第6話 お堅い悪友に唆された場合
カンナとデートした翌朝。
無料アパートの六畳間で目を覚ましたハルキチは、そのまま布団の中で昨日のデートを思い出してパタパタした。
嫁がかわいい。
嫁がかわいい!
ネトゲの嫁が本っ当にかわいいっ!
ちなみにあのあと北極圏でチーズフォンデュを食べさせあった二人は、そのラブラブな様子で高天原の生徒たちに砂糖を吐かせまくった。
あまりにウザったいバカップルぶりにその動画はプチ炎上して拡散され、ひとり者の学生たちから【砂糖噴出チーズフォンデュ】と呼ばれる飯テロ動画となった。
なお、カップルの間ではこのチーズフォンデュを食べさせ合うイチャラブ動画の作成が流行っているため、今後もひとり者は末永く砂糖を吐きまくることとなる。
そんな罪深い動画を世に放ったハルキチは、布団から這い出して朝の支度をする。
軽く身だしなみを整えて、家の回りをランニングして、適度に汗をかいたハルキチはシャワーを浴びてから朝食を作った。
昨日の夜に余った高級食材がたくさんあるから、それらを使ってバゲットサンドを作る。
焼き立てのバゲットを神膳包丁で半分に切って、そこにレタスとハムとトマトとチーズを挟み、簡単にカラシマヨネーズで味付けした。
調理風景を羽付き目玉カメラで撮影してチャチャッと動画を流す姿はすでに一人前の配信者だ。
ただしこの配信者は自分の影響力をまったく理解していないのが玉にキズなのだが……。
そうして新たな飯テロ動画を世に放ったテロリストは、アマテラスの分を奉納してから自分のバゲットサンドにかぶりつき、その出来栄えに満足する。
「ん……ようやく神味の使い方がわかってきた」
神膳包丁は謎の味覚をもたらす料理人泣かせの包丁なのだが、昨日のチーズフォンデュで食材を切りまくった時に、ハルキチはその使い方を掴み始めていた。
料理で使う時には、食材の品質を合わせるように使えばいいのだ。
触れた食材の品質を上げる神膳包丁だが、食材に触れさせている時間や使用する技術の練度によって上昇する品質の程度と付与される神味の加減を調整できる。
この機能を上手く使いこなして神味を食材や調味料の味と調和させることができれば、ハルキチの料理はさらなる高みへと至ることだろう。
恐れよモグラーたちよ。
やつの調理技術はまだまだ発展途中なのだ。
そんな進化の前兆をバゲットサンドで示したハルキチは、ひとりきりの六畳間で今日はなにをしようかと考える。
本当なら愛しい嫁と過ごしたかったのだが、彼女は『どうしても制作したい同人誌がある』とかで、クリエイター魂を爆発させているため今日は別行動だった。
これまで70億+20億の合計90億を使用した大富豪は、残りの40億を使う方法を考えて、フレンドリストから友達の名前を選択した。
【ハルキチ:遊ぼー】
【あん子:さっそく浮気か?】
昨日の配信を見ていたのか、からかってくる悪友に、ハルキチはあん子と会いたい真意をチャットする。
【ハルキチ:いや、お前に嫁との惚気話を聞いてもらおうと思って】
【あん子:うざっ!?】
辛辣は返事をもらってしまったが、しかし遊ぶ気はあるのかホームの住所を送ってくるあん子。
【ハルキチ:このツンデレさんめ!】
【あん子:勘違いしないでよね、べつにあんたに用事があるわけじゃないんだから!】
【ハルキチ:やめるんだ、お前にツンデレ言葉は似合わない……用事ってなに?】
【あん子:それはこちらに来てからのお楽しみだ】
どうやらちょうどあん子のほうも用事があったらしいので、ハルキチはすぐに出かける支度をしてアパートから出発した。
あん子はアキバにいるらしいので、ハルキチはアパートの近くの神社から秋葉原まで転移する。
高天原の東京は植物に侵食された廃墟となっているらしく、ビルからニョキニョキ生える巨大な樹木の姿を楽しみながらハルキチは秋葉原を歩いた。
あん子から送られた住所を確認しながら、現実なら飲食店とかが入ってそうなビルの地下へと降りて、ハルキチはそこにあった重厚な金属扉をノックする。
拳で3回、足で2回、少し時間を開けて拳でもう2回。
しばらくすると扉が内側から開かれて、見慣れた黒い鎧が顔を覗かせた。
「入れ」
端的に命令したあん子はハルキチを素早く室内に入れると、外を確認してから金属扉を厳重に施錠する。続けてハルキチのジャージを叩いてボディチェックするあん子に、ハルキチは呆れ顔で訊ねた。
「……ここはマフィアのアジトなのか?」
「いや、新設された探索者クランのホームエリアだ……おっと! やはり付けられていたか!」
そう言ってあん子はハルキチのジャージから小さな虫をつまんで見せる。
よく見るとそれは機械の姿をしていて、身を揺らして逃げようとするその虫をあん子は黒い指先で押しつぶした。
ボシュッと小さな爆発が起こる。
「盗聴蟲だ。こいつは東京でしか生息できないが、よく使われているから貴様も気をつけろ」
「……もしかしてヤバいことしてる?」
「バカ! ヤバいことしてるのは貴様のほうだ!」
そしてビシッとハルキチの頭にチョップを振り下ろしたあん子は、背中を向けて狭い廊下を奥へと歩き出す。
頭を擦りながらハルキチもその後に付いていくと、廊下の先にはエレベーターがあって、そこからさらに二人は地下へと降りた。
ゴウンゴウンと下がっていくエレベーターの中で、あん子は事情を説明する。
「東京には【ロストヘイム】が設置されているのだ。貴様もゲーマーなら聞いたことくらいあるだろう?」
「ああ……確か北欧神話系の人工知性たちが創った世界最大のVR迷宮……だっけ? とんでもなく鬼畜難易度なダンジョンだと聞いたことがある」
朧気な知識のハルキチに、あん子はきっちり基礎知識を解説した。
「うむ……かつて起こった人と人工知性のサイバー戦争において、ネットの支配権を守ろうと人間側が激しく抵抗した結果、2060年代以前の電子データがほとんど失われてしまったのだ。それらを集めて難易度ヘルモードのダンジョンに隠したのが【遺失迷宮】……まあ、戦後のお片付けを人工知性に丸投げしようとした人類への嫌がらせってやつだな」
自分で荒らした部屋の整理を人工知性に押し付けたら、ぶち切れた人工知性たちが荒れた部屋をダンジョンに創り変えて返してきたというのが事の始まり。
環境問題対策の一環として記録媒体が紙から電子データへと大きく切り替わっていたことも影響し、現在の人類は積み上げてきた叡智の多くを遺失していた。
「失われた文明の礎を取り戻すため、世界各地でこの迷宮の攻略が進められているが、現状で攻略が最も進んでいるのが高天原なのだ。なにせ体感時間を3000千倍まで加速させるとかいうチート技術が使われているからな」
「なるほど……それで物々しい雰囲気なのか……」
情報というのは金になる。
それが人類全体の叡智と関連しているともなれば、天文学的な価値の情報がそのダンジョンには埋まっているのだろう。
ハルキチが東京エリアの状況を理解したと判断したあん子は、嘆息しながら続ける。
「特に今、高天原の東京エリアで人気の情報は『料理』に関する情報だ。どこかのバカがお料理配信で荒稼ぎしたせいで、料理の技術書やレシピなんかが金になると判断されたらしい」
「それに関しては不可抗力です……」
心当たりがありすぎるハルキチが冷や汗をかきつつ視線を逸らすと、ちょうどエレベーターが目的の最下層へと到着した。
チン、と開かれた扉の先には、簡易ライトに照らされた土が剥き出しの地下空間が現れる。
「すまんな。まだ内装すら出来上がってないのだが……盗聴を確実に防ぐためにはこれくらい地下に潜る必要があるのだ」
高さ3メートル、横と奥行きが50メートルくらいある大きな空間に、ハルキチは首を傾げる。
「新設の探索者クランとか言ってたけど、あん子が立ち上げるのか?」
「まあ、いろいろと縁があってな……このたび創設メンバーのひとりになることになった」
「フラグブレイカーズのほうは?」
仲良しクランはどうするのだろうかと心配するハルキチに、あん子は肩を竦める。
「べつに二股しても問題はないだろう。イベント参加はフラグブレイカーズで、ロストヘイム探索はこちらのクランでやっていくだけだ。私だけじゃなくリコも魔導工学系のクランと掛け持ちしているし、カンナも漫画研究会みたいなところに所属していたはずだぞ?」
「うちのクランってそんなに緩かったんだ……」
「もともと学園イベント参加用のクランだからな。基本、イベントがない時は自由行動だ」
そして友人が退部するつもりがないことにホッとしたところで、ハルキチは本題を訊ねる。
「それで? 俺を呼び出した用件は?」
その質問にあん子は近場の木箱にドカッと腰掛け、声を弾ませて本題を語った。
「なに、友人として金を持て余していそうな貴様に、面白そうな投資話を紹介してやろうと思っただけだ」
「うさんくさー……」
ハルキチが正直な感想を言うと、あん子は肩を揺らして笑い出す。
「くっくっく……そうだろうとも。なにしろこれから紹介するのは、元金がゼロになる可能性が高いギャンブルみたいな話だからな」
上機嫌に笑うあん子の話が気になってハルキチが向かいの木箱に座ると、暗黒騎士は面白い投資話とやらを語りだした。
「実は私が参加する探索者クラン【モグラーナイツ】は、他ならぬ貴様のリスナーたちで構成されたクランだ」
「はい?」
寝耳に水の情報に困惑するハルキチに、あん子は嬉しそうに続ける。
「やつらはどうやら勝手に私設騎士団まで作ろうとしているらしく、ロストヘイムの探索で活動資金を稼ぎつつ、貴様に美味しそうな料理のレシピを献上しようとしているらしい。ちなみに私は貴様にレシピを流すために雇われたお飾り要因だ」
最近よく耳にするようになったモグラーと呼ばれる自分のリスナーたちが、暴走しまくっていることを知り、ハルキチはあん子へとジト目を向ける。
「……なんで止めてくれなかったんだよ?」
友人からの苦言にあん子は飄々と答えた。
「面白そうだったからに決まっているだろう」
「おいっ!」
あまりにも正直な暗黒騎士にハルキチが鉄拳制裁でも加えてやろうかと思案していると、それを手で制したあん子が真面目なトーンで止めてくる。
「まあ聞け、どうせやつらは何をしても止まらないのだから、私というストッパーが内部にいたほうが安心だろう? さらに貴様がスポンサーとなって活動資金を出してくれれば、私が【飯テロ姉さん】に内部情報をリークしたとしても問題はなくなる。貴様は暴走集団に首輪をつけられて、私は面白そうな連中と迷宮探索ができる……これぞWINWINの関係というやつではないか?」
「ぐぬぬ…………」
ハルキチはあん子に言いくるめられている気がしたが、確かに過激なモグラーたちを放置しておくよりは、友人に見張ってもらったほうが安心できる気もした。
あん子の話を咀嚼したハルキチは、彼女の思惑に乗ることにして口を開く。
「それで……いくら欲しいんだ?」
この暗黒騎士はなんやかんやで信頼できるから、任せておけば悪いことにはならないだろう。
金持ちの説得に成功したあん子は無遠慮に金額を提示した。
「私の計画に乗るならば、とりあえず10億ENほど出してもらおうか。【モグラーナイツ】では最も活動資金を出した者が団長になる規則でな……それだけあればおそらく私が団長になれる」
なるほど確かにそれは太い首輪だ。
信頼できる仲間が舵取りをしてくれるなら悪くない金の使い道だと判断し、ハルキチは気前よく10億ENをあん子に支払う。
お金は昨日カンナとデートした時の資金をそのまま持っていたため、即金で払うことができた。
「炎上とかさせるなよ? たとえ過激でも俺のリスナーさんなんだから」
「任せておくがいい。ことロストヘイム探索に関して言えば、私は世界でも指折りのプロフェッショナルだ」
あん子はハルキチに黙っていることがあった。
それは【飯テロ姉さん】の私設騎士団になろうと勝手に動き出した過激なモグラーたちは高天原でも指折りの強者たちで、多くの古参連中で構成された騎士団が正式に動き出せば史上最強の迷宮探索者クランが生まれるということだ。
世界で最もロストヘイムの探索が進んでいる高天原において、史上最強の探索者クランが生まれる。
それは人類が失った多くの叡智を取り戻す好機となるわけで……上手く行けば【モグラーナイツ】が莫大な富を生み出す可能性があることを、ハルキチはまったく知らなかった。
友人への悪戯が上手くいきそうな気配に、あん子は鎧の中でニマニマする。
「期待しておけ。運良くロストヘイム探索が成功したら、スポンサーへのキャッシュバックも大きいぞ?」
「……ああ、金をドブに捨てたつもりで待ってるよ」
まったく期待していないハルキチに、あん子はとても愉快な気分になった。
――初期投資が数十倍に膨れ上がったとき、この貧乏性の友人はどんな顔をするだろう?
勝率が高い時にしか賭けないお堅い暗黒騎士は、ギャンブルに負けたことがなかった。