中で、思ったよりも足に疲労がたまっているようだ。
「クロム様」
横からシアが支えてくれた。
抱き合うような格好になる。
間近に、彼女の顔があった。
「あ……も、申し訳ありません」
顔を赤らめるシア。
なぜか俺から離れようとせず、抱きしめたままだ。
「悪いな。思った以上に疲労していたらしい」
「いえ、クロム様はお体が弱っていますし、あたしが支えられるなら──支えたいです」
俺を見つめるシア。
その頬はまだ上気したままだ。
「で、話とはなんだ?」
俺は本題に戻した。
「……その、昨晩は気づかなかったんですが、今朝になってちょっと思ったことがありまして……」
シアは、数メートル向こうで眠っているユリンをチラリと見て、口ごもった。
「罠の可能性、か?」
たずねる俺。
シアは小さくうなずき、
「ユリンちゃんが悪い娘にはとても見えません。ですが、ヴァレリーに利用されて、彼女自身は無自覚なまま、なんらかの罠を仕込まれている……という可能性はないでしょうか?」
ヴァレリーの性格からして、ありそうなことだ。
だが、それは奴が俺のことに気づいていれば、という前提条件がつく。
「クロム様に呪術を施したのはヴァレリーです。もしかしたら、クロム様が生きていることや、【闇】の力を手にしていることも察知しているのでは?」
「あり得なくはないな」
うなずく俺。
「まして、俺はすでにライオットとイリーナに復讐を果たしている。その事実も合わせて、俺の生存やスキルのことをある程度推理していてもおかしくはない」
特に、勇者パーティ内で【光】や【闇】にもっとも詳しい知識を持っていた奴ならなおさらだ。
「あるいは、クロム様に対抗する手段を用意しているかもしれません」
と、シア。
「【固定ダメージ】のスキルには3秒という間隔があります。万が一、仕留められないような相手がいれば、あたしが全力でお守りします」
「……そのときは頼む」
9999ダメージを与えて即死しない敵など、そうはいないだろう。
だが、絶対ではない。
シアという白兵能力に優れた騎士が側にいてくれるのは、心強かった。
「もちろんです。あたしはあなたの【従属者】。クロム様の──騎士ですから」
宣言するシア。
その胸元が、ふいにまばゆい光を発した。
「これは──」
驚いたように服の胸元を広げるシア。
意外なほど豊かな胸の谷間に、黒紫に輝く紋様が浮かび上がる。
ハートを意匠化したような紋章。
【従属者】の証だ。
その紋章が──黒紫から、真紅へと変わっていく。