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第1話  ログイン


 拘束された晴美は人工知性が運転する全自動タクシーで運ばれて、同じ形の高層ビルが立ち並ぶ【デジタル教育区画】へと連行された。

 台車に乗せられ、拘束衣と口を覆うプラスチックのマスクを付けられた青年が、ロボットたちに押されてひとつのビルへと入って行く。


『ようこそデジタル教育センターへ! 本日は絶好のログイン日和で――って、なんですか? その羊も黙りそうな有様は?』


 入口の自動ドアをくぐると受付にいた女性型ロボが挨拶し、すぐさま拘束の物々しさに昔の映画を思い出した。


『いや~、この子が忍者もびっくりな脱走劇を繰り返しまして~、ここまで苦労したのは初めてですよ~』

「ぐるるるるるっ!」


 激しい抵抗で片腕を失ったロボに、晴美は獣のように喉を鳴らして威嚇する。

 その様子を見た受付ロボは「まあ大変!」と、受付の下からケースを取り出して、その中に入っていた注射器を構えた。


『それなら筋弛緩剤を使用しましょう。悪い子にはお注射です!』


 キラリと光るぶっとい針を見て、晴美は即座に黙った。


『……ここの受付、本当に怖いから~。逆らわないほうが身のためですよ~?』


 ロボからの警告に晴美は激しく首を縦に振って、ようやく彼の拘束が解かれる。


『それでは笠原晴美様。さっそく【高天原・真恋学園】へとログインしましょう。自由でエキサイティングなスクールライフが貴方を待っていますよ!』


 青年の腕をガシリと掴みハイテンションで連行していく受付ロボに、晴美は真剣に訊ねた。


「他に入学できる学校はないのだろうか?」

『日本に存在する体感型オンラインスクールは真恋学園だけです』

「……真実の愛を探しに行けと?」

『はい、法令で定められておりますので』

「…………友達も恋人もいたことないのに?」

『そういった人間のために創られた学校です』


 物理的な抵抗は危険だと判断して言葉による説得を試みるが、受付ロボは淡々と晴美をエレベーターに乗せて、27階のボタンを押す。

 エレベーターの扉が閉まったところで、晴美はゴクリと唾を飲んで、最も気になっていた質問をした。


「そもそも……本当にオンラインスクールなんてあるのか? 真恋学園の情報が無さすぎて、ネットじゃ人工知性が人間を電池にしているとか噂されてるんだけど?」


 晴美の心配をよそに、受付ロボは人間らしい仕草で口に手を当てクスクス笑う。


『それは映画の見過ぎですよ。高天原は存在しますし、人間を電池にするのは非効率的です』


 受付ロボの常識的な回答に、陰謀論を半分くらい信じていた晴美は頬を赤く染めた。


「……じゃあ、なんで外部に情報を出さないんだ……動画くらい出してもいいだろ?」


 晴美のボヤキに受付ロボはきっぱり答える。


『――ネタばらしをしてしまっては面白くないでしょう? 冒険は初見プレイで始めるのがジャスティスです』


 なんともゲーマー好みな回答に、晴美は嘆息して抵抗を諦めた。

 そんなやり取りをしている間にエレベーターは27階へと到着し、ロボに続いて白い廊下を歩いて、晴美はひとつの個室へと案内される。

 窓が無い狭い室内には巨大なカプセルが置かれており、それを見た晴美は目を輝かせた。


「わっ! これって【VRカプセル】!? それも長期フルダイブ用に造られた最新モデルだよね!!?」


 新しいオモチャを与えられた子供のようにはしゃぐ晴美に、受付ロボはカプセルの上部を開いて解説する。


『はい、こちらは【生体補完ナノ溶液】を使用した最新機種となっております。フルダイブ中もナノマシンが栄養補給から酸素交換、排泄処理に全身の筋肉運動までサポートし、健康状態を万全に整えたままフルダイブできる優れ物です』

「おお……なんて高そうなものを…………」


 これまでヘルメット型のVR機器しか使ったことのない晴美は、人工知性の英断に感動した。

 学校の授業のため、生徒ひとりひとりに最新型のゲーミングPCを用意するなんて……人間の政治家では絶対に真似できない教育方法である。


『それでは笠原様、カプセルの中で横になってください』


 オモチャに釣られた晴美は素直に受付ロボの指示に従う。


『扉を閉めると内部がナノ溶液で満たされますが、呼吸はできますのでご安心を。巨大な人造人間のコックピットみたいな感じです』

「ああ、エントリープ〇グね」


 受付ロボの説明はすごくわかりやすかった。

 扉が閉められると説明どおりに内部が薄黄色の溶液に満たされ、晴美は少しだけ息苦しさを感じたが、それもすぐになくなって溶液に漬かっているとは思えないほど快適になる。

 いつの間にか彼の身体はカプセルの中央に浮かんでおり、続けて心地よい眠気が訪れた。

 睡眠導入によって晴美が意識を失う直前、カプセル上部のガラス窓から受付ロボが声を掛ける。



『それでは笠原様、いってらっしゃいませ――きっと楽しい未来が貴方を待っていますよ』



 そして晴美の意識は電子の海へと沈んでいった……。




     ◆◆◆




《――学園都市サーバー【高天原】へのアクセスを確認しました》

《――NN率を確認――既定値をクリア――》

《――体感時間加速処理を開始――残存NO領域98%――》

《――システムオールグリーン――【高天原】へのログインを許可――》

《――初期設定を開始します》



 ……目を開けるとそこは闇の中だった。

 闇の中にジャージ姿をした晴美の3Dアバターが表示されており、その横には簡単なステータスが記載されている。


《――ステータスを設定してください》


 涼やかな声で流れた音声ガイダンスに従って、オンラインゲームに慣れた晴美は素早くステータスに目を通し、必要な項目を埋めていく。


名前:ハルキチ

年齢:非公開

性別:男

挨拶:よろしくお願いします。

称号:【27期の新入生】

フォロワー数:0人


 名前は普段から使用しているキャラネームを、その他の設定は適当に入力した。

 高天原には数値的なステータスが存在していないらしく、簡単に入力は終了する。

 ステータスのチェックを終えて『完了』のボタンを押すと、再び音声ガイダンスが流れた。


《――続けてアバターを設定してください》


 そして現れたキャラクタークリエイト画面は、とても自由度が高いものだった。

 トランスジェンダーな学生への配慮なのか、顔や髪形だけでなく性別まで変更できる。

 さっそく晴美は普段から愛用しているアバターを作ろうとして……しかしここが『人生のパートナーを見つけるための学園』であることを思い出した。

 普段から晴美が使用しているのは地味な顔をした細マッチョな青年のアバターである。


 しかし仮初の姿で恋人を見つけたとして、現実に戻ったときどうなるだろうか?


 人間は99.9%見た目に流される生き物だ。

 ゲームでラブラブだったカップルが、オフ会で会って終焉を迎えるなんてことも珍しくはない。


「……婚活で嘘はよくないよね?」


 しばし悩んだ晴美は自分のアバターの瞳の色を黒から琥珀色に変え、ほとんどそのままの姿でログインすることにした。

 瞳の色を明るくしたことで余計に美少女っぷりが上がってしまったが、アバターを自由に変更できる仮想現実には美男美女が溢れているから、それほど目立つこともないだろう。

 晴美は仮想現実でならリアルの姿でも普通の生活ができることを知っていた。

 最後に【ハラスメント設定】の項目があったため、手の平だけを『フリー』、手の平以外を『フレンドのみ』に変更して、全ての設定を終了する。


《――この内容でよろしいですか? YES/NO》


 確認のアナウンスにYESを選択すると、ピロン、と軽快な音がして、続けて晴美の視界にチャットが現れた。


《――3人の生徒からフォローされました》


【カンナ:先輩のログインを確認!】

【リコリス:やっほー、ハルハル! 元気してたー?】

【あん子:ぶはっ! ハルキチが男の娘になってる!? お前そういう趣味だったのかw】


 見慣れたそのやり取りに、晴美の目頭が熱くなる。


「みんな……無事だったんだ…………」


 晴美をさっそくフォローしてチャットを送ってくれたのは、彼がネトゲで仲良くなった嫁とフレンドたちだった。

 目元に浮かんだ涙を拭った晴美は、素早くチャットを返信する。


【ハルキチ:よかった……人間電池にされてなくて】

【カンナ:うわっ! 懐かしいっすね~、そのネタww】

【あん子:ネットに流れていたマトリックス論か……私も昔は信じていたっけ】

【リコリス:半分くらいは本当だけどね? なぜならボクはこの世界に来てから自家発電しまくっているのだから!】

【あん子:黙れバカウサギ】

【カンナ:最低だけど否定はできないっす……時間を3000倍に加速された我々の人力発電は原子力を超えているかもしれません】

【リコリス:アヘった分だけ社会貢献できるなんて――素敵な世界だね!】

【あん子:……それなんてエロゲ?】


 相変わらず下ネタ全開なやり取りに、晴美は苦笑して遠い目になる。


 ――やっぱりこいつらの中身は『おっさん』かもしれない…………。


 しかしそれでも気心の知れたフレンドとのやり取りは嬉しく、晴美は仲間たちとの再会を望んだ。


【ハルキチ:ほんとに黙れ変態ども! お前らの下半身事情より、合流方法を先に言え!】

【あん子:上から目線で草】

【リコリス:どうしよっかな~、発電に忙しいから迎えに行くのやめちゃおっかな~】

【ハルキチ:すみませんっした! 迎えに来てくださいお願いします!】

【リコリス:しょうがないにゃあ……てゆーか既にカンナ師がログイン地点を張ってるよ?】

【カンナ:嫁ですから。先輩の初めては私のものです!】

【あん子:言い方がキショいわw】


 ネトゲの嫁が待っていることを知った晴美は、慌てて文章を打ち込む。


【ハルキチ:いまいく】

【カンナ:待ってます♪】


《――初期設定を終えて高天原にログインしますか? YES/NO》


 そしてYESを選択すると再び視界が暗転していき、笠原晴美は仮想現実世界を生きるハルキチへと生まれ変わった。



《――初期設定を完了しました》

《――入学する生徒にプレゼントが贈られます》


《――ハルキチは【生徒手帳】を手に入れた!》

《――ハルキチは【初心のジャージ】を手に入れた!》

《――ハルキチは【初心の運動靴】を手に入れた!》

《――ハルキチは【初心のナイフ】を手に入れた!》

《――ハルキチは【おこづかい・10万EN】を手に入れた!》


《――ログイン地点を自動選択――【桜の森】が選択されました》

《――これより【高天原】への転送を開始します》

《――現在の高天原時刻は4月1日、午前9時12分です》

《――ようこそハルキチさん、【アマテラス】はあなたの入学を歓迎します》




     ◆◆◆




 ……再び目を開けると、空から桜の花びらが降ってきた。

 ハルキチの身体はいつの間にか柔らかな草原に寝転んでおり、視界には満開の桜と青空が映っている。

 これが高天原か……と、ハルキチが現実よりも美しいグラフィックに感動していると、彼の視界にひょっこり黒い軍服を着たイケメンが現れて満面の笑顔を向けてくる。

 怪しい男の笑顔でハルキチの感動は霧散した。


「入学おめでとう! それじゃあとりあえず、キスをしようか!」

「――は?」


 そして唇をタコのようにすぼめて近づいてくる男に、ハルキチの全身に鳥肌が立つ。

 やたらと整った顔を赤く染める男の唇はリップクリームが塗られているのかテカテカしており、そのテカテカが余計に生理的な嫌悪感を引き立てた。


 なんでキス!?

 新手の変態か??!

 とにかく迎撃をっ!!!


 男のキツい口臭にハルキチは反撃を決意するが、ログイン直後の硬直でアバターを操作することができない。


「んちゅううううううううううううううううううっ!」

「や、やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉっ!??」


 迫りくるクチビル。

 青ざめるハルキチ。

 やがて2つの距離がゼロになろうとした時、事前に設定していたハラスメント設定が有効となり、男とハルキチの間に不可視の壁を作る。


「むちゅうううっ」


 イケメンの顔は不可視の壁にキスして止まった。


「うわぁ……」


 しかし30センチくらいの距離で知らない男がキス顔を晒している光景は、控え目に言っても吐きそうなくらい気持ち悪い。


 テカテカの唇が押し付けられている有様とか。

 食べかすが挟まった歯茎とか。

 不可視の壁との間に糸を引いている唾液とか。


 視覚的なストレスが大きすぎて、トラウマになって夢に見そうだ。

 そしてハルキチが先ほど行われた嫁とのやり取りを思い出し、


 ――もしかしてこいつがカンナなのか?


 と、発狂しそうになったとき、


「そこまでですっ――」


ハルキチの悪い想像を吹き飛ばすように、紅い疾風が桜の森を駆け抜けた。


「――【フラグブレイク】っ!」


 それは見事な右ストレートだった。

 紅いセーラー服を纏った少女の拳は的確に悪漢の顔面を捉え、特殊な武技の効果で男の身体を10メートル以上も吹き飛ばす。


 砕ける頬骨。

 舞い散る白い歯。

 鼻血が織りなす二重螺旋。


 やがて綺麗な放物線を描いて桜の幹に激突した男は赤いポリゴンとなって砕け散った。

そして後には、桜の花びらを纏った小柄な美少女が残される。

 見慣れた面影のある少女の横顔にハルキチの鼓動が高まった。


 整った顔立ち。

 腰まで流れる亜麻色の髪に、キラキラ輝く真紅の瞳。

 額にはなぜか二本の角が生えており、セーラー服の上から腰を締めるベルトにはペンタブレット用のペンが装着されている。


 ただそこにいるだけで人の目を惹きつける幻想的なその美少女は、いまだ地面に寝転ぶハルキチの前で振り返ると、満面の笑みを浮かべて口を開いた。



「――お待たせしました、先輩! あなたのかわいい鬼嫁ちゃんが迎えに来ましたよ!」



 ハルキチの嫁は、知らない間に鬼嫁へと進化していた。




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