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第2話  ネトゲの嫁とハニートラッパー




「――カンナああああああああああああっ!」


 むさ苦しい男から一転し美少女の姿で現れたネトゲの嫁に、ハルキチは思わず抱きついた。

 柔らかい女の子の身体を抱きしめようとすると、見えない壁に阻まれてしまうが、それでもハルキチは構わずに壁の上から嫁を抱きしめようとする。


「おおっ!? いきなり熱烈っすね!」


 カンナと呼ばれた少女はハルキチのそんな行動に嫌な顔ひとつせず、むしろウエルカムな様子でステータス画面からフレンド申請を出す。


《――【鬼灯神鳴(ほおずきかんな)】からフレンド申請されました。フレンドになりますか? YES/NO》


 迷わずYESを選択すると、見えない壁が消え去って、ハルキチはカンナの腰に抱きつくことに成功した。

 胸いっぱいに広がる女の子の香りに、ハルキチの傷ついた心が癒やされていく。


「会いたかった! 会いたかったよ~っ!」

「あはっ……先輩が超デレてる! これは貴重な経験です!」


 そうしてしばらくカンナに頭を撫でられていると、ハルキチはようやく失ったSAN値を回復して正気に戻り、いきなり女の子に抱きついた自分の行動を恥じた。


「あ……ご、ごめん! 久しぶりだったから……つい…………」


 慌てて身体を離して立ち上がると、今度はカンナの方から抱きついてくる。


「ぎゅっ」

「――カンナさん!?」


 胸の中に収まってくる美少女に青年がドギマギしていると、彼女は上目づかいにハルキチを見上げて心の底から嬉しそうに微笑んだ。


「……先輩の体感では3日の別れだったと思いますが、時間の流れが違う仮想現実にいた私はかれこれ3年も先輩と別れていたんです……だからもうちょっとだけ、私にハルニウムを吸収させてください」

「おお…………」


 なんてかわいい嫁だろうか。

 カンナの女子力にハルキチは感動した。

 これでハルキチの尻を揉んでくる悪癖が無ければ完璧だったのだが……今だけはオヤジ臭い手つきにも耐えてみせようとハルキチは頑張った。


「嫁の中身は美少女、嫁の中身は美少女、嫁の中身は美少女」


 呪文を唱えて嫁からのセクハラに耐えるハルキチに、カンナはクスリと笑いを零す。


「ああ~……先輩の発狂も久しぶりですね~……なんだか逆に落ち着きます」


 カンナはハルキチの持病についても心得ていた。

 やがてハルキチの全身がサブイボで覆われたころ、カンナはようやく尻揉みに満足して身体を離す。


「ふぅ、ハルニウムのチャージ完了っす! 先輩もカンナニウムを補充しますか?」


 そう言ってカンナは慎ましやかな胸を差し出したが、ハルキチは即座に三歩離れて遠慮した。


「あ、いえ、結構です」


 美少女の胸に飛び込みたい欲求はあるが、中身がおじさんだったらトラウマになるから、ハルキチは基本的に仮想現実での肉体的なスキンシップを嫌う。


「安定の潔癖でワロタ!」


 それは二人にとっていつものやり取りだったのか、カンナはそんなハルキチに気を悪くすることもなく、慣れた様子でハルキチと手を繋いだ。


「まあ、普段の先輩はこれが限界ですもんね?」


 それはオーソドックスな恋人つなぎ。

 体感型フルダイブゲームで付き合い始めたカップルなんて、性病や妊娠の危険がないのをいいことにお猿さんになるのが普通なのだが、ハルキチとカンナのカップルは交際して三年経っても、キスをしたことすらないほど清らかな関係を続けていた。

 主な原因はハルキチが発狂するからだが、二人の関係はプラトニックラブなのだ。


「キ○ガイですまん……」

「どちらかと言えばEDっぽいです。エロ同人なら絶対にヒロインを寝取られるタイプ!」

「……ぶっ飛ばすぞ?」


 念のために断言しておくと、ハルキチは不能ではない。

 ただ仮想現実ではどうしても、相手の中身が『おっさん』ではないかと脳裏をよぎって、美少女アバター相手だと割り切れないだけなのだ。


「まあ、私は先輩のそんなところも大好きですけどね」


 そしてそんなハルキチだからこそ、カンナは仮想現実での恋愛を楽しんでいた。




     ◆◆◆




 カンナと合流したハルキチは桜の森に敷かれた赤レンガの道を歩いて行く。


「これはどこに向かってるんだ?」

「とりあえず体育館ですね、つーかそこまでは強制誘導です」


 カンナによれば、体育館に着くまでは道を外れようとしても赤レンガの道へと戻されてしまうらしい。

 桜の森にはハルキチたちの他に、黒い軍服を着た男たちがチラホラと歩いており、彼らはカンナと恋人つなぎをして歩くハルキチを見ると、チッ、と舌打ちをして踵を返していく。


「……あいつらは?」


 ハルキチの質問に、カンナは声を潜めて答えた。


「やつらは【漆黒の恋人軍(ブラックラヴァーズ)】って部活動(クラン)の連中です。恋にイカれた非リアの集まりで、最近ではソロで活動している生徒を狙って『フリーキス運動』とかいうふざけた行動を繰り返しているんです」

「フリーキス運動……」


 その(おぞ)ましい名称に、ハルキチの背中に悪寒が走った。

 ログイン直後にハルキチが受けたセクハラ紛いの行為を鑑みるに、ろくでもない運動であることだけは予想できる。

 今もどこかで新入生が襲われているのか、桜の森にはいくつもの悲鳴が響いていた。


「まあ、【ハラスメント設定】は初期からキスの項目が『フレンドのみ』になっていますから、大半の新入生は大丈夫だと思いますけどね……それでも正直、胸糞悪い連中ですよ」


 よほど【漆黒の恋人軍】を嫌っているのか、カンナはハルキチの片手をしっかり握って、しきりに周囲を警戒している。


「……やっぱりヤバい学校じゃないか」


 真実のキスを交わさないとログアウトできないとかいう時点で頭がおかしいとは思っていたが、大量の変態が沸いている事実にハルキチは自分が入学したオンラインスクールのヤバさを実感した。

 死んだ魚の目になるハルキチを、カンナが苦笑しながら励ます。


「いえ、先輩。ここはそんなに悪いところじゃないですよ? 【漆黒の恋人軍】の連中は例外です」

「……本当に?」

「少なくとも教育機関としては、現実の学校よりもマシなことは確かですね。そうじゃなければ今ごろ私が精神的に死んでいますから」

「――確かに!」


 カンナもハルキチと同様に現実の学校が嫌いだった。


「むしろ【高天原】は最高ですよ! ゲーマーにとっては天国と言っても過言ではありません! 先輩も高天原を冒険してみれば、きっとこの世界が大好きになりますよ!」


 そう言って旦那の手を放し、桜のトンネルを踊るように進んでいく美少女の姿に、ハルキチは癒された。

 カンナは桜吹雪の中でクルクル周り、やがて道の先からひとりの女の子が走ってくるのを見つけて、ハルキチへと振り返る。


「あっ! ほら、噂をすれば素敵な出会いがやってきましたよ?」


 そうして現れたのは大きな胸を弾ませるブレザー姿の女の子だった。

 ハルキチは視線がその子の胸部に吸い寄せられるのを感じたが、嫁の前ということもあって鋼の自制心で視線を顔のほうへと持っていく。


 茶髪をショートカットにしたその子は地味にかわいい顔をしていた。

 具体的に言うならば、純粋な顔の良さではクラスで三番目くらいだけど、親しみやすさと胸の大きさで男から一番モテそうなタイプ。

 ハルキチの前で、プルンッ、と立ち止まった女の子は、大きな胸元を上下させて呼吸を整えると、続けてハルキチに笑顔を向けて片手を差し出してきた。


『――もうっ! いつまでこんなところでフラフラしているの? 新入生説明会がはじまっちゃうから、体育館までいっしょに行こっ?』


 ゲームに慣れているハルキチは、定型文っぽい電子音声に、思わずその手を取って首を傾げる。


「道案内のNPCか? 教育機関のくせに、ずいぶん凝った演出をするんだな?」

「ぶはっ!」


 そんなハルキチの反応が面白かったのか、カンナは唐突に吹き出した。


「……なんだよ?」


 いぶかし気な視線を向けるハルキチへと、カンナは震える腹筋を庇いながら上を指さす。


「上……?」


 そしてハルキチが見上げると、そこにはひとつのウィンドウが浮かんでいた。




【大特価! ワンナイト・ラブドール・くるみちゃん♪  10万EN】

 まだまだ寒さが残る春の夜に、同衾してくれる巨乳美少女はいかがでしょう?

 今なら新春大特価で可憐な『くるみちゃん』がたったの10万ENであなたのものに!

 得意な体位はスキスキダイスキ♪

 ラブドールを連れ歩くのが恥ずかしいあなたも大丈夫、くるみちゃんは付属されている円柱型の容器(20センチ程度の大きさ)に収納できます!

 ※この商品は18歳以上にしか使えないジョークグッズです。

 ※握手をすることで商談が成立します。

 ※お客様が手で触れた当商品のご返却は、一切お断りさせていただきます。




 そのウィンドウに書かれたテキストを読んで、ハルキチは死んだ魚の目をして呟いた。


美人局(つつもたせ)じゃねえか」


 がっつり握ってしまったシェイクハンドを通して、ハルキチの【10万EN】がくるみちゃんに吸われていく。


『――お買い上げありがとうございま~すっ♪』


 そしてまるでエイリアンの幼生体みたいに、購入者の頭へと抱き着いてきたくるみちゃんによって、ハルキチはダイシュキホールドを極められた。

 18歳未満のハルキチはくるみちゃんの性的な部分には触れられないらしく、柔らかい感触が不可視の壁で遮られていることが余計にガッカリ感を増幅させる。


「あひゃひゃひゃひゃっ!」


 その様子を見たカンナは腹筋を崩壊させた。


「……俺のおこづかいが消し飛んだんだけど?」

「ぷぷっ、ゲームに慣れた新入生なら誰もが通る道ですよ、むしろ仮想現実で美人は怖いと学べてよかったじゃないですか」

「なんてふざけた学習方法だ!」


 実戦形式で生徒に失敗を学ばせる。

 それがこのオンラインスクールのやり方らしい。

 しかし最も悪辣なのは罠と知っていてなにも言わなかった鬼娘だろう。

 まさかの嫁からの裏切りに、ハルキチはジト目を向けて核心を突いた。


「……カンナも同じ目に遭っただろ?」

「あ、わかります? 私の時はあん子さんにやられたっす。あん子さんはリコさんにやられたとか」

「変な伝統が作られている……」

「まあ、ネタばらしはしないのが我々の流儀ですから」


 フレンドたちのアホさ加減にハルキチは嘆息したが、しかし悪友っぽい悪乗りは嫌いじゃない。

 ハルキチは天真爛漫に笑うカンナの笑顔に(ほだ)されて、初期資金がパアになったことを水に流した。


「とりあえず、これ……取ってくれない?」

「そうっすね。先輩が浮気してるのはムカつくっす」


 言葉とは裏腹に、特にムカついている様子もなくカンナはハルキチに近づいて、カジュアルに握った小さな拳を振りかぶる。


「【ふらぐぶれーいく】っ!」


 それは力のこもっていない右ストレートだったが、拳の勢いに反して、くるみちゃんの身体を3メートルくらい吹き飛ばした。


『いっや~んっ♪』


 カンナが地面に転がったラブドールに近づくと、土塗れになったくるみちゃんが動く獲物に反応し、カンナへとダイシュキホールドをぶちかます。


『あっは~んっ♪』

「こいつは内臓されてるAIがポンコツだから、近くにいるやつに抱き着くんですよ……腰の後ろに収納容器がありますから、今の内に封印してください」

「あ、はい」


 カンナに抱き着いて腰を振るラブドールの姿は見るに堪えなかったので、ハルキチは速攻で円柱状の容器を回収し、


「……これか?」


 容器の上部についたスイッチを押してラブドールを封印した。


『イッぎゅううううううん……――』


 まるで風船のようにくるみちゃんは形を縮ませ、ハルキチが持つ容器へと吸い込まれていく。

 その光景を冷静に眺めていたカンナは、無事に封印が終わったところで人差し指を立てて、ゲーマーらしくハルキチを指導した。


「ちなみに、先ほど使った【フラグブレイク】は、高天原に48あるネタ技のひとつです! いちゃつくカップルに対して発動すると、攻撃の威力を3.5倍にする効果があります!」


 まるでリア充を爆撃しろとでも言っているかのようなネタ技に、ハルキチはここが普通の教育機関でないことを理解した。


「しょーもない豆知識をありがとう」


 美人局がいたり、ネタ技があったり……確かにゲームが大好きなカンナたちの好きそうな世界である。


 そして二人が再び桜のトンネルを歩き出すと、道の先にトンネルの終わりと赤い鳥居が見えてきて、鳥居まで歩いたハルキチは、目の前に広がった光景に息を飲んだ。


「どうですかこの世界は? 悪くないでしょう?」


 カンナの台詞に合わせて春一番が吹き、ハルキチの入学を歓迎するように桜吹雪が乱れ飛ぶ。


「――ようこそ【高天原】へ!」


 鳥居の先、石階段の下に広がっていたのは幻想的な日本の風景だった。

 空に点在する浮遊島の校舎には当たり前のようにドラゴンが巣食い、地平に見える富士山の頂上には桜の大樹が鎮座して、街中では巨大怪獣と巨大ロボットが高層ビルをなぎ倒しながら大乱闘を繰り広げている。


「……これ、ほんとに教育機関?」


 ハルキチは初期装備のナイフ一本でその街に入ることをためらったが、しかし果てしなく広がるオープンワールドを前にして胸が熱くなるのも感じた。

 そんな不安と期待がせめぎ合う気持ちを察したのか、カンナは春風よりも爽やかに微笑んで、ハルキチへと手を伸ばす。



「さあ、行きましょう、先輩! 現実の学校では決して味わえない、自由で楽しいスクールライフが待っていますよ!」



【高天原・真恋学園】。

 そこは世界で最もエキサイティングな、頭のイカれたオンラインスクール。

 未来の最先端を独走する教育機関を前に、ハルキチは思わず口の端を持ち上げ、そして高鳴る鼓動に急かされるように新生活への第一歩を踏み出した。





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