第17話 汚料理開発
デパートで買い物を終えたハルキチは桃兔堂へと戻り、リコリスの案内で地下の実験エリアへと来ていた。
「こんな感じの場所でいいかな? ここはボクが兵器の試射とかで使っている場所だから、床と壁はかなり頑丈に作ってあるんだけど?」
頑丈なコンクリートで囲まれた実験エリアは、5メートル間隔でラインが引かれた野球場くらいの大きさの空間で、高い天井と、奥にはシリコン製の人形やデコボコした傷のある鉄板、業務用の延長コードなどが並んでいる。
「いい感じです」
ハルキチが頷くと、リコリスは乗ってきたエレベーターに戻り、ボタンを押す前に用事を思い出してハルキチへと手の平を差し出した。
「そういえば、ハルハル。いちおう君が【屍蠅魔王】から買ったアイテムを預かってもいいかな? 彼女は意外と小心者だから変なプログラムを仕込んだりはしてないだろうけど、念のためにボクが調べておくから」
「ああ、はい」
リコリスにベルトポーチとメンバーズカードを渡し、ついでに学生協会に紙袋も預けてあることをハルキチは伝える。
「インベントリの中にあるなら問題ないよ。それじゃ確かに預かったから、ハルハルも実験がんばってね」
笑顔で扉の向こうに消えるバニーガールを見送り、ハルキチはアイテムボックスにしまっておいた買い物袋を取り出して、中に入ったアイテムを広げていく。
そうしてハルキチが作業を始めると、背後に控えていたラウラがウキウキと声を掛けてきた。
『マスター、今日はなにを作るのですか?』
「……どうしてお前は付いて来ているのかな?」
『美味しそうな気配がしましたので』
ハルキチの前に並んだ卵とメソトスとコーラを見てテレビ画面にキラキラエフェクトを表示させるメイドの姿に、ハルキチは意地の悪い笑みを浮かべた。
「残念だったな、今日は料理じゃなくて汚料理開発だ」
『え……』
「食べたら死に戻るような料理を作ろうと思っている」
そんな宣言を聞いたラウラはテレビ画面の光を消して、ハルキチが買ったコーラを一本手に取り、実験場エリアの隅で寝転がった。
『はー……そんなだからマスターは童貞なのですよ』
「童貞と汚料理開発は関係ないだろ!」
ハルキチのツッコミにラウラは応えず、シッ、シッ、と手を振って作業を続けろと促してくる。
どうやら彼女はハルキチの実験をツマミにしてコーラを飲むことにしたらしい。
メイドからリビングでくつろぐおばちゃんへとジョブチェンジしたロボットのことは放置して、ハルキチは取り出した安物の電子レンジを実験場の真ん中に設置した。
「まずは【爆裂卵】から試してみよう」
電子レンジから20メートルほど離れたところに実験場にあった鉄板を斜めに立て掛けてから、生卵を電子レンジの中へとセットする。
摘みを回してレンジを起動させ、ターンテーブルがゆっくりと回転を始める中、ハルキチは急いで退避して鉄板の後ろへと逃げ込んだ。
それから20秒ほど経過したところで、鉄板の向こうから、ズガンッ、と爆発音が聞こえてくる。
恐る恐るハルキチが鉄板から顔を覗かせると、そこには電子レンジの残骸を中心に半径3メートルくらいの焼け跡が残っていた。
「いちおう成功……かな?」
問題はこれを【神膳包丁・保食神】に付いている【即席料理】で再現し、武器として使えるのかだ。
電子レンジの残骸を片付けたハルキチは、アイテムボックスの食材袋に生卵が入っていることを確認してから、実験場の真ん中で神膳包丁を構えて深呼吸する。
【即席料理】の効果は、レシピと食材さえ持っていれば調理工程をすっ飛ばして料理を完成させることができるというものだ。
ハルキチの予想が正しければ、今の【爆裂卵】を【即席料理】で再現すれば、コスパ最強の手榴弾ができるはずである。
そして呼吸を整えて覚悟を決めたハルキチは、成功を祈りながら包丁を振るった。
「――【爆裂卵】!」
ズガンッ。
確かにハルキチの予想通り卵は爆発した。
しかしハルキチの予想に反していたのは、【爆裂卵】が包丁から現れた瞬間に爆発した点だった。
「…………」
無言で実験場の入口に死に戻ったハルキチへと、ラウラが震えた声を掛ける。
『ぷ、ぷぷっ……お見事です、マスター……よもやわたくしの腹筋を痛めつける料理を開発なさるとは……メイドとして尊敬の念を禁じえません……ぶふーっ!』
「こいつっ……!」
いっそのこと自爆特攻でこの駄メイドも爆破してやろうかと思ったが、それはあまりにもかっこ悪いので、ハルキチはグッと我慢した。
実験場の真ん中まで歩き、先程の反省点を考える。
最大の問題は起爆までの時間だ。
料理が完成して速攻で爆発してしまうせいでハルキチまで爆発に巻き込まれる。
ならば爆裂卵が出来上がる数秒前の卵を調理すればいいのではないかと、ハルキチは再び包丁を振ってみる。
「――【爆裂卵】!」
――ペチャッ。
完成3秒前を意識して振るった包丁の先からは、普通の生卵が出てきて床で潰れた。
「…………」
『ぶふーっ!』
背後でコーラを吹き出すメイドのことは意識から外して、赤面したハルキチは再び包丁を振るった。
「――【爆裂卵】!」
――ペチャッ。
「――【爆裂卵】!」
――ペチャッ。
……鶏卵農家さんごめんなさい。
いや、これはただの電子データだからセーフだけど。
『うっ……くっ!? お、お待ちください、マスターっ! これ以上はわたくしの腹筋がもちませんっ!』
「お前の腹筋など壊れてしまえっ!」
プルプル床に蹲って痙攣を始めたメイドに突っ込んで、ハルキチは今の結果について考える。
完成の2秒前でも1秒前でも同じ結果ということは、おそらく爆裂卵は完成と同時に爆発しているのだろう。
この問題をどう解決するべきか?
ハルキチはしばし考えて、ひとつのアイデアを試してみた。
「はっ!」
まずは包丁を投擲して、斜めに立てかけた鉄板へと投げる。
そして鉄板へ包丁が対象に当たったところで即席調理を使えば――、
「――【爆裂卵】っ!」
ハルキチの手元に戻ってきた包丁の先で卵がズガンと爆発した。
「…………」
『ふっ、ふっ……ひ~っ!?』
無言で死に戻るハルキチと、笑いすぎて死にそうになるメイド。
顔を真っ赤にしたハルキチは、無言のままメイドに近寄って、爆裂卵を調理した。
――ズガンッ。
仲良くエレベーター前まで死に戻る主人とメイド。
「…………」
『…………』
二人はしばらく無言で立ち尽くしてから、先にメイドが口を開いた。
『……八つ当たりは見苦しいですよ、マスター』
「……ごめん」
少しメイドとコーラ休憩して頭を冷やしてから、ハルキチは再び改善方法を考えた。
しばらくハルキチは悩んでいたが、昨日の配信にヒントはないかと思い返していたところで、ひとつのアイデアを思いつく。
「あっ……茹でればいいのか!」
確かリスナーのひとりがそんなコメントを残していたはずだ。
そのコメントを思い出しながら似たような動画を探して見ると、爆裂卵を食べる動画はすぐに見つかり、ハルキチは動画で茹でた爆裂卵の作り方を勉強した。
勉強を終えたハルキチは、さっそく地上部分のキッチンでゆで卵を作り、再び地下の中央に予備の電子レンジをセットして実験を再会する。
「まずは爆発までの時間を計測して、1秒ずつ手前の状態で即席調理してみよう」
実験の方向性を決めたハルキチは殻を剝き、プルプルのゆで卵をレンジへと入れる。ちなみに殻を付けたままでも爆発は起こるが、爆発までの時間が不安定になるらしい。
摘みを回してステータス画面で時間を計りながら、ハルキチは鉄板の裏に身を隠す。
そして電子レンジが起動してから33秒経ったところで、ゆで卵は豪炎を撒き散らして爆発した。
『ほう……先ほどよりも爆発までの時間が3秒伸びましたね?』
隅っこでゆで卵を食いながら、メイドが気付いたことを報告してくる。
久しぶりに役だったメイドの行動に、ハルキチはちょっと感動した。
「お前も人の役に立つことができたのか……」
『失敬な! わたくしは常に役立っています!』
メイドの助言で閃いた考えを検証するためにも、ハルキチは神膳包丁を構える。
そしてまずは電子レンジが回り始めてから29秒後、つまり爆発の4秒前を意識して即席調理を使ってみた。
「――【爆裂卵】!」
――べチャッ。
予想通りに、ただのゆで卵が地面に落ちたことで、ハルキチはようやく手応えを感じた。
続けて今度は爆発の1秒前を意識して包丁を振るう。
「――【爆裂卵】!」
――ポーン、ポーン……ズガンッ!
包丁から即席調理で生み出された爆裂卵は、ゴム毬のように弾んで、ハルキチから10メートルくらい離れたところで爆炎の花を咲かせた。
「うっし! 成功だ!」
その結果にガッツポーズして、ハルキチはさらに検証を続ける。
そうして得た実験の結果は次のようになった。
電子レンジを起動してから30秒……9秒後に爆発。
電子レンジを起動してから31秒……6秒後に爆発。
電子レンジを起動してから32秒……3秒後に爆発。
ゆで卵で作った爆裂卵はゴムのような弾性を持ち、さらに電子レンジから取り出す時間によって爆発までの時間が変化する。
取り出す時間を0.1秒単位で調整すれば、さらに細かく爆発までの時間を調整できそうだが、それは実際に使って感覚を掴んでいけばいいだろう。
ハルキチはひとまずこの結果に満足して爆裂卵の実験を終えた。
次の実験はメソトスコーラ水圧カッターだ。
せっせと実験場を片付けて、2つ目の実験準備をするハルキチの後ろで、ラウラが弾んだ声を発する。
『次はどのような面白映像を見せてくれるのでしょうか? メイドはとっても楽しみです!』
しかしメソトスコーラに関しては、事前に動画で予習をして成功を確信していたため、ハルキチはメイドの戯言に肩をすくめた。
「言ってろ! 次は一発で成功させてやるから!」
実験場の真ん中にコーラを置いてメソトスを入れるだけ。
これまで何回も動画配信者たちによって使い古されてきたネタで、ハルキチは失敗するはずがないと思っていた。
コーラのボトルが暴れないようにしっかりと押さえ、覚悟を決めたハルキチがメソトスをコーラの飲み口から投入する。
――ズビュンッ!
そして放たれたメソトスコーラは動画で見た通りに水圧カッターのような勢いで地下室の天井を突き抜けた。
パラパラとコンクリートの破片が零れてくる中、天井に空いた深い穴を見上げたハルキチは、となりで震えるラウラへと確認する。
「……せ、セーフティーエリアの建物って、壊れないんじゃなかったっけ?」
『ぶふっ……い、いいえ、マスター。確かに普通は壊れませんが、許可を得てホームエリアに入った者は建物の破壊が可能になるのです。そうでなければDIYやリフォームができませんから』
フレンドの家を壊したことに頭を抱えるハルキチ。
主人の失態を爆笑するメイド。
そして少しの時間を置いて、ハルキチのもとに家主からチャットが届いた。
【リコリス:ハルハル? ちょっと後でオハナシしようか(怒)?】
【ハルキチ:…………はい】
◆◆◆
リコリスから長いお説教を食らったあと、ハルキチは桃兎堂の近くにあるスーパーで晩御飯の買い物ついでに卵とメソトスとコーラを追加で購入して、ひとり夜道を帰路に着いていた。
時刻は4月3日の19時30分。
新入生オリエンテーションの本番を前にした街は、嵐の前の静けさのような静寂に包まれており、羽虫がたかる街灯に照らされた夜道をハルキチは物思いに耽りながら歩いていく。
これまで密度の高い3日間を過ごしてきたが、ついに明日は決戦の日。
ハラスメント設定の管理者権限を賭けた戦いが行われ、ハルキチの青春がホモホモしくなるか、これまで通りの美少女に囲まれた青春になるかが決定する。
ある意味運命の決戦と言っても過言ではないイベントなのだが……そんなことよりハルキチは昼に感じた悪い予感が気になっていた。
それは自分の悩みがちっぽけに思えるくらいの災厄の予感。
人類の存亡に関わるレベルの大事件が起こるという胸騒ぎ。
そんな自分の予感を信じて、ハルキチは家の外へと足を延ばしていた。
彼の感覚を肯定するように、夜道の先から二人の人物が現れる。
着流しを纏った初老の男と黒髪碧眼の美少女。
予想通りの来客に足を止めたハルキチへと、初老の男が声を掛けてくる。
「――久しぶりだな、絶音の倅よ」
その一言でハルキチは、男に抱いた懐かしさの理由を思い出した。
「…………武蔵、さん?」
……そうだ。
自分はこの人と小さいころに会ったことがある。
そしてハルキチの脳裏にひとつの記憶が蘇った。
母親に連れて行かれた山奥の道場。
木刀を持った壮年の男と、その背後に隠れる黒髪の幼女。
あまりにも昔の記憶で忘れていたが、ほんの数日だけハルキチは男の道場で過ごしたのだ。
かつて母親から『こいつが日本で最強の暗殺者だ』と紹介された達人のもとで、天下無双の武術を学ぶために……。
そして隙のない足取りで進み出た男は、呆けるハルキチにこう切り出した。
「少し儂と話をしないか?」