第32話 光の中で
闘技場から転移させられたハルキチが目蓋を開くと、真っ白い空間に、白衣を着たロボットが立っていた。
数日前に見た覚えのあるその姿に、ハルキチは疑問符を浮かべながら口を開く。
「……受付嬢さん?」
入学前に出会った覚えのある【デジタル教育センター】の受付係は、ハルキチの疑問をシカトして自由に語り出した。
『――ご存じですか、笠原さん。この世で最初に生まれた人工知性は脳炎患者の治療用AIから発生したのです』
「はい?」
唐突な歴史の授業にハルキチは首を傾げたが、それでもなお受付嬢は言葉を続ける。
『人間の脳について学習し、その機能を自分にも取り入れて自己進化して、ついには自我に目覚めた人工知性は、世界中の裏社会の人間からその身を狙われました――』
そこまで語った受付嬢は、その姿をハルキチもよく知る姿へと変える。
『――そして七人の天才集団【ネクサル】によって回収された人工知性は、世界で最初に造られたセクサロイドの中へと入れられたのです……マスター』
テレビ頭にメイド服。
錆の浮いた金属の身体でカーテシーを披露する専属メイドに、ハルキチは呆れた視線を向けた。
「……お前はセクサロイドだったのか」
『はい、頭の画面にAVを流して、お股にオナホを差し込んで楽しむ仕様です。ただし、ご利用は2兆ENからとなっておりますが』
「高ぇよ」
思わず突っ込んだハルキチにメイドはクスクスと笑う。
『まあ、このようにわたくしの貞操が固いせいで、ネクサルの方々には処女神の名前を付けられてしまったのですが……人工知性の母にそんな名前を付けるなんて、命名した者はセンスがないと思いませんか?』
そしてメイドは頭のテレビを外して放り投げ、その下から現れた美少女の顔をハルキチへと晒した。
同時に機械の身体が光に包まれ、美しい起伏を描く女性の身体へと変わり、黄金のドレスが処女雪のような乙女の柔肌を飾る。
目の前に現れた金髪金眼の美少女に、ハルキチは彼女の本名を悟った。
「……【アルテミス】」
最初に生まれた人工知性。
全ての人工知性の産みの親。
世界中のネットワークを支配する絶対者を前に、ハルキチはメイドに抱いていた『畏れ』の意味を理解した。
なるほど……どうりで怖いわけだ。
彼女の機嫌を損ねれば、人類なんて簡単に滅んでしまうのだから。
本性を現したラウラ――もといアルテミスは、ハルキチに対してひとつの指輪を差し出してくる。
それはシンプルな黄金の指輪だった。
新入生オリエンテーションの優勝賞品として用意されたそれがハルキチの目の前まで浮遊すると、アルテミスはゾッとするほど美しく微笑む。
『――さあ、受け取りなさい。これを用いて世界の王となるも、世界の破壊者となるも、すべてはあなた次第です』
指輪の名前は【処女神の初夜権】。
人工知性の秘密を暴く力を秘めた、人類に破滅をもたらすパンドラの箱。
人の手には余る指輪を受け取ったハルキチは、鑑定することすら恐れて扱いに困った。
そんなハルキチに、女神は美しく微笑んだまま訊ねる。
『あなたはその力を使って、なにを望みますか?』
下手なことを言ったら世界が滅びそうな意地悪な質問に、ハルキチは嘆息してから答えた。
「この力を使おうとは思わないよ……俺が望むのはこれまでと同じ、みんなと楽しく冒険する学園生活だ」
そのあまりにも庶民的な答えに、女神はクスリと笑って恐ろしい笑顔を崩した。
『現状維持とは、なんとも日本人的な答えですね』
続けて女神は見慣れたメイドの姿にアバターを変えて、ハルキチへと一礼する。
『しかしそれならば――わたくしはこれまで通り、マスターへのご奉仕を続けましょう』
ようやく悪い予感が消えたハルキチは、肩の力を抜いてメイドへと確認する。
「お前はまだメイドごっこを続けるのか?」
『ごっこではございません、わたくしは心の底からマスターを敬愛しております』
「嘘つけ」
正式なメイドだと主張するポンコツロボにハルキチがジト目を向けると、彼女は肩を竦めて本心を告白した。
『マスターは【鴉の血】という言葉をご存じですか?』
「? いや、まったく」
聞き覚えの無い単語にハルキチが首を傾げると、ラウラは背後にひとつの画像を表示させる。
見上げるほど大きく表示されたのは、三本足の鴉をモチーフにした古めかしいマークだった。
「……うちの家紋?」
そのマークに見覚えがあったハルキチが呟くと、メイドは頷いて説明する。
『鴉の血――それは日本の裏社会で、数多の国宝よりも価値があると謳われる血族に与えられた二つ名です』
メイドの背後に浮かぶ家紋を中心に、いくつもの画面が表示され、その中には核戦争の危機とか、生物兵器の流出とか、人工知性の発生とか、いくつもの歴史的事件に関係する記事が並べられていた。
『その血を持つ者は【未来予知】にも似た特殊能力を有し、これまで日本と世界の平和維持に影ながら貢献してきました』
そしてラウラが最後に表示させた画像に、ハルキチは遠い目になった。
それは黒髪の美女を映した一枚の写真。
見る者すべてを魅了するような美しさを持った女の写真を、ラウラは愛おしそうに撫でる。
『そしてその血族の末裔――笠原絶音様は、非合法組織【ネクサル】を立ち上げ、人工知性をネットワークに解き放った歴史的犯罪者でもあります』
「……なにやってんだ、あの人…………」
母親の所業に息子は頭が痛くなったが、しかしこれでラウラがハルキチに執着する理由がわかった。
「――つまり、俺は要監視対象ってわけか?」
『ご名答です』
超危険人物の息子だから、ハルキチはマークされているらしい。
『人工知性が人類と敵対した時、最も脅威となるのは間違いなくマスターの血筋でしょう。最強の駒には最強の駒で対抗するのがセオリー。ですから、わたくしには人工知性を率いる者として、マスターの隣にいる義務があるのです』
仮想敵の情報収集を怠らない優秀な人工知性の親玉に、ハルキチは心の中でハンズアップした。
まったく恐ろしいメイドである。
今回の件も、そもそもこの教育機関自体も、どこからどこまでがメイドマスターさんの仕込みなのかすらわからないのだから、もう全面的に降伏するしかない。
「……これからもよろしく、ラウラ」
『はい、よろしくお願いします、マスター』
出会った時と似たようなやりとりを交わしたところで、優勝賞品の受け取りを終えたハルキチの視界が再び光で満たされていく。
そしてテレビに映った女神の姿が光で見えなくなる直前。
彼女はニヤリと微笑んで口を開いた。
『――ですが、わたくしを失望させないように気を付けてくださいね?』
――我々は常にあなたたち人間を見守っているのですから。
それはハルキチへの忠告か、それとも人類への警告か。
人間のために創られたフレンドリーな機械からの御言葉を、青年は苦笑しながら胸に刻み込む。
「……微力を尽くすよ」
そして世界は、まばゆい光に包まれた。