第28話 二人きりの夜
セーフティエリアへと辿り着いたハルキチとカンナは、27階建ての校舎の屋上へと移動して最終決戦のステージである『血戦グラウンド』を眺めていた。
半径2キロメートルのグラウンドの中央には、地上から100メートルくらい離れた空中に燦然と輝く優勝トロフィーが浮かんでいる。
「あれにタッチすれば決着、か」
トロフィーを見つめて呟くハルキチにカンナは頷いて、アイテムボックスから道中で手に入れた双眼鏡を取り出した。
「問題は対岸にいる軍勢ですよねぇ……まったく、いつの間にあれほどの数を集めたんだか……」
カンナから渡された双眼鏡でハルキチも覗いてみると、優勝トロフィーの向こう側にある対岸の校舎には、数万人規模の黒い軍隊がひしめいていた。
敵の巨大さに圧倒されていると、二人の目の前にウィンドウが開いてチャットが表示される。
【あん子:すまん! こっちはゲームオーバーだ!】
【リコリス:宴刃魔王だけは道連れにしたから後は任せた!】
仲間たちからの短い連絡にカンナは唸る。
「むぅ……こうなると【屍蠅魔王】の相手は私がやるしかありませんか……責任重大っすね……」
冷たい汗を流す鬼娘へと、ハルキチは続けて送られてきたチャットを見せる。
「どうやらメイドは健在みたいだ」
【ラウラ:ミッションコンプリートです、マスター】
【ラウラ:とっても苦労したので豪華な追加報酬を希望します!】
相変わらずなメイドからのメッセージに二人は顔を見合わせて苦笑する。
そして少し気が緩んだところでカンナのお腹から、くぅ~、と可愛い音が鳴り、空腹の嫁は赤面して旦那の肩に猫パンチした。
「お腹が鳴ってますよ! 先輩!」
腹の音を旦那になすりつけるとは太い嫁である。
だけどハルキチは嫁の反応が可愛いかったので、文句を言わずに食事の支度をすることにした。
時刻は22時17分。
最終決戦が始まるのは翌朝の4時44分かららしいので、時間を計算して食事効果が続くことを確認してから、ハルキチはアイテムボックスに収納していた【カツ丼セット】を取り出した。
「ご飯にしようか」
「賛成です!」
屋上の縁に腰掛けて、二人はプレートに乗ったカツ丼と豚汁を食べ始める。
神の味がするホカホカの豚肉を頬張りながら、ハルキチは取り留めもないことを考えた。
タケゾウたちのこととか。
人工知性のこととか。
果ては世界平和のこととか。
そしてタケゾウたちの邪魔をする自分の行動は本当に正しいのかと悩み始めたころ、ほっぺにご飯粒を付けたカンナがハルキチの顔を覗き込んだ。
「どうしたんすか、先輩? 難しい顔しちゃって?」
ハルキチはとりあえずカンナのほっぺからご飯粒を回収してから、気心の知れた鬼嫁に胸の内を相談してみる。
「あー……ちょっと世界平和について考えていて」
「……ミスアメリカでも目指すつもりですか?」
セーラー服姿で世界平和なんて言うものだから、コンテストに出るつもりなのかと疑いの目を向けてくるカンナに、ハルキチは慌てて説明を追加した。
「いや、ほら、プロのエージェントが平和のために戦っているのに……俺みたいな素人が邪魔してもいいのかなって」
「でも先輩の直感はヤバいって言っているのでしょう?」
「それはそうなんだけど……」
奥歯に三つ葉が詰まったような物言いをするハルキチに、カンナは肩をすくめて気楽な声を出す。
「そんなに難しく考える必要はないと思いますよ?」
「……人類の存亡がかかっているのに?」
丼の底に残ったご飯粒を丁寧に集めながら、カンナは自分の気持ちを素直に伝えた。
「べつに人類の存亡なんてどうでもいいじゃないですか」
「ええ……」
いきなりぶっちゃけた嫁にハルキチが呆れた視線を向けると、彼女はとてもいい笑顔で見つめ返してくる。
「私が守りたいと思う世界は、先輩と、リコさんと、あん子さんと、ラウラさんと、いっしょに冒険できる世界です。その素敵な世界を守るためならば、私は人類を敵に回したって構いません! ……先輩は私たちとの冒険を続けたいと思わないのですか?」
カンナに問われ、ハルキチはすぐに答えた。
「思う」
最初はムリヤリ入学させられたオンラインスクールだったけど、そこで待っていたフレンドたちとの冒険や日常は、とても楽しいものだった。
カンナと、リコリスと、あん子と、そしてラウラと、みんなでバカやって笑ったり怒ったり、時には泣いたりする青春は何物にも代えがたい。
「ならばそれは先輩の正義ですよ。たとえ敵が世界平和を目標に掲げていようとも、気にすることなどありません!」
「……そっか」
「そうですとも!」
自身満々にカツ丼に残った最後の一口を頬張る嫁の姿を、ハルキチは眩しそうに眺めてから、自分の分のカツ丼を胃袋の中へとかき込んだ。
そして丼の中身を空っぽにするころには、ハルキチの悩みは消えていた。
満腹になったハルキチは、丼を収納して勢いよく立ち上がる。
「うっし! それなら俺は絶対に優勝トロフィーを持ち帰るっ! カンナたちとの冒険をこれからも続けるために!」
人類の存亡とか知ったことではない。
ハルキチは嫁の笑顔を守るために戦おうと信念を固めた。
「その意気ですっ!」
晴れやかな気持ちになったハルキチの隣に、カンナも元気良く立ち上がる。
「ふっふっふ……素敵な目標を掲げた先輩に、ここで私が用意したプレゼントを見せてあげましょう!」
そして悪戯っ子のような笑みを浮かべてカンナが表示させたウィンドウを覗き込んで、ハルキチはとても感動した。
「これはっ……!」
「どうっすか? すごいでしょ!? 明日はこれを使って私が大暴れしてやりますから、先輩は大船に乗ったつもりでいてくださいよ!」
カンナに見せてもらった秘密兵器の姿に、ハルキチの胸が温かくなる。
それは嫁からの愛情を大いに感じるものだった。
「勝っても負けても、全力で楽しみましょうね?」
ハルキチを気遣ってウインクしてくる嫁の愛情のおかげで、夫の心からは緊張が消えて、最終決戦を楽しむ気持ちだけが湧き上がってくる。
「ああ、全力で楽しもう!」
そしてハルキチとカンナは笑いあって、新入生オリエンテーションの最終ステージを迎えた。