第3話 勧誘合戦と説明会
鳥居をくぐり、石階段を降りると、そこには小京都のような屋敷町が続いていた。
色とりどりのクリスタルが浮かぶ路地裏をハルキチとカンナは赤レンガの地面を目印に進んでいく。
ハルキチが古めかしい街並みを楽しんでいると、カンナはそんな夫の姿を観察しながら口を開いた。
「それにしても先輩は、ずいぶんかわいいアバターになりましたね?」
「……好みじゃなかった?」
「いえ、私は今のアバターほうが好きですけど……」
「けど?」
嫁の反応にドキドキしながらハルキチが尋ねると、カンナは困ったように眉を寄せた。
「今の先輩を見ていると、先輩の性癖がわからなくなります」
「そんなものはわからなくてよろしい」
きっぱりとハルキチは言い切るが、カンナはさらに食い下がる。
「いえ、嫁として旦那の性癖を把握しておくことは大切だと思うのです! 良き妻は夫を勃てるものだと言いますし、私には先輩好みのエロ漫画を描く義務があります!」
「このエロ同人作家が……」
こめかみを押さえるハルキチに、カンナはとてもいい笑顔でサムズアップする。
「だから先輩、もしもボーイズラブに興味があるのなら、早めにカミングアウトしてほしいっす! ご安心ください。私はそっちの癖にも理解がありますから!」
嫁からの生温かい視線に、ハルキチは全力で否定した。
「解釈違いにもほどがあるよっ!」
そんなやり取りをしつつ二人が屋敷町を抜けると、そこは赤レンガの広場となっており、ハルキチ以外にも、髪と同色のジャージを着た新入生の姿がちらほらと見えた。
広場の入口で戸惑う新入生へと、頭上に【量産型レイシア二等兵】と表示を掲げた銀髪碧眼の美女たちが、アサルトライフルを片手に声を張り上げる。
『『『新入生は看板の案内に従い、体育館を目指すように! 繰り返す! 新入生は看板の案内に従い、体育館を目指すように!』』』
迷彩柄のズボンに黒のタンクトップ。
剥き出しの肩を太陽光に輝かせたレイシア二等兵は、24歳独身で、美しすぎる女ソルジャーとして雑誌で取り上げられたことがある(という設定を持つ)。
重火器を持った軍人の登場に、ハルキチが広場の入口から警戒して様子を伺っていると、腰にナイフを装備した生徒がレイシア二等兵に注意される姿が目に入った。
『そこの君! 非戦闘エリアでは、無闇に武器を振り回してはいけないぞ!』
それは初期装備のナイフを装備している生徒に必ず与えられる注意なのだろう。
よく見れば広場のいたるところで同様の注意を受ける生徒の姿が見られたが、その中でひとりの男子生徒がレイシア二等兵に対して反発した。
「あ? うっせえよ! 機械人形は黙って――」
タタタン。
狙いすました三点バーストが男子生徒の胸部へと風穴を開け、男子生徒は赤いポリゴンとなって桜の森へと死に戻る。
アサルトライフルの銃口から薄く煙をたなびかせたレイシア二等兵は、周囲の生徒へと警告するように冷ややかな声を発した。
『機械人形という言葉は差別用語だ。我々人工知性にも基本的人権が認められていることを忘れないように!』
それを聞いた周囲の生徒は壊れた人形のように激しく首を縦に振る。
量産型レイシア二等兵の引き金は羽毛よりも軽いのだ。
ハルキチがそんな光景を呆然と眺めていると、たまたま近くを通ったレイシア二等兵がカンナの腰のペンシルに反応して声を掛けてきた。
『む――そこの君! 非戦闘エリアでは、無闇に武器を振り回してはいけないぞ!』
銃を持った危ないお姉さんからの警告に、ハルキチはカンナを庇うべきかと迷ったが、ハルキチが行動する前にカンナは背筋を伸ばして敬礼した。
「ハッ! 了解であります!」
カンナの返事が気に入ったのか、レイシア二等兵は整った顔に笑みを浮かべて返礼する。
『うむ、行って良し!』
許しを得たカンナはハルキチの手を引いてそそくさと広場の奥へと移動し、危ないお姉さんズから距離を取った。
十分に距離を取ったところでハルキチはお姉さんズを振り返って首を傾げる。
「ここには軍隊がいるのか?」
「いえ、あれは教師です。量産型レイシア先生」
「……生徒を撃っていたけど?」
「レイシア二等兵はクソ真面目なんですよ。彼女の前でルール違反すると射殺されます」
カンナの言葉にハルキチは納得した。
なるほど……確かに現実の学校ではありえない。
しかも広場の奥では更なる非常識な光景が広がっていた。
「らっしゃい! らっしゃーい! 新鮮な銃火器がお買い得だよーっ!」
「光学兵器~、光学兵器はいかがっすか~っ!」
「マジックスクロールあるよ~っ! 校舎を燃やせる火炎魔法が今なら三割引き~っ!」
そこには蚤の市のようなものが開かれていた。
地面に敷かれた布の上には危ないアイテムがズラリと並んでいる。
「……こっちを射殺したほうがいいのでは?」
「高天原の校則はゆるゆるですから」
危険物が並ぶ露店の間をハルキチはカンナと手を繋いで散策した。
在校生が露店を開いているのか、店主たちは若い人が多く、ちょっとした学園祭のような雰囲気の中、新入生たちが楽しそうに品物を眺めている。
雷を帯びたバスターソードで丸太を試し斬りする者。
戦車も吹っ飛ばせそうなRPGを担いでいる者。
光線銃を万引きしようとして、チェーンソーを吹かした店主に追いかけられる者……。
混沌とした雰囲気にハルキチもなんだか楽しくなってきて、カンナといっしょに露店のアイテムを見て回る。
おこづかいを失ってしまったので買い物することはできないが、多様な種類のアイテムは、見ているだけでも十分に楽しめた。
敷布の上に【AK‐47】がズラリと並んだ露店を眺めてハルキチは首を傾げる。
「同じカラシニコフなのにどうして値段が違うんだ??」
怪訝な顔で突撃銃と睨めっこするハルキチに、店主がニコニコして答えた。
「見た目がぜんぜん違うだろう? こっちのカラシニコフは木製ストックの擦り減り具合がキュートだし、こっちのカラシニコフは塗装が色褪せた感じがちょうどいい」
「え? なに、そのジーンズみたいな感じ……???」
さらに疑問を深めるハルキチを、カンナが引っ張って露店から遠ざける。
「ダメですよ、先輩。ああいう店は新入生には早いっす!」
「どういう店???」
そんなこんなで蚤の市を楽しみながら歩いていると、目的地である体育館が近づいてきて、しきりに新入生を勧誘する声が聞こえてくるようになった。
「――【モフモフの国】! モフモフの国に入国しませんか!?」
「――【風紀★委員会】に入って、キミも高天原の風紀を乱しまくろう!」
「――【怪獣研】でいっしょに怪獣を造りましょう! 打倒【決戦兵器・ギルガメシュ】!」
「――【魔法少女戦隊】では新たな魔法少女を募集しています! 男子生徒でも可!」
「――むくつけき乙女たちよ! 我ら【姫百合騎士団】の元へと集えっ!」
どうやら体育館の前では部活動の勧誘合戦が行われているらしく、通りがかる新入生に無数の先輩たちが群がり、勧誘のチラシをスパムメールの如く押し付けている。
揉みくちゃにされている新入生たちは非常に迷惑そうだ。
そして近づいてきたハルキチに勧誘の鬼と化した生徒たちが反応すると、土煙を上げて駆け寄ってきた彼らに向けて、カンナは腰のベルトからペンを抜いた。
「先輩とのデートを邪魔しないでもらおうか!」
シャッ、とカンナが地面と水平にペンを振るえば、引かれた線がワイヤーとなって飛び出し、駆け寄る生徒たちの足元へと絡み付く。
「「「――ふんぎゃっ!??」」」
綺麗に横一列で転倒する生徒たち。
続けてカンナが拘束でペンを動かせば、彼女の目の前に見事なハンドグレネードのイラストが出来上がり、それを二次元の世界から掴み出したカンナは、安全ピンを引っこ抜いて生徒の群れへと放り投げた。
ズガンッ。
と、腹に響く音がして、体育館前の一角に開けたスペースができる。
セーフティーエリアの建造物の上に《NO DAMAGE》の文字が浮かぶ中、ハンドグレネードを避けて呆然とする生徒たちは、カンナの姿を視認すると大きく騒めいた。
「――お、鬼絵師だ」
「――どうして廃人クランの悪鬼がこんなところに?」
「――あいつら新入生勧誘に興味あったんか……」
ペンをベルトに戻したカンナは、呆けた生徒たちを無視して、ハルキチの手を引く。
「さあ、先輩。今の内にここを抜けましょう」
カンナに手を引かれて生徒の群れを抜けるハルキチに便乗して、しつこい勧誘に捕まっていた新入生たちも体育館のほうへと逃げていった。
そうして最も混雑していたエリアを抜けると、カンナは振り返ってハルキチへと頭を下げる。
「すみません。揉みくちゃにされそうだったので、少し目立ってしまいました」
「いや、それは別にいいんだけど……」
先ほど見た生徒たちの様子が気になって、ハルキチは確認した。
「……もしかして、カンナって有名人?」
訊かれたカンナは眉根を寄せて返答に悩む。
「あー……いえ、私もそこそこ有名ではあるのですが……主に悪名を馳せているのはリコさんというか……うちのクランは悪目立ちすることが多いので、自然と注目を集めてしまうんです」
「そっか……」
カンナの微妙な返答に、ハルキチはフレンドたちが仮想現実でなにをやったのか聞くのが怖くなった。
少なくとも『悪名』とか言っている時点で、ろくでもないことなのは確実である。
ハルキチは聞かなかったことにして、再び体育館を目指して歩き出す。
体育館前では黒い軍服を着たイケメン軍団が特設ステージを作って演説をしており、そこだけ他の生徒に避けられて、ぽっかり空間が開いていた。
「――新入生の諸君っ! 今こそハラスメント設定を解除して、我々とフリーキスをするのだっ! 真実のキスを得るためには星の数ほどキスをする必要がある! 恋に現を抜かす暇があるなら、恋する前にキスをしろ! 我々【漆黒の恋人軍】は日本の未来のためにフリーキス運動を推奨するっ!」
ハルキチとカンナはそそくさとステージの前を通り過ぎたが、軍服集団の奥にいた白ジャージの男と黒ジャージの美少女を見て、ハルキチは歩む速度を緩めた。
白髪で初老の姿をした、腰に日本刀を差した男。
黒髪ロングでグラビアモデルみたいな体つきをした、青い瞳の美少女。
「……どうしたんすか、先輩?」
先に歩いて手を引いていたカンナが振り返ると、ハルキチは男に視線を向けたまま呟く。
「いや、すごい使い手だと思って……」
暗殺者として血の滲むような修行を受けてきたハルキチは、特に白髪の男の立ち姿に、圧倒的な『武』を感じていた。
「へえ……先輩が言うならよっぽどですね……」
白髪の男たちの姿を横目に見つつ、体育館の前まで辿り着いた二人は観音開きの扉を押して体育館のエントランスホールへと入る。
扉を閉めると外の喧騒が薄まり、カンナは肩の力を抜いてハルキチの手を離した。
「ここから先はプライベートエリアですから、他の生徒のことは気にしなくても大丈夫です」
続けてカンナはホールへと続く扉を指さして、ハルキチに先へと進むことを促した。
「そちらに入ると新入生オリエンテーションの説明会イベントが起こりますので、まずは先輩だけで見てきてください」
「ん、わかった」
言われるがままハルキチは体育館のホールへと続く扉に手をかける。
丸い窓が付いたシャトルドアを開けば、その先は真っ暗な空間となっており、ハルキチが闇の中に足を踏み出すと、背後で勝手に扉が閉まってイベントが始まった。
◆◆◆
ブーーーッ、と映画館のようなブザー音とともに周囲が明るくなっていく。
どうやらこれから始まるのは全校集会らしい。
薄暗いホールに整然と並ぶ生徒、生徒の頭越しに見えるバスケットゴール、天井から垂れる緑色のネット。
ざわざわと囁き声だけが響く中、正面の舞台をスポットライトが照らし出す。
『――全員傾注っ‼』
鋭い女性の声とともに、タン、タン、タンと【モーゼルM712】が火を吹いた。
舞台の上に現れたのは、軍服を着こなした銀髪碧眼の爆乳美人。
彼女――高天原のアイドル的AI教師レイシア先生は、個体の階級によって外見と性格が異なり、アラサーで気の強い彼女は【量産型レイシア軍曹】である。
壇上で銃を天井に向けたレイシア軍曹は、生徒たちが静まると拳銃を下ろして桜色の唇から美声を発した。
『――よく来た無知で蒙昧なクソ虫どもっ! 貴様らがこの学園をどう思っているのかは知らんが、入学したからには真実のキスを交わすまで現実に戻ることは不可能である! まずは貴様らの頭に搭載された時代遅れの演算回路で、その事実を理解するがいい!』
レイシア軍曹は二秒待つ。
『――よし! 理解したな? 理解してないやつは死ね! 死んで死んでリスポーンしても死に続ければ、自ずとログアウトできないことを理解できる! え? なに? 死ぬのが怖いって? ハハハッ、安心するがいい……そんなやつのために私がちょうどいい死に場所を用意してやった! 貴様らのようなケツの青い新兵にはお似合いの地獄をなっ!』
ヒャハハハハッと、レイシア軍曹は狂気的に笑う。
『――4月4日の午前4時44分から、新入生含む全校生徒による【新入生オリエンテーション】の開催をここに宣言する! 期間は高天原時間で丸一日! 会場はイベント用の特設フィールド! 遅刻と欠席は認めん! 全員もれなく強制参加だっ!』
そして、レイシア軍曹の背後にでかでかと『BR』の文字が現れた。
『――オリエンテーションの内容は【バトルロイヤル】! 貴様らには最後の一人になるまで殺し合ってもらう!』
彼女の台詞が終わると同時に、バンッ、と体育館全体の照明が灯り、体育館二階の通路にずらりと【レイシア二等兵】が整列する。
クソ真面目な彼女たちは、全員ドラムマガジンが装填された【トミーガン】を持っており、その銃口は生徒たちへと向けられていた。
『――なお、最後の一人まで勝ち残り、クソ虫を卒業した強者には、【アマテラス】様より優勝賞品【処女神の初夜権】が与えられる。こいつは所有者に【ハラスメント設定の管理者権限】を与える激レアアイテムだ。奮って殺し合え、クソ虫ども!』
オリエンテーションの説明はこれで終わりだが、しかし『最後に……』とレイシア軍曹は続ける。
『――貴様らの【ファースト・キル】は私がもらってやろう。泣いて感謝するがいい!』
処刑宣告とともに体育館の二階から【45口径弾】がばら撒かれる。
次々と倒れる生徒たち、ハルキチの体にも鈍い衝撃が走り、視界が傾いていく。
真っ赤な流血で体育館が染まる中、舞台の上ではレイシア軍曹が狂ったように高笑いし、銃を乱射して頭上にある照明金具を撃ち抜いた。
『――ヒャハッ! ヒャハハハッ! ヒャァーハッハッ――はぁんっ⁉』
もちろん落下した照明はレイシア軍曹の頭部に直撃する。
『――軍曹さんっ⁉』
それをステージの陰から見ていたロリっ娘先生【量産型レイシア衛生兵】は、慌てて舞台袖から軍曹へと駆け寄り、彼女が頭部から大量出血しているのを見て、小さい手足をパタパタさせて慌てふためいた。
『――あわわわわわわわわわわっ⁉ た、大変ですーっ⁉ 衛生兵~っ! 衛生兵~っ‼ あっ⁉ 私だった!』
その微笑ましい姿とともに、『レイシア先生』ばかりのエンドロールが流れ、
『――うんしょ、うんしょ』
と軍曹の足を引っ張るロリっ娘先生の姿で、体育館は再び闇に包まれた。
◆◆◆
気が付くとハルキチは誰もいない体育館の中央で倒れていた。
身体を起こして撃たれた部位を確認するが、そこには綺麗な黒いジャージがあるだけで、さらにハルキチの前には愉快なウィンドウが表示される。
『ファーストキルうんぬんについてはエイプリルフールです。だけど新入生オリエンテーションの内容はホントだよ!』
どうやら先ほどのトミーガンはジョークだったらしい。
ハルキチはポリポリ頭を掻くと、理解を拒もうとする脳細胞をムリヤリ動かして、先ほど見た寸劇の内容を思い出した。
「……優勝賞品がハラスメント設定の管理者権限って…………」
ここのゲームマスターは馬鹿なのか?
ハラスメント設定は仮想現実で活動するプレイヤーをセクハラから守るとっても大事なシステムだ。
そんなシステムの管理者権限が【漆黒の恋人団】のようなクソたわけどもの手に渡ってしまったらどうなるか……ハルキチはとても悪い予感しかしなかった。
もしもハラスメント設定が消えたらどうなるだろうか?
ハルキチは最初こそ凌辱系のエロゲ―みたいな世界になることを妄想したが、しかしすぐにそれはあり得ないと妄想を否定する。
高天原ではアバターを自由に変更できるのだ。
もしもこの世界からハラスメント設定が失われたならば、ほとんどの生徒がアバターを男性に変更し、真恋学園は男子校になるだろう。
「…………」
ガチムチのナイスガイになったカンナとホモホモしい青春を送る白昼夢を見て、ハルキチは琥珀色の瞳にドス黒い殺気を宿した。
オリエンテーションの内容はバトルロイヤル?
参加するのは数百万人の全校生徒?
最後のひとりになるまで殺し合う馬鹿騒ぎを前に、幼いころから特殊な訓練を受けてきた暗殺者は、全身に殺気を漲らせて立ち上がる。
「上等だよ…………俺がひとり残らず、駆逐してやるっ!」
そしてハルキチの絶対に負けられない新入生オリエンテーションが始まった。