8 復讐者と聖女2
「さあ、フードを取ってくださいな」
「……分かった」
俺はフードを上げた。
銀色の髪に目元を隠す仮面。
二年前の俺の面影は少ないはずだ。
隣でシアもフードを上げた。
俺と同じく仮面で目元を隠している。
「あなたは……」
イリーナがわずかに首をかしげた。
俺が誰なのか、記憶を探っているのだろう。
髪の色の変化ややせ細った四肢──かつての俺の面影は一変してしまった。
身にまとう雰囲気も、そうだ。
ただ、俺の声で気づく可能性はある。
いちおう、カモフラージュ代わりに声を低く抑えてはいるが。
「……私にどのようなご用ですか?」
イリーナの態度は、初対面の相手に対するそれだった。
やはり、俺のことが分からないようだ。
それとも──もう、俺のことなんて忘れたか?
己の野望のためなら、いくらでも男を乗り換え、寝るような女には。
と──イリーナの表情がわずかに変わった。
清楚で穏やかな雰囲気をたたえた微笑みはそのままに、瞳をわずかに細める。
何かを、する気だ。
俺に対する敵意が高まっているのを感じる。
まがりなりにも、かつては恋人として過ごした相手である。
あいつが何をしようとしているのか、大体の予測はついた。
──まあ、何を仕掛けようと無駄なことだが。
次の瞬間、俺の周囲から黒い炎のようなものが立ち上った。
「っ……?」
イリーナがわずかに眉を寄せた。
「クロム様、今のは……?」
「イリーナの高位呪術だ。無詠唱でいきなり撃ってきた」
小声でたずねるシアに同じく小声で返す俺。
「それって──」
「さっきバーンズとかいう男を洗脳呪術で殺したように、俺たちも呪殺しようとしたんだ。たぶん、周囲には適当な言い訳をして、な」
俺はふんと鼻を鳴らし、聖女様を見据える。
「要件を聞くふりをして、呪術で攻撃か。なかなかいい性格だな、イリーナ」
だが、俺には通じない。
EXスキル【固定ダメージ】は、俺に敵意を持つ『すべて』が効果対象に含まれる。
魔法の類にも9999ダメージを与え、消失させる──。
そう、さっきイリーナが撃った呪術を消滅させたように。
「……なんのことでしょうか?」
困惑の表情を浮かべる聖女。
当然、この表情は演技だ。
あくまでも白を切るか。
まったく、いい性格をしている。
「二つ、教えておいてやる」
俺は彼女を見据えたまま言った。
「一つ、お前のいかなる攻撃も俺には通じない。そして、もう一つ──俺の10メートル内に近づけば、お前は即死する」
「な、何を……?」
「忠告だ。簡単に死んでもらっては困るからな」
言って、俺は一歩、イリーナに近づいた。
一歩だけ。
これ以上は、近づかない。
──さあ、復讐を始めよう──
「シア、護衛全員の武器を壊せ」
「えっ」
「威嚇だ。イリーナ以外は無駄に殺す必要はない。後は、事前の打ち合わせ通りに」
「──承知しました」
シアが恭しく頭を下げる。
それから剣を抜いて、構えた。
刀身が黒いオーラに包まれる。
【切断】のスキルが剣に宿ったのだ。
「貴様ら!」
「聖女様をどうする気だ!」
たちまち護衛の聖騎士たちがイリーナの前に立つ。
「あいつらが近づけば、俺のスキルで殺してしまう。なるべくその前にケリをつけろ。できるか?」
「クロム様のご命令とあらば」
すっかり俺の騎士ぶりが板についてきたな、シア。
「あなたたちは、邪魔」
告げて【従属者】の少女騎士は地を蹴った。
ほ��んど亜音速で護衛兵との間合いを詰める。
その両足に黒いエネルギーの翼が生えていた。
【闇】の力による【切断】の剣と【加速】の移動能力。
まさしく超騎士とも呼ぶべきシアは、一瞬にして護衛たちの間をすり抜けつつ、剣閃を浴びせる。
聖騎士たちの剣が、根元からまとめて斬り飛ばされた。
「なっ……!?」
呆然と立ち尽くす彼ら。
斬り飛ばされた刀身は回転しながら、こちらへ飛んできて──、
ばしゅっ……!
【固定ダメージ】の効果範囲に入った途端、チリとなって消滅する。
「見ての通りだ。俺の周囲10メートル内に近づけば破壊される。俺に敵対する存在は等しく、な」
護衛たちを見回す俺。
「うう……」
「な、なんだ、こいつら……!?」
「化け物か……!?」
彼らは気圧されたように後ずさった。
「命が惜しければ近づくな」
言って、俺はシアに目配せする。
「手はず通りにやれ。俺も後で追いつく」
「はい」
シアはうなずき、イリーナに迫った。
「きゃあっ……」
悲鳴を上げる聖女。
シアが超速で彼女の背後に回りこみ、拘束したのだ。
さらに刃を首筋に押し当て、
「妙な真似をすれば、どうなるか……分かってるでしょう?」
「うう……」
イリーナが顔をこわばらせ、うなずいた。
無詠唱呪術を使おうとしても、その前にシアが首筋を切り裂くだろう。
イリーナの抵抗を封じたまま、シアは囲みから出る。
「お前たちもだ。近づけば死ぬ。さっさと逃げたほうが身のためだぞ」
俺は群衆にそう宣言した。
さっき【固定ダメージ】で剣が消滅したのを見れば、『近づけば死ぬ』というのが脅しではないことは明白だろう。
たちまち群衆は蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
シアはイリーナを連れ、あらかじめ準備していた馬で駆けていった。
そして俺もスキルで護衛騎士たちを牽制しつつ、少し遅れて馬で出発した。
数十分ほど駆け、事前に打ち合わせていた場所に到着する。
古ぼけた廃教会である。
ラルヴァの聖女を裁く場所が、そのラルヴァの教会というのも皮肉なものだ。
「ここでなら邪魔が入らないな」
俺は教会に入った。
礼拝堂の最奥──祭壇の前にシアとイリーナがいる。
俺は15メートルほどの距離を置いて、向かい合った。
「い、一体、私をどうするつもりなのですか……!」
彼女の声が震えている。
「あなたは、何者なのです。目的はなんですか」
「俺か? 俺が何者かは、よく知っているはずじゃないのか?」
ゆっくりと仮面を外す俺。
二年ぶりに、素顔でかつての恋人と向き合う。
俺とイリーナの視線が絡み合った。
数瞬の、沈黙。
空気が少しずつ重く、冷たく、濃縮されていくような感覚があった。
「まさか」
イリーナが息を飲むのが分かった。
「まさか、あなたは──」
その声が震え、かすれる。
「クロム……!? そんな、でも、あなたはあのとき……」
「生きていたんだよ。お前たちのおかげで『力』を得て。恨みを募らせて。憎悪を燃やして」
絶望と復讐心を、抱いて。
「さあ、裁きの時だ──聖女様」
「クロム、お願いです……ひどいことはしないで」
イリーナが震える声で言った。
首筋にシアが剣を押し当て、その動きを封じている。
「どうか、話を……」
「分かった。じゃあ、お前の話を聞こう」
「クロム……?」
「まず真実を話してもらう。俺が生け贄に選ばれた理由を。お前があの日、俺に求婚した本心を」
「そ、それは……」
イリーナの顔が青ざめる。
「俺のスキル効果は理解しているだろう? ライオットを俺が殺したことも」
「……!」
「お前は高位の僧侶だ。俺が抱えている【闇】を感知できるんじゃないのか?」
俺は彼女を見据えた。
「イリーナ、お前が俺に感知呪文を使うことを許可する。ただし、それ以外の呪文を使ったら──即座に殺す」
俺の眼光が聖女を射すくめる。
「……わ、分かりました」
イリーナは僧侶系の感知呪文を唱えた。
俺に宿る憎悪や絶望、そして【闇】を計測するためのものだ。
「こんな……!?」
たちまちイリーナの顔から血の気が引いた。
「これほどの【闇】を、たった一人の人間が抱えられるなんて……クロム、あなたは……」
「お前たちが得た【光】の強さは、そのまま俺の【闇】の強さでもあった。ユーノたちが魔王を倒すほどの【光】を得ているんだから、俺の【闇】の強さや深さは推して知るべし、なんじゃないのか?」
「ああ、クロム……私が間違っていたんです。すべては、彼らにそそのかされて──」
「言い訳を聞きたいわけじゃない。俺が知りたいのは真実だ」
うろたえるイリーナの言葉を、俺は冷ややかにさえぎった。
たちまち口をつぐむイリーナ。
「話せ」
沈黙が流れる。
抵抗は無駄だと分かっているはずだ。
抵抗すれば殺される、と理解できているはずだ。
「わ、分かりました……」
イリーナは渋々といった様子で口を開いた。