第16話 二つ名と買い物
カツ丼に突っ込むという初めての経験をした翌日。
4月3日の朝を迎えたハルキチは、昨日のアイテム整理で足りないとわかった装備を買うため、早朝からクランメンバーと商業区画に来ていた。
『マスター……わたくしも生のカツ丼が食べたかったです……』
「知るか!」
駅前にある大型デパートの入口に並ぶハルキチの隣には、祖母のお見舞いから帰ってきたラウラも並んでいて、配布販売されたほうのカツ丼を食べている。
いちおうハルキチのアイテムボックスにはカツ丼と豚汁の現物が残っているが、これらはとても食事効果が高いため、新入生オリエンテーション用に保管していた。
現在は朝の5時30分。
なんでこんな早朝からハルキチたちがデパートの行列に並んでいるかと言えば、それは新入生オリエンテーションに向けて開催される特売セールに参戦するためだった。
セール品のチラシを手にしたリコリスが、早朝の寒さにガタガタ震えながら作戦を語る。
「い、いいかい、ハルハル? ききき、今日のメインターゲットは……ま、【魔力結晶・特大】のセール品だよ! げ、限定100個のお一人様一個限りだから、ぼぼぼ、ボクたち全員で確実にゲットするんだ!」
「服を着たらどうですか? 風邪ひきますよ?」
「気にするなハルキチ。バカウサギは服の管理が下手なんだ」
「だだだ、大丈夫! じ、状態異常回復薬で治るから!」
「……それでリコさん家の冷蔵庫には、状態異常回復役が大量にあったのか」
疑問がひとつ解決したハルキチは、ジャージの上をリコリスに貸して、代わりに差し出された封筒を受け取る。
「あ、ありがとう、ハルハル。これ今日の軍資金ね。余ったら好きに使っていいから」
「ちょおっ!? リコさんの服なら私が描きますから! 先輩のジャージは返してくださいよ!」
嫉妬した嫁がせっせと空中にイカしたスカジャンを描く中、封筒の中身を何気なく除いたハルキチは、そこに入っていた札束に目を見開いた。
《――ハルキチは【軍資金・100万EN】を手に入れた!》
……この人、ナチュラルに100万渡してきやがった。
のし紙がついた札束を前に、金銭感覚が庶民なハルキチは素早く【魔力結晶・特大】の値段を確認して、好きに使えるお釣りを計算する。
【魔力結晶・特大】の値段は880,000EN。
つまり12万ENは貰えることになる!
「……いや、流石にこれは貰いすぎでは?」
大金を簡単に渡されたことにハルキチはビビって返却するべきか悩むが、同様に100万ENを渡されたあん子とカンナとラウラは平然としていた。
「そうか? バカウサギの買い物に付き合わされて、こんな早朝から並んでるんだから、これくらい貰ってもいいと思うぞ?」
『そうですよ。マスターが返すと我々も返さなければいけない空気になりますので……ちゃんと空気を呼んでください』
「先輩、現実の金銭感覚は捨てたほうがいいですよ? 二つ名を持つようなプレイヤーは自ずとフォロワーも増えて、お金にはまず困りませんから」
リコリスからジャージを剥ぎ取るカンナの言葉で、ハルキチは今朝のやり取りを思い出した。
「それって、さっきの?」
桃兎堂から商業区画へと向かう前、リコリスの家の郵便ポストにハルキチ宛の手紙が入っており、そこにはこう記されていたのだ。
『――汝に【飯テロ姉さん】の二つ名を与える――天銘審議会』
その時は行列に並ぶことを優先してスルーしてしまったが、改めて手紙を取り出したハルキチに、カンナたちは二つ名について説明する。
「天銘審議会は有名な学生や人工知性に二つ名を与えることを目的に創られた部活動なんです。インフルエンサーみたいなものなので、彼らに与えられた呼び名はだいたい定着します。ちなみに私の二つ名は【鬼絵師】です」
「ふざけたやつらだが最古参の部活動だからな。たとえ二つ名が気に入らなくても諦めたほうがいい……私も【むっつりナイト】とかいうクソみたいな渾名を付けられた」
『わたくしに【さすらいのメイドマスターさん】の二つ名をくれたのも彼らですよ。命名料を要求すれば、それなりの額をいただけるのでオススメです』
当然のように二つ名を持っている仲間たち。
「へー……じゃあ、リコさんの二つ名は【変態魔王】なんですか?」
それが渾名なら抗議したほうがいいのではないかと思ったハルキチに、スカジャンで温まったリコリスは首を横に振る。
「いや、それは称号で、ボクの二つ名は【ピンクヘッド】だよ」
彼女たちの話によれば、天銘審議会は二つ名を付けることに並々ならぬこだわりがあるため、そこまで変な二つ名は付けられないという。
「私は付けられたけどな、変な二つ名!」
「そうかい? あん子に【むっつりナイト】はピッタリじゃないか」
「ああん?」
「よく桃兎堂でエロ同人を立ち読みしているし」
「!? そそそ、そんなことはしていないっ!!!」
リコリスのカミングアウトに焦るあん子。
そんな二人のやりとりを横目で見つつ、ハルキチは手紙に記された文字を死んだ魚のような目で眺めた。
「つまり、今日から俺は【飯テロ姉さん】なわけか……男なのに…………」
自分でも慣れてきていたが、こうして改めて姉さん呼びを突きつけられると心にくるものがある。
青春の1ページに新たな黒歴史を刻んだハルキチを、カンナは明るい口調で励ました。
「まあまあ、私は先輩が男だとわかっているんですからいいじゃないですか! それに二つ名を貰うのは悪いことじゃありませんよ? むしろ多くの学生は二つ名を貰うことに憧れているんですから!」
カンナの熱弁に、天銘審議会をディスっていたあん子は、バツが悪くなってポリポリ兜を掻く。
「……まあ、確かに。やつらから二つ名を貰うと、一気にフォロワーが増えるからな」
そうして呟かれた発言に、ハルキチはハッとなって自分のフォロワー数を確認した。
フォロワー数:31.2万人
「――めっちゃ増えてるっ!?」
およそ二日で10万倍にまで膨れ上がったフォロワー数。
その増加スピードは留まるところを知らず、今もまたゆっくりと小数点以下の数字が増えていた。
ステータス画面を眺めて戦慄するハルキチの横から、カンナが画面を覗き込んで大物っぽい空気を発する。
「ふーん、先輩のフォロワー数は30万人ですか。なかなかですね」
そう言ってウザい笑みを浮かべたカンナは、自分のステータス画面を表示させて、そこに記されたフォロワー数でマウントを取った。
「まあ、フォロワー数120万人の私には、まだ遠く及びませんがっ!」
「うわっ、むかつく!」
カンナのドヤ顔にイラッとしたので、ハルキチは嫁から顔を背ける。
すると背けた先ではあん子とリコリスがステータス画面を表示させて、マウント合戦に参加していた。
「ふっ、私はカンナたちほど配信に熱を入れてないからフォロワー数も少ないが、それでも80万人ほどのファンがいるのだ!」
「ボクのフォロワー数は270万人だよ! 崇め奉るがいいよ、ハルハル!」
さらにハルキチが顔を背けると、そこではラウラが頭のテレビにフォロワー数を表示させている。
『――わたくしの戦闘力は380万です、マスター』
「お前ら……っ!」
ハルキチは仲間たちの頭を銃で撃ち抜きたくなったが、それをやっても虚しいだけなのでグッと堪えた。
これまでは配信者数の急激な増加に恐怖を抱いていたが、これからはフォロワーの数でマウントを取ってくるやつらを見返すために頑張ろう。
そんな器の小さい決意を固めたところで、ハルキチは疑問を抱いた。
「……あれ? でもなんでフォロワー数が増えるとお金に困らないんだ? 高天原の配信って広告収入とかあったっけ?」
まだ動画を見た回数が少ないハルキチに、カンナが広告料に関する画面を検索して見せる。
「もちろんありますよ。というか先輩はさっさとアマテラスとパートナーシップを結んだほうがいいと思います! 広告料も入りますし、他にも配信でグッズを売ったりできますから。まあ、先輩の場合は料理の販売でめちゃくちゃ儲けてるでしょうけど」
そう指摘されて、ハルキチはようやく自分の収入に関して思い出した。
……そうだよ。料理の配布販売、あれの収入っていくらになってるんだろう?
30万人のフォロワーが100ENの料理を1つ買ったとして……3000万EN?
いやいやいや、そんな美味い話はないだろう、とハルキチは現実逃避する。
しかし、10分の1の人が料理を買ったと見積もっても、300万も儲かってしまうのだから、在庫が無限な電子商品というのは凄まじい。
実際には利益の何割かをアマテラスに回収されるため、1つ売ったら100EN儲かるわけではないが、それでもハルキチは人気配信者が儲かる仕組みを理解できた。
「ああ、だからリコさんはお金持ちなのか」
桃兎堂の収入がそんなに大きいのかと思っていたが、リコリスは他にも収入源を持っているから、気軽に100万なんて大金を渡せるのかもしれない。
「まあ、それはボクからの入部祝いだと思ってよ。ハルハルには美味しい思いもさせてもらってるし」
リコリスの言葉に『料理のお礼か』とハルキチは頷いた。
続けて自分も収入源を増やすため、言われるがままアマテラスとのパートナーシップ契約を登録しはじめたハルキチに、カンナは登録方法を教えながら耳元で囁いた。
「ちなみにリコさんの収入源のひとつは【ワンナイト・ラブドール・くるみちゃん♪】です。あれを開発したのリコさんなので」
美味しい思いというのは料理のことではなく、金銭的なことだったらしい。
「……俺のおこずかいはリコさんの懐に流れていたのか」
そうなると彼女から貰った入部祝いは、実質的に2万EN+ラブドールということになる。
「知らなかったのかい、ハルハル? 真の金持ちというのはドケチなんだよ?」
「いや、2万でも十分に大金ですからね?」
ハルキチのフレンドは、長きに渡る仮想現実ライフによって、金銭感覚がぶっ壊れていた。
◆◆◆
デパートの開店と同時にハルキチたちは3階の魔道具売り場へとダッシュして、目的の魔力結晶・特大を5つ手に入れた。
これをなにに使うのかハルキチは知らないで購入したが、リコリスによれば魔力結晶はエキドナの燃料になるらしい。
「特大サイズならひとつで8時間は稼働できるかな」
「8時間っ!?」
時間あたり11万ENもかかる燃費の悪さにハルキチは眩暈がしたが、高レベルダンジョンに行けば1時間で何百万も稼げるため、これでも燃費はいいほうなのだとか。
「最前線を攻略している攻撃魔導士なんかは、単発の魔法でこれを消費したりするからな。今日このフロアに来ているようなやつらは一流のダンジョン攻略者がほとんどだぞ?」
あん子の説明に魔道具フロアを見渡してみれば、そこには確かに高そうな装備を身につけた学生たちが行き来していた。
「あっ! あの人!」
そんな学生たちの中に、ハルキチは見知った顔を見つけて小さく声を上げる。
カンナがハルキチの視線を辿ると、そこではゴスロリの恰好をした女の子が、大切そうに魔力結晶・特大を抱えて買い物をしていた。
「先輩はマゴットさんとお知り合いなんですか?」
「いや、知り合いというか、初日に蚤の市で装備を売ってもらって……」
そう言って腰のポーチを見せると、カンナは納得した。
「それは運が良かったですね」
「? 普通に売ってくれたけど?」
「マゴットさんはリコさんと同じ魔王のひとりで、気まぐれにしか商品を売らないことで有名なんです。先輩は気に入られたんでしょう」
「……気に入られるようなこと何かしたかな?」
首を傾げるハルキチに、カンナはあっさりと理由を告げる。
「おそらく強者の気配を感じたんですよ」
そんな会話をしている間に、マゴットさんは通路を奥のほうへと進んで行き、その先で複数の人影と合流した。
「――おっと!」
それを見たリコリスはハルキチとカンナの手を引いて、商品棚の陰へと隠れさせる。
「どうしたんすか?」
リコリスの行動に今度はカンナが首を傾げると、彼女は真剣な眼差しで頭のウサ耳を外しながら、通路の奥を睨みつけた。
「【屍蠅魔王】といっしょにいるの【宴刃魔王】だよ。他の二人は見ない顔だけど……普段はソロで活動してる魔王たちがチームを組んでいるみたいだ」
そう言って警戒するリコリスの横から覗いてみると、確かにゴスロリの少女は三人の同行者たちから魔力結晶・特大を渡されていた。
ひとりはチェーンソーを肩に担いだ金髪の美少女。
ハルキチの記憶が正しければ、入学初日の蚤の市で万引きした新入生を追いかけ回していた危ない店主だ。
リコリスによれば彼女が【宴刃魔王】らしい。
そして残りの二人はハルキチにとって、とても見覚えのある者たちだった。
「あの二人、【漆黒の恋人軍】といっしょにいた……」
「知っているのかい?」
白い着流しを身に纏い、日本刀を腰に差した初老の男性と、これまた日本刀を腰に差した黒髪碧眼のグラマラスな美少女。
初心のジャージから恰好こそ変わっているが、彼らが発する武の気配は間違えようがなかった。
初老の男を見て目が離せなくなったハルキチに代わって、カンナがリコリスの質問に答える。
「あー……確か4月1日に先輩が注目してた新入生ですよ。なんでも男の方が『凄い使い手』とかで、珍しく先輩が感心してました」
その説明にあん子とリコリスが眉間にシワを寄せる。
「むぅ……そいつはよっぽどだな」
「ハルハルが言うならガチなんだろうね。つまり彼らもリアルチート勢か……」
そうしてカンナたちが会話する中、ハルキチは冷や汗が止まらなかった。
悪い予感がする。
それもかつてないくらい強烈に。
食い入るようにハルキチが初老の男を見つめていると、その視線を気取った男が振り返り、ほんの一瞬だけハルキチと視線が交差する。
初老の男は少し驚いた顔をしてからすぐに目を逸らしたが、ハルキチは視線が交わった瞬間に、不思議と懐かしさのようなものを感じていた。
ハルキチが自分の中に生じた感情を理解できずにいると、初老の男たちは移動してハルキチの視界から消えてしまう。
「まあ、今は買い物を続けようか。彼らに関しては帰ってからボクが調べてみるよ」
そんなリコリスの発言でその場は流れたが、ハルキチはどうしても男の姿に抱いた悪い予感を拭えなかった。