第31話 エクストラステージ
光が収まると、そこは円形の闘技場になっていた。
半径100メートルほどの石舞台の中央に、ハルキチとタケゾウだけが残されており、宙に浮かぶ石舞台の下には青い惑星が輝いている。
さらに周囲にはグルリと舞台を囲む観客席が設置され、1キロメートルほど離れた観客席から数百万の視線が向けられるのをハルキチは肌で感じた。
遠くから津波のように歓声が押し寄せてくる。
どうやらハルキチたちの姿は映像で中継されているらしく、観客席の側にはいくつも巨大なスクリーンが浮かんでいるのが見えた。
アイテムボックスから取り出した魔石で魔法障壁のチャージをしつつ、ハルキチは向かいに立つ初老の男へと視線を向ける。
タケゾウは少し戸惑いながらもアイテムボックスから日本刀を取り出して、腰に装備しているところだった。
ハルキチの視線に気づいたタケゾウが、二人の間に浮かぶ文字を眺めて口を開く。
「……一騎打ち、か」
二人の間では『READY』の文字と、残り30秒ほどのカウントダウンが表示されていた。
自分もアイテムボックスからいつもの装備を取り出して腰のベルトに取り付けながら、ハルキチは言葉を返す。
「ギブアップしてもいいんだぜ? 目立つのはマズいだろ?」
裏社会の人間に向けたハルキチの軽口にタケゾウは口の端をわずかに上げ、腰を落として刀の柄へと手を添えた。
「笑止」
ハルキチも装備をチェックして、万全に戦う準備を整える。
右腰にはコルト。
腰の後ろには左手で抜けるようにコンバットナイフをセットして、神膳包丁の神紋は右手の平に移動させる。
そして残りのカウントが10秒を切ったところで、タケゾウが剣呑な目つきで訊ねてきた。
「最後にひとつだけ確認させてくれ、儂に斬られる覚悟はできたか?」
全身に当てられる濃密な殺気。
しかしハルキチはそれを笑顔で受け流して堂々と答える。
「斬られる覚悟なんてねえよ……あんたをブッ飛ばす用意ならあるけど!」
挑発して、ハルキチもお返しとばかりに殺気を放った。
「……いい応えだ」
好戦的な笑顔で睨みあった二人は、精神を研ぎ澄ましてカウントがゼロになるのを待つ。
《――READY――FIGHT!》
そして二人の暗殺者は動き出し、後に伝説として語られる決闘が始まった。
◆◆◆
観客席では全校生徒が、初めて行われるエクストラステージに盛り上がっていた。
「やっべえ! やっべえ! 新展開!」
「新入生オリエンテーションにこんなステージあったんだ!?」
「あの新入生誰よ!? すげぇ美少女と爺さんの情報持ってるやついない?」
客席の前に表示された巨大スクリーン。
そこに映された二人の姿について、口々に噂のやり取りがされる。
これまで暗躍していたタケゾウの情報はほとんど出なかったが、配信や普段の行いで目立っていたハルキチについては即座に特定された。
「飯テロ姉さんだっ!」
「姉さんが最後まで残ってるモグ!」
「うおおおおおおっ! がんばれ姉さ~~~んっ!!」
配信で胃袋を掴まれたモグラ―たちが、周囲の知らない生徒へと布教活動を行い、飯テロ姉さんの二つ名が全校生徒に知られていく。
中には観戦のつまみにハルキチの料理を配る猛者もいて、照り焼きチキンサンドやカツ丼の味に新たなモグラーが追加された。
そして八百万の生徒が見守る中で、二人の戦いが始まる。
カウントがゼロになって文字が消えると同時に、ハルキチはコルトを抜いて躊躇なく弾丸を放った。
1発、2発、3発と水のように流れるタケゾウの足さばきに躱され、4発目と5発目は静かな剣閃に打ち払われる。そして6発目を撃つ前に刀の切っ先がコルトの銃口を捉え、ハルキチは躊躇なく拳銃を手放してバックステップする。
先ほどまで自分の目があった場所をゾッとするほど洗練された剣閃が通り、ハルキチは冷や汗を流しながらコンバットナイフを逆手で抜いた。
右手に出した包丁を牽制で投げ、タケゾウが斬り払った隙に肉薄する。
「――シッ!」
そうして放ったハルキチの一撃は、タケゾウの指によって流された。
ゴツゴツした無骨な指先がナイフの腹をそっと押し、渾身の攻撃が空を切る。
「なっ!?」
自分を超える神技に動揺するハルキチへとタケゾウの刀が振り下ろされ、魔法障壁ごとハルキチの身体が押し戻された。
「ふむ……アイテムの力とは厄介なものだな」
肉を斬った手応えがないことにタケゾウは呟き、すぐに気を取り直して冷静にハルキチとの距離を詰めてくる。
右手に再び包丁を召喚したハルキチは、2本の刃を構えてそれを迎え打った。
互いに最小限の動きで回避し、避け切れない攻撃だけは受け流し、的確に相手の急所を狙って刃を走らせる。
最初はアグレッシブな二人の攻防に湧き上がっていた観客席だが、二人の死合いが続くほど言葉を失っていった。
「すっげぇ…………」
「う、美しい…………」
「人間ってあんな動きができたんだ……」
洗練された剣舞のような戦いを披露する二人。
有り余る才能を持つハルキチと、圧倒的な経験値を持つタケゾウ。
武術を極めた達人たちが見せる技に、会場はやがて完全な静寂に包まれた。
誰もが二人の邪魔をしないよう固唾を飲んで見守る中、次第に戦いの軍配はタケゾウの側へと傾いていく。
武術に身を投じてきた時間。
実戦で研ぎ澄まされた経験値。
それらは天賦の才能すらも呑み込み、少しずつハルキチの被弾が増えていった。
躱しきれなかった刃の切っ先が魔法障壁を食い破り、ついにハルキチを覆う障壁が完全に削り切られる。
「チッ! バケモノめ!」
バックステップで距離を取ったハルキチは、泰然と構えるタケゾウを前に、他の生徒の気持ちを思い知った。
思わず口から飛び出した言葉はずっとハルキチが言われてきた言葉。
自分と戦う生徒はこんな気持ちなのかもしれない。
どんな攻撃をしても躱され、受け流されて、こちらの攻撃は当たらないのに、あちらの攻撃だけは当たる。
なるほど確かに理不尽だ。
二度と戦いたくないと思われても不思議ではない。
しかし同時に、ハルキチの中にはそんな強敵を打ち破りたいという欲求も湧き上がっていた。
目の前のバケモノを倒すことができたらどれほど気持ちいいだろう。
きっとその先にはクソ難易度の『死にゲー』をクリアしたとき以上の爽快感が待っているはずだ。
いちおう人類の存亡が賭かっている戦いなのに、そんなことを考えてしまう自分の業の深さに内心で苦笑して、ハルキチはタケゾウへと再び向かって行った。
◆◆◆
スクリーンの中で苦戦するハルキチの姿に、フラグブレイカーズの面々は祈っていた。
「先輩……」
格上の武人を相手に向かって行く男の子の勇姿に、カンナがリコリスがあん子が、心の底から勝利を願う。
常に必殺の一撃を放つタケゾウと、紙一重でそれを躱すハルキチ。
二人の戦いには声援を送れないほどの緊迫感があった。
不用意に声を上げれば、それがきっかけでハルキチの命脈が断たれてしまうのではないかという迫力が、スクリーン越しでもタケゾウの剣から伝わってくる。
初老の男はまさしく達人だった。
純粋な武術だけで、あらゆる障害を斬り捨てる。
素人目に見てもわかるほどタケゾウの剣にはそんな凄みがあった。
次第に画面の中で傷だらけになっていく仲間の姿に、カンナたちは必死に祈る。
――勝ってください、先輩!
――勝ってハルハル!
――勝てっ! ハルキチっ!
そんな声にならぬ祈りを受けて、ハルキチとタケゾウの戦いは、更に熾烈を極めていった。
◆◆◆
「はああああああああっ!」
静寂に包まれた闘技場には、刃を撃ち合う音とハルキチの咆哮だけが響いていた。
幾度となく振るわれたタケゾウの絶技を、ハルキチは必死で躱し、反撃し、傷だらけになりながら勝利を掴もうと足掻く。
手元に戻ってくる特性を持つ神膳包丁を投擲して急所を狙い、左気のコンバットナイフで首を狩ろうとする。
極限まで研ぎ澄まされた精神は世界がスローで動いていると思えるほどハルキチの体感時間を引き延ばしたが、それでもタケゾウの振るう剣には追い付けない。
ひとつの太刀が、ひとつの動作が、ひとつの呼吸が。
相手を斬るために行われるタケゾウの全ての行動が、ハルキチのそれを上回っていた。
顔の中央へと放たれた突きを躱し、頬を切り裂かれながらハルキチは前に出る。
「ハッ!」
そして裂帛の気合いとともに放った神膳包丁による突きは、タケゾウが無造作に持ち上げた二本の指によって止められた。
親指と人差し指によって万力にように挟まれ、包丁がピクリとも動かなくなる。
「――無駄だ」
「ぐっ!?」
続けて打ち込まれたタケゾウの中段蹴りで、ハルキチは石舞台の上を転がった。
視界が激しく回る中、背筋に悪寒を感じたハルキチはムリヤリ身体を動かした。
追撃で投げられたクナイを、身体を跳ね上げることで回避する。
「器用なことを」
舞台の上を跳ねまわるハルキチに、タケゾウは半ば呆れながら泰然と歩いて距離を詰めた。
体勢を整えたハルキチは二つの刃を構えながら、アイテムボックスの中身を思い出して必死で作戦を練る。
鼻の先を切られながら横なぎを躱し。
受け流したはずの突きに二の腕を穿たれ。
蛇のようにうねる斬り上げに耳を飛ばされる。
ブッ飛ばす用意があるとか言ったけど、あれはただの強がりだ。
本当は作戦なんてなにもない。
唐突に始まったエクストラステージへの対策をハルキチはなにも思いついていなかった。
純粋な武術の腕で負けていて、タケゾウには奇策の類も効果が薄い。
残された可能性はアイテムを上手く使って状況を打開するくらいだが、新入生オリエンテーションをギリギリで勝ち抜いてきたハルキチのアイテムボックスには大したアイテムが残っていなかった。
さらに問題は……
「――【即席料理】!」
空中にコーラが現れると、すかさず距離を詰めてきたタケゾウがコーラを両断し、メソトスコーラは完成する前に霧散する。
……これだ。
ハルキチはタケゾウの攻撃を躱して後退しながら、恨みがましい視線を初老の男へと向けた。
「あんた……どこで俺のスキルについて知りやがった!?」
ハルキチと一定の距離を保ちつつ、タケゾウは冷静にネタを明かす。
「弟子に聞いたのだ。キララは目がいいのでな」
言われてみれば、確かに【宴刃魔王】との戦闘でハルキチは【即席料理】を使っていた。
たった一度スキルの発動を見ただけで、ハルキチも知らないスキルの弱点に気付くとは、キララは魔王と呼ばれるだけの恐ろしい観察眼を持っていたらしい。
ハルキチの【即席料理】は料理が完成するまでに、ほんの少しタイムラグがあるのだ。
時間にすれば0.2秒ほど。
その間に攻撃を加えられると、食材の耐久値が全損して料理が失敗扱いとなる。
実験していた時にすら気づかなかったその弱点に、キララは初見の戦闘中に気付いていた。
近くでスキルを発動させようとしても邪魔されてしまうし、距離をとっても着流しの中に仕込まれたクナイによって邪魔される。
最後の切り札すらも封殺され、万事休すといったハルキチを、そしてついにタケゾウの唐竹割りが捉えた。
「っ!?」
どうにか2本の刃をクロスさせて受け止めたが、タケゾウの一撃は肩口まで届く。
「諦めろ。実戦も知らない子供の技では、儂には勝てん」
さらに刀を押し込もうとするタケゾウに、ハルキチは歯を食いしばって二本の刃で抵抗した。
ギャリギャリと二人の間で火花が飛び散る。
状況は絶望的だ。
得意の武術で負けていて、さらにこちらのスキルまで把握されている。
さらには激戦で耐久値の限界を迎えたコンバットナイフが砕け、ハルキチは慌てて神膳包丁を支えたが、無慈悲にも刀はハルキチの肩へとさらに深く喰い込んだ。
「くっ……そっ……!?」
少しずつ近づいてくる敗北の気配に、人類の終末の予感に、ついにはハルキチの脳裏に走馬灯が過ぎる。
リコリスやあん子と過ごした数日間。
ムカつくメイドとの漫才みたいなやり取り。
そして最愛の嫁であるカンナとの入学デート……
「――っ!?」
と、そこまで思い出したところで、ハルキチの頭にひとつの悪だくみが浮かび上がった。
ギリギリと鍔迫り合いを続けるタケゾウへと、ハルキチは不敵に笑いかける。
「……確かに、戦闘の経験値ではあんたに及ばないかもな…………」
左手の内側にアイテムを取り出す。
「……でもっ!」
そしてハルキチは満身の力を込めてタケゾウの刀を少しだけ持ち上げると、次の瞬間、包丁を消して、自分の左腕を斬り飛ばさせた。
「む……」
同時にハルキチは地面を蹴って宙返りする。
勢いよくハルキチの腕を斬り落としたタケゾウの刀は、そのままハルキチの左手が握る円柱型の容器へと吸い込まれ……
『――ダーリーンっ♪』
真っ二つに両断された収納容器から、ラブドールが飛び出してきた。
ハルキチが選んだアイテムは【ワンナイト・ラブドール・くるみちゃん♪】。
学生協会で適当にアイテムボックスへと放り込んだジョークグッズ。
しょぼいAIしか搭載されていないラブドールは、しかしそれ故に最速で、最寄りの対象へとダイシュキホールドをぶちかます。
まるでエイリアンの幼生体を彷彿とさせるその素早い動きに、流石のタケゾウも困惑した。
「っ!? なんだこいつは!?」
咄嗟に刀を滑り込ませて痴れ者を両断しようとするが、無駄に耐久値が高く作られたラブドールはなかなか壊れない。
そして拘束アイテムによって身動きできないタケゾウへと、ハルキチは渾身の一撃を放った。
「――【フラグブレイク】っ!」
それは高天原に48あるネタ技のひとつ。
イチャつくバカップルに対して3.5倍の特攻ボーナスをもたらすスキル効果によって、ハルキチの右ストレートはタケゾウの身体を10メートル以上も吹き飛ばす。
「ぐっ!??」
くるみちゃんごと地面を転がったタケゾウは、顔に強力な打撃をもらったことによるスタン状態で動けなくなった。
拘束アイテムとスタン。
二つのデバフを食らって身動きができないタケゾウの周りへとゴム毬のようなものが飛んでくる。
ポーン、ポーン、ポーン。
そして卵の形をした爆弾が炸裂するその直前に、ラブドールに抱かれて恨めしそうな視線を向けてくるタケゾウへと、ハルキチは背を向けて捨て台詞を送った。
「――ゲームの経験値は俺のほうが上だぜ?」
かっこつけるハルキチの背後で真っ赤な爆炎が上がる。
赤いポリゴンとなって砕けるタケゾウ。
燃え続けるくるみちゃん。
そして激闘を制したハルキチの前に黄金の文字が現れる。
《――YOU WIN!》
遅れて、観客席から津波のような歓声が押し寄せてきた。
全校生徒が立ち上がり、新入生の頂点に立ったハルキチへと拍手を送っている。
ハルキチが残った右腕を上げてそれに応えると、さらに歓声は大きくなった。
姉さんとか、悪魔とか、入学してからたったの数日で付けられた渾名が叫ばれ、ハルキチは思わず笑顔を浮かべる。
長い戦いだったけど楽しかった。
上機嫌に笑うとストーカーが発生する恐れがあるのだが、それも今は気にならない。
戦いはもう終わったのだから、今くらいは油断したっていいだろう。
そして心の底から嬉しさを滲ませるハルキチは最高の笑顔を披露し、全校生徒を魅了して数多くのファンを作り、
「あー……楽しかった…………」
白い光に包まれて天空の闘技場から姿を消した。