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第3話  かわいい鬼嫁に貢ぐ場合 その1




 そして翌日。

 きっちり頭を冷やしたハルキチは、廃教会の前で土下座していた。

 ピシッと指を揃えて地べたに額を擦り付ける男の前で、腕組みした鬼嫁が冷え切った声を発する。


「それで? 今日はなにをしに来たんすか?」


 昨日は自分でデートをすると言ったカンナだが、ここで「デート」と答えたら再び燃やされてしまうだろう。

 未来予知にも等しい直感を持つハルキチは、それを全力で発動させて言葉を紡いだ。


「はいっ! カンナさんの財布になりに来ました! どうぞ好きに使ってやってください!」


 ハルキチからの財布宣言にカンナはゾクゾクした。

 自分は尽くすタイプだと思っていたのだが、どうやらこうゆうのも好きらしい。


「よろしい」


 反省の色を感じ取った鬼嫁はハルキチを立たせ、廃教会に入れと顎で示す。


「それじゃあまずは着替えをしますよ」


 お財布であることを示すためか、ハルキチは黒ジャージのまま来ていた。

 ひとまず嫁の許しを得たハルキチは、ホッと安堵の息を吐いて廃教会へと入り……そこに飾られていた服を見て絶句する。


「さあ、先輩……お着替えしましょうねぇ……今日はボーイッシュなファッションを用意してあげましたから……」

「…………はい」


 エントランスに置かれたイラストにはハルキチ用の『かわいい服』が描かれていた。

 パンツスタイルではあるものの、確実にレディースである。




 そして10分後。

 廃教会から出てきたハルキチは完璧なイケメン美少女になっていた。

 つば付きの帽子にダボッとしたスタジャン、生足むき出しのホットパンツ。


「今日の先輩は着せ替え人形ですからね! 私の指示通りの服を着てもらいます!」


 そう言うカンナはペアルック感を出すため、ハルキチと色違いの服装をしている。

 生足むきだしスタイルはキツイものの、ボーイッシュな服装が似合うかわいい嫁の姿が見れただけでハルキチは満足した。


「……了解」


 そうしてスタジャンのポケットに突っ込んだ手の肘を、カンナへと差し出す。


「えへへ~、楽しみっすね! 先輩!」


 かわいい娘はゴキゲンな笑顔でそこに腕を絡めて、そして二人のデートが始まった。






     ◆◆◆




「それで? 今日はどこへ行くんだ?」


 カンナ所有の丘を降りて鉄柵の門をくぐったハルキチは行き先を嫁に訊ねた。

 今日のハルキチは完全に財布係のため、目的地はカンナの気分で決まる。

 デートプランを任された鬼娘は、少し考えて行動方針を決めた。


「せっかくワープポータルも解放されたことですし、今日は二人で『世界旅行』と洒落込みましょう!」

「世界旅行!」


 楽しそうなその響きに、怒られて萎んでいたハルキチのテンションも上がっていく。


「そうですね~……最初はパリのカフェでモーニングティーでも嗜みましょうか? イギリスはご飯が不味いのでフランスまでワープです!」


 イギリスの皆さんごめんなさい。

 だけど朝からフィッシュ&チップスは重いのだ。

 他の料理はよく知らぬ!


 そんなノリでハルキチとカンナは近くの広場にある銅像へと触り、ワープポータルを起動する。



《――転移ポータルを起動しました》

《――行き先を選択してください》


「パリまで!」

 カンナが元気よくガイダンスに応えると、続けて転移料金が表示された。


《――パリへの転移には800ENが必要です》

《――転移料金を支払いますか? YES/NO》



「二人で1600ENか……安いな」


 どうやら転移は距離によって料金が変わるらしく、ハルキチは意外と安かった二人分の料金をテキパキと支払う。


「ご苦労」


 お姫様から労いの言葉をもらったところで楕円形のワープホールが開いたため、二人は腕を組んだままその中へと足を進めた。

 楕円形の波紋を抜けると一瞬で視界が切り替わり、光輝く巨大なクリスタルが中央に浮かぶ魔法都市が目の前に現れる。

 道を行き交う人々もローブを着ていたり、とんがり帽子を被っていたりと、なんとも魔法使い染みた格好をしていた。


「パリは魔法の都なんす! この近くに美味しいスウィーツを出すカフェがあるので、そこに行きましょう!」


 行きつけの店があるというカンナの案内で進んで行くと、やがて歩道にテラス席を出したオシャレな店が見えてくる。

 看板に【SWEETS WITCH】と書かれたその店にカンナは入ると、カウンターで頬杖を突く気だるそうな魔女に、カンナは元気よく注文した。


「グリちゃん! いつもの2つ!」

「だからここは居酒屋じゃ……って!? 姉さんっ!??」


 常連なのか、カフェの雰囲気をガン無視して大声で注文するカンナに、女店主の額に青筋が走るが、しかしハルキチの姿を見た女店主はすぐに態度を改めた。


「ゲフン、ゲフン……い、いらっしゃいませ、お客様。よろしければエレベーターへどうぞ」


 どこかで見覚えのある女店主の姿にハルキチは記憶を探り、すぐに該当する人物に思い当たった。


「間違っていたらすみません……確か新入生オリエンテーションでホウキを貸してくれた魔女さんですよね?」


 ハルキチが訊ねると、魔女さんはキリッと姿勢を正して自己紹介した。


「はい。魔法菓子店【SWEETS WITCH】の店長、グリムヒルデと申します。どうぞお見知りおきを」

「その節はお世話になりました。新入生のハルキチです」

「ええ、よく存じておりますとも。配信のほうも、毎回、見させていただいております」


 塩対応で有名な魔女がハルキチの両手を握ってブンブンする姿に、カンナは小首を傾げた。


「なに猫かぶってんですか?」

「だまらっしゃい!」


 推しの来店にいつになく張り切るグリムヒルデは、恭しくハルキチを古風なエレベーターまで案内し、ついでにカンナも乗せてから自分も乗って柵を閉める。


「それでは当店のVIPエリアへとご案内させていただきますわ! オホホホホホ!」


 そしてエレベーターが店舗の屋上部分へと到達すると、魔法都市を一望できるVIP席にハルキチとカンナは案内された。

 お財布モードのハルキチはカンナの椅子を引いて座らせ、ハルキチの椅子はグリムヒルデが引いて座らせる。

 それから料理を取りに行った魔女を見送って、ハルキチは笑顔を浮かべた。


「感じのいい魔女さんだね」

「……先輩、騙されてはいけませんよ? 常連客が呼ぶやつの別名はソルティウィッチですから。下の店に客がいなかったのも、やつの塩対応が原因なのです」


 グリムヒルデは猫の皮を100枚くらい被っているのだ。


「でも、カンナは仲良しなんでしょ?」


 先ほどからのやりとりを見ていたハルキチが訊ねると、カンナは頬を染めて視線を逸らした。


「まあ、私は通販用の袋のデザインとかを担当してますからね……彼女は取引先というか……それなりに仲はいいかもしれません……」


 そうしてしばらく景色を楽しみながら歓談することしばし、2つのケーキスタンドをワゴンに乗せて戻ってきた魔女は、二人の前に注文の品を並べた。


「お待たせいたしました。こちらいつもの……モーニングスコーンセットでございます」


 ケーキスタンドの1段目にはヨーグルトとジャムとクロテッドクリームが、2段目には焼きたてのイングリッシュスコーンとクロワッサンが、そして天辺には新鮮なフルーツが添えられたセット。


 ……イギリスの皆さんごめんなさい。


 スコーンがイギリス発祥だと知るハルキチは、再び心の中でイギリスの皆さんに謝った。

 ドリンクはメニューにあるものから好きに選べるらしいので、カンナの勧めで二人ともカフェオレを選ぶと、魔女はアイテムボックスから出したカフェオレをそれぞれの前に提供する。


「それではごゆっくり、おくつろぎください」


 しゃなり、しゃなり、と腰を振って去っていく魔女。

 店員を呼ぶときにはテーブルに置かれた魔法のベルを鳴らせばいいらしい。


 そして残された二人は、しばし焼きたてのスコーンに舌鼓を打った。

 クロテッドクリームとジャムで食べたり、添えられているフルーツを乗せてみたり、屋上で他の人の目がないからヨーグルトやカフェオレに漬けて食べるのも、すべては二人の自由である。


「いちおう言っときますけど、普段はこんな食べ方してませんからね? 今日はグリちゃんが屋上席を貸してくれたから特別なのです!」


 半分に割ったスコーンをカフェオレにディップしながら、カンナが頬を赤らめる。


「はいはい」


 そのやけに慣れた手つきに苦笑しながら、ハルキチも先達に習って千切ったクロワッサンをカフェオレにドボンした。

 ハルキチもカンナも表のテラスのような場所ではお行儀よく食べるけれど、気心の知れた人しかいない場所では美味しさを優先する派閥の人間だった。


 お行儀が悪い食べ方は美味しいのだ。


 そうしてスコーンとクロワッサンを食べきったところで、いまひとつ食べたりないカンナは豆電球を頭の上で光らせる。


「……先輩、我がまま言ってもいいですか?」


 瞳をキラキラさせたカンナにハルキチは頷いた。


「なんなりと」


 嫁の願いを全て叶える方針の旦那の答えに、カンナは自分が考える最強の朝食を実現するべくおねだりする。


「ここに先輩が作るフレンチトーストがあったら最強なのです! 前に作ってくれたやつ!」


 高天原に来る前から、ハルキチはゲーム内でカンナたちに料理を振舞っていた。

 そのうちのひとつを覚えていた嫁からのおねだりに、ハルキチはテーブルの上のベルを鳴らす。


「はい! なにか御用でしょうか!?」


 シュバッ、と短距離転移で現れた魔女に、そしてハルキチは交渉した。


「すみません、食パンと牛乳を貰えませんか? それと屋上で火を使わせていただきたいのですが……」


 野外調理セットで料理しようとするハルキチに、目をギラギラと血走らせたモグラーは恭しく頭を下げた。


「よろしければ、うちの厨房をお使いください」


 交渉は30秒もせずに終わった。

 厨房を借りる条件は、ハルキチが調理する様子をグリムヒルデが撮影して動画にすることと、作った料理の販売許可を出すこと。


 どちらも二つ返事で了承したハルキチは、アイテムボックスにストックしてある卵を取り出して、チャチャっとフレンチトーストを作成する。

 神膳包丁で食パンをスライスし、包丁の峰で卵を割ることで食材の品質が上がっていく。

 そうしてカンナとグリムヒルデが見守る中、厨房の中に卵液が焼ける甘い香りが漂っていき、ものの五分もかからずに追加の朝食は完成した。


「よかったらグリムヒルデさんもどうぞ?」


 四つ作った皿のひとつをハルキチが魔女に差し出すと、推しの手料理をグリムヒルデは震える両手で受け取った。


 皿から漂う神気を帯びた甘い香りにゴキュリと魔女の喉が鳴る。

 余分な一皿はもちろんアマテラスに捧げる分だ。


 さっさとダンボールの祭壇で料理を奉納したハルキチは、涎を垂らしそうなカンナといっしょに屋上に戻ってフレンチトーストを実食した。

 ケーキスタンドに残ったジャムやクロテッドクリームを乗せてフレンチトーストを頬張り、カンナが蕩けそうになる頬っぺたを押える。


「はわわわわっ!? 神の甘味がします~っ!? 神甘味(かみかんみ)っ!」


 どうやらまた新たな味覚がこの世界に誕生したらしい。

 ハルキチもフレンチトーストを口にしてみると、確かに脳ミソが蕩けるような甘味が舌ベラから染み込んでくるのを感じた。


 ちょっと中毒になりそうなヤバいやつだ。


 試しにフレンチトーストを鑑定してみると、そこにはこんなテキストが記されていた。



【背徳のフレンチトースト】

 分類:料理  レア度:伝説(レジェンダリィ)  効果:幸運強化・極大(10時間)

 甘い卵液に食パンを浸して作られた合法麻薬。

 これを口にした者は病みつきになるような多幸感を抱く。

 いちおう中毒性や副作用の類は存在していないが、普通におかわりはしたくなる。

 ※これ麻薬中毒者の治療に使えるかもしれないから、医療機関とかに情報提供してもいい?  YES/NO



 ……ほんとにヤバい物を作ってしまった。

 いちおう合法らしいけど、こんな物を配信で流しても大丈夫なのだろうか?


 情報提供の許可にはYESを出して、ハルキチはそっとテキストを閉じた。

 まあ、世の中にはハッピータ○ンの粉という合法麻薬も売られているわけだし、きっと大丈夫だろう。

 目の前のカンナも美味しそうに食べているし、問題ないはずである。

 そうして美味しい朝食を終えたハルキチは会計のためにベルを鳴らした。


「……あれ?」


 さっきはすぐに来たはずのグリムヒルデが来ないことに首を傾げ、もう一度ベルを鳴らすがやっぱり魔女は現れない。


「接客中なのかな?」

「も~……ここに来て塩対応とか、しょうがない魔女ですね~……まあ、あとは会計するだけですし、普通に下のカウンターで払いましょうか?」


 ソルティウィッチの本領発揮に嘆息したカンナが席を立ち、ハルキチも続いてエレベーターで一階へと降りる。

 そこには客用のソファに寝そべってビクンビクンと熟睡する魔女がいた。

 営業時間中に堂々と二度寝する魔女にカンナはやれやれと嘆息し、ハルキチが用意していたお金をカウンターの上に置く。


「グリちゃ~ん、お金ここに置いておきますよ~っ! そんなところで寝て、風邪ひいても知りませんからね~っ!」


 わりといつものことなのか、ハルキチの手を引いて平然と店を出て行くカンナ。


「ごちそう様でした」


 それに続きながらハルキチは頬を上気させて幸せそうに眠る魔女の様子が気になったが、嫁とのデート中に他の女性の寝顔を眺めるというのも失礼なので、すぐに視線を逸らして店を後にする。


 デートに浮かれる二人は気付いていなかった。

 テーブルの上にフレンチトーストの空き皿が残されていたことも、そのフレンチトーストが砂糖中毒者にとって美味しい劇薬となることも……。


 後に砂糖が大好きな学生たちから【フレンチジャンキーパニック】と呼ばれる飯テロ動画の種は、この時に撒かれてしまったのだ。



 そして二人はガンギマリする魔女を店に残して、仲良くデートを続けた。





     ◆◆◆





 最高の朝食を終えた二人は気分よくパリの街を観光した。

 凱旋門で記念撮影したり、エッフェル塔に昇ったり、ノートルダム大聖堂で祈りを捧げてみたり。

 そしてカンナが描いた魔法使いっぽいファッションに着替えて、セーヌ川のほとりで30ENのアイスを食べて小休止している時、ハルキチはようやく大事なことに気がついた。


 ……あんまりお金使ってなくね?


 朝ご飯も二人で3000ENくらいだったし、交通費とかを込みにしてもまだ5000ENくらいしか使ってない。


「カンナさんや」

「なんすか先輩?」

「ブランド物のバッグとか欲しくないかい? 今ならエルメスでもシャネルでも買い放題だけど?」

「あ、いえ。私はブランド物とか興味ないんで、お気持ちだけいただいておきます」


 素で答えて、90ENで買った三段重ねのアイスとの格闘に戻るカンナを見て、ハルキチは思った。


 ……カンナはかわいいな。


 デートに夢中で『嫁に貢ぐ』という今日の目的を完全に忘れてやがる。

 ハルキチと同じくらいカンナは豪遊することに縁がない人間だった。

 絵を描くことが大好きな鬼絵師様は、紙とペンと自由にイラストを描ける環境さえあれば満足なのだ。


 このままではいけない、と奮起したハルキチは、なにか金を使えそうな物はないかと周囲を眺める。


 すると近くにあったバイクショップに120万ENの数字とともに置いてある大きな原付が目について、ハルキチはちょうどアイスとの格闘を制したカンナに提案した。


「あのさ、このあとアレに乗らない?」


 ハルキチの指す方向へと目を向けたカンナは、そこにあった原付を見てピコンと反応した。


「おおっ!? ベスパ180SSじゃないですか! いいっすね!」


 好きなバイクだったのか好感触のカンナに、ハルキチは手応えを感じてバイクを買いに行こうとする。

 しかしそんな旦那の裾をキュッと掴んで、カンナは無駄な出費をやめさせた。


「あのバイクなら30秒で描けるんで、ちょっと待っててください」


 そしてそこらの壁に30秒でバイクを描きあげる家計に優しい嫁。


 ……違う、そうじゃない!


 ハルキチが心の中で突っ込む間にも、カンナは意気揚々とバイクを二次元の世界から取り出して、ついでに描いた半ヘルをハルキチへとパスした。


「運転は安全運転でお願いします!」

「……了解しました」


 まあ、描いてしまったものはしょうがないので、ヘルメットを装着してバイクに跨るハルキチ。

 その後ろにカンナが抱きついてきて、ハルキチは心臓が跳ねた。


 あれ……普通にドキドキする?


 以前なら『嫁の中身は美少女症候群』を発症したのだが、今のハルキチはカンナとのボディタッチに嬉しさしか感じなかった。

 その事実に気付いたハルキチは顔を真っ赤にする。


「? どうしたんすか?」

「い、いや、なんでもない!」


 あなたのことが大好きです、なんて恥ずかしいことを恋愛初心者が言えるはずもなく、ハルキチはバイクを発進させる。


 だけどカンナはハルキチが今までにない反応をしていることに気づいていた。

 旦那に抱きつく鬼娘の腕にキュッと力が籠る。


 春のパリはバイクで走るにはまだ少し肌寒かったが、お互いの体温で火照った二人には、ちょうどいい寒さだった。





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