10 あの日の想いは彼方へと消える
「安心しろ、イリーナ。お前を殺すことはしない。ただし──」
俺は四肢をつぶされ、苦鳴をもらすイリーナを見下ろした。
「条件が二つある。まず一つ目は──お前たち勇者パーティがやったことを告白することだ」
「告白……?」
眉をひそめるイリーナ。
「二年前の出来事を詳細に説明して、音声魔法で保存しろ。俺がそれを世界中に広める」
「そ、それは──」
イリーナが青ざめた。
「僧侶系の高位魔法にはそういうのがあるんだろう? お前ほどの力があれば、複製不可能な音声魔法として保存できるはずだ。お前自身が語ったという証拠になる」
俺はイリーナを見据えた。
「やらなければ殺す。いいな?」
「は、はい……」
彼女に選択の余地はない。
世界中に自分たちの罪を告白すれば──信じる者も、信じない者もいるかもしれないが、イリーナの信用は失墜するだろう。
──イリーナは、俺の命令通りに音声魔法で自分たちの罪の告白を収録し、小さな
「ど、どうぞ……」
這いつくばるイリーナの側に、宝玉が置かれている。
「シア、受け取っておけ」
「はい、クロム様」
宝玉を拾い上げ、懐にしまうシア。
これはいずれ、しかるべきタイミングで世界中に流すとしよう。
「じゃあ、二つ目の条件だ」
そして、ここからが本番だ。
復讐を、完遂させるための。
「俺の配下になれ」
「えっ……?」
ポカンとした顔をするイリーナ。
「俺は対象を【従属者】にできる。平たく言えば、俺の配下であり、俺の力の一部を分け与えた存在だ」
このあたりの条件や、付与可能なスキルについては、事前に調べてあった。
イリーナへの復讐の仕上げに使うために。
「私が、それに……?」
「かつて裏切った恋人に配下として仕える──屈辱だろう、イリーナ? これが俺の復讐だ」
「わ、分かりました。私、クロムにお仕えします」
イリーナは唇をかみしめ、うなずく。
いかにも無念そうな表情を作っているが、俺には分かる。
『なんだ、この程度があなたの復讐なの?』
内心では嘲笑しているんだろう。
『命が助かるなら安いもの』
『頭くらいいくらでも下げてあげる』
『私を犯すつもりなら、いくらでもどうぞ』
そんな心の声が聞こえるようだ。
だが──俺もまた内心で嘲笑していた。
俺の復讐がこの程度で済むと思ったのか、イリーナ?
「この女を俺の【従属者】にする。【固定ダメージ】の対象からは外れるのか?」
いちおう【闇】に確認しておく。
『その通りです。あなたがイリーナを【従属者】にしている間は、【固定ダメージ】が彼女を傷つけることはありません。また【従属者】があなたを傷つけることもできません』
答える【闇】。
「じゃあ、今言ったとおりイリーナを俺の【従属者】にしろ」
『術者の意志を確認。イリーナ・ヴァリムを術者の【従属者】として認定します』
同時に、イリーナの額に淡い輝きが灯った。
そこにうっすらと黒紫色の紋様が浮かび上がる。
ハートの形を禍々しく意匠化したような紋様だ。
「これでお前は俺の【従属者】だ。以後、忠誠を誓え」
「はい、クロム──いえ、クロム様とお呼びすべきですね。失礼いたしました」
イリーナは恭しく告げる。
這いつくばったまま、頭を下げて額を地面に擦りつけた。
「なんなりとお命じくださいませ。あなた様の命令とあらば、いかなることでも成し遂げてごらんにいれます」
調子のいい女だ。
「では、我が配下に力を与えよう」
俺は静かに告げた。
「つぶれたままの手足じゃ不便だろう。自由に動くようにしてやる」
「……! あ、ありがとうございます」
顔を上げるイリーナ。
その表情が輝いている。
俺は満足感を噛みしめた。
いったん与えた希望を、次の瞬間には絶望に落としこむ。
その、愉悦を。
「さあ受け取れ──【従属者】イリーナ」
【闇】の中から付与できるスキルを選択し、彼女に付与した。
スキルの名は──。
【魔獣化】、だ。
「ひっ、ひぃぃぃぃぃ……あああああ、ぎゃぁぁぁぁぁぁぁっ……!?」
イリーナが絶叫した。
つぶれた手が、足が、不気味に膨れあがり、昆虫のような節足になった。
白く滑らかな肌が、鎧のような甲殻に覆われる。
美しかった顔はシワだらけになり、憤怒とも悲哀ともつかない表情を備えた鬼のような相貌へと変り果てる。
「いや……何、これ……いやぁぁぁぁぁぁっ……!」
イリーナは絶望の叫び声を上げ続けた。
苦痛はないはずだ。
ただ、自分の体が自分以外のものに置き換わり、醜悪な魔獣のそれへと変わっていく恐怖と嫌悪を感じているはずだ。
美しく清楚な聖女は、この世界から消える。
後に残るのは、血に飢えたおぞましいバケモノのみ。
スキル効果によって、彼女は死ぬまで魔獣の姿のままだ。
「これがお前の末路だ、イリーナ」
俺は【従属者】たる魔獣を見つめた。
「せめて『聖女』らしく、死ぬまで人類のためにその身を捧げろ──魔王軍の残党狩りをお前に命じる」
「ぎ、いいぃぃぃおおおおるぅぅぅおおおおおあぁぁぁぁぐおおぉおおおおおおるぁっ」
元イリーナだった魔獣が吠えた。
彼女の人間としての意識はそのままだ。
ただし、人の言葉を話すことなどできないし、俺の命令に逆らうこともできない。
イリーナの、人間としての生は終わった。
これからは魔王軍の残党と戦い続ける。
俺が与えた命令のまま、その命が尽きるまで。
攻撃力は低いが、再生力だけは異常に高いタイプの魔獣に設定したから、簡単には死ねないだろう。
魔王軍の兵に傷つけられ、苦痛を味わい続けながらも死ねずに。
お前は戦い続けるんだ、イリーナ。
おぞましい魔獣の姿で、人としての理性を保ったまま──絶望に慟哭しながら。