3 ユリン
新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
「大丈夫か、シア」
俺はシアに声をかけた。
モンスターの魔法攻撃の余波で、鎧のあちこちに焼け焦げがある。
左手からは血が滴っていた。
「少し手傷を負いましたが平気です。助かりました、クロム様」
「お前が無事でよかった」
言って、俺はシアの背後でおびえる少女に視線を移す。
年齢はシアと同じ十代後半くらいだろうか。
青い髪を肩のところで切りそろえ、つぶらな瞳が可憐な印象を与える。
身に着けているのは白と紺のエプロンドレスに、白いカチューシャ。
貴族の屋敷で見かけるような、メイド服姿だ。
「駄目、私に近づかないで……」
彼女は青ざめた顔で後ずさった。
「どうした?」
たずねるが、メイド少女はふるふると首を左右に振るばかり。
「怖がられてるんじゃないでしょうか?」
シアが言った。
なぜか俺を軽くジト目で見て、
「クロム様って怪しいオーラ全開ですし」
「そうか?」
「まるっきり悪役っぽい雰囲気です」
まあ【闇】の力を持ってるし、そんな雰囲気が出ていても不思議じゃない。
とはいえ、
「……ときどきサラッと失礼なことを言うよな、お前」
「失礼しました」
言いつつ、悪戯っぽく微笑むシア。
最近の彼女は、たまにこういう表情を浮かべることがある。
十七歳という年齢相応の、少女らしい笑顔。
姉の仇であるライオットが死んで、多少の時間が経ったから、シアの内面にも変化が起こりつつあるのかもしれない。
気持ちが上向きになり始めているのかもしれない。
もちろん、悲しみや怒りが癒えるにはまだまだかかるだろう。
あるいは、そんな日は永遠に来ないかもしれない。
それでも──シアの変化は、前向きに進んでいこうという彼女なりの意志だと感じた。
俺も全員に復讐を終えたら、こんなふうに笑える日が来るんだろうか。
「い、いえ、あの、その、怖いというわけじゃ……まあ、そちらの男性はちょっと怖い雰囲気ですけど。怪しいオーラが出てますし」
初対面の少女にまで言われてしまった。
「ほら、言ったじゃないですか」
なぜか得意げに胸を張るシア。
「勝ち誇りすぎだ」
「ふふ」
シアが微笑む。
「私と一緒にいると不幸になるので」
少女が俺たちを見て、悲しげな吐息をもらした。
「何?」
「私は──魔を呼び寄せてしまうんです」
『闇の香気』。
その術式により対象に刻まれた紋章は、魔を誘引する香気を発するのだという。
ユリンと名乗った彼女は、近隣の村の住人ということだ。
数週間前、とある魔導師の手勢にユリンは誘拐された。
そして、そいつの研究所で実験素体として扱われ、前述の紋章を刻まれたんだとか。
なんとか隙を見て脱出したのだが、香気は夜になると強まるため、先ほどのような強力なモンスターを引き寄せてしまったそうだ。
今までにも、野外での実験に無理やり連れ出され、無関係な人間が何人も犠牲になったという。
自分にそんな呪式がかけられている状態で、一人で外に出るなんて自殺行為だ。
「お前──もしかしたら、魔物に襲われて死ぬことを望んでいたんじゃないのか?」
罪の、意識で。
「私、怖くて……」
俺の問いに、ユリンは肯定も否定もしなかった。
「私……」
それ以上は言葉にならないのか、つぶらな瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。
後から、後から。
「自分にかけられた呪いも。巻きこんで、死なせてしまった人たちのことも。恐ろしい術を施しても平然としている、あの魔導師も……全部、怖くて……ああ」
「『あの魔導師』……か」
��ぶやく俺。
まあ、十中八九、『奴』だろう。
「お前と一緒にいると不幸になる、というのは、つまり魔物を引き付けてしまうからか」
「はい。ですから、私から離れてください」
「俺のスキルは近づいた敵はすべて殲滅する。心配するな」
ユリンに説明する俺。
「お前だって今のを見ただろう。魔物が一瞬で消し飛ぶところを」
「で、ですが……」
彼女はまだ不安げだった。
「安心して、ユリンちゃん。あたしもこの方に何度も助けられてるから。クロム様の力は本物よ」
シアが口添えする。
同性の、同じ年ごろの彼女の言葉が安心感を呼んだのか、ユリンの表情が和らいだ。
「あ、申し遅れました……先ほどは助けていただきありがとうございました」
深々と頭を下げるユリン。
「で、お前にその呪術を施した『ある魔導師』というのは、誰だ」
俺は核心へと踏みこんだ。
予想はついていたが、ユリンの口から直接聞いて確認したかった。
「っ……!」
ユリンの表情がひきつる。
「い、いえ、それは──」
「言えば殺される、か?」
「……はい」
「だが、どのみちお前は今のままなら死ぬ。遠からず、魔物に襲われて」
ユリンがゴクリと息を飲むのが分かった。
「今のままならお前に未来はない。生き延びる方法があるとすれば、まず俺に事情を話し、加護を求めること。そして原因を抜本的に取り除くために──」
俺はユリンを見据えた。
正面から。
「戦うこと、だ」
沈黙が流れる。
やがて、ユリンは決心したように大きく息を吐き出した。
「私に術式を施したのは……その、勇者パーティの一員である賢者ヴァレリー様です」
そう、告白する。
「やはり、奴か」
ヴァレリーがこの辺りに研究施設を持っていることは調べがついていた。
それに、ユリンに施した呪術はいかにも奴が考えそうなことだ。
人を人とも思わない。
自分が魔術を探求するために利用できるものはすべて利用する。
単なる道具。
それがヴァレリーの人間観だろう。
おそろしくシンプルだ。
だが、シンプルゆえに──割り切っているがゆえに、奴は強く、そして恐ろしい。
「俺たちはヴァレリーの元へ向かっている。お前も来るか、ユリン?」
「えっ」
「お前は奴の研究所にいたんだろう? なら、道案内を頼めると助かる」
俺はユリンに言った。
「奴のところに行けば、術式を解除する方法が分かるかもしれない。お前にとってもメリットがある話だと思う。身の安全は俺とシアが保証しよう」
「任せて。あたしがユリンちゃんを守ってみせるから」
シアがにっこりとほほ笑む。
「研究所に……」
ユリンは思案顔でうつむいた。
せっかく逃げ出した場所にもう一度戻る、というのは勇気がいるだろう。
もしも、拒否されたらされたときのこと。
ただ、ヴァレリーの研究所には魔導罠の類も仕掛けられているだろうから、道案内がいると助かるのは事実だ。
「──私、元の体に戻れるんでしょうか?」
ユリンが顔を上げた。
「可能性はある。だが、絶対じゃない」
俺は小さく首を振る。
なぜ俺はユリンにこんな提案をしたんだろう。
ふと自問する。
もしかしたら俺は──彼女を自分と重ね合わせているんだろうか。
シアのときと同じように。
俺と同じく『復讐』という目的で戦っていたシア。
自分の意志に反し、呪いの術式をかけられたユリン。
俺の境遇と重なるところがあるのは、シアもユリンも同じだ。
だから、心の片隅に芽生えたのかもしれない。
できることなら彼女を助けたい、という思いが。
「今のままなら……私は二度と元の生活には戻れませんね」
ユリンがぽつりとつぶやいた。
「私、もう一度家族に会いたいです。友だちに会いたいです。村のみんなに……会いたいです……」
その言葉は、途中から嗚咽に変わる。
「可能性に賭けてみるか、ユリン?」
俺は彼女に問いかけた。
「俺たちとともに研究所に行き、呪いを解けるかもしれない可能性に」
ユリンが顔を上げ、俺を見つめる。
涙に濡れた瞳で、まっすぐに。
「──お願いします」
決断の言葉に、もう嗚咽は混じっていなかった。