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プロローグ

よろしくお願いします。



 ――2087年。

 高度に発達した人工知性の神【アマテラス】は、日本国が抱える少子化問題を解決するため、仮想現実世界にひとつの学園を創設した。

【高天原・真恋学園】

 そこは数千万人の中高生と独身貴族をVRMMO空間に収容し、体感時間を三千倍に引き延ばしたうえで結婚したくなるまで青春させようという脳味噌お花畑な学園である。



 卒業(ログアウト)する方法はただ一つ――『真実のキス』を交わすこと。



 脳波を読み取る最先端のVR機器が生徒たちの心をつぶさに解析し、打算や嘘にまみれた偽りの恋愛を淘汰することで、あとには真実の愛だけが残される……。

 学園の開校から三日――時間が三千倍に引き延ばされる仮想現実ではおよそ二五年。

 現実世界に恋人繋ぎを見せつけるバカップルが溢れたことで、大人たちは施策の成功を確信したが……しかし彼らはまだ気づいていなかった。


 リア充たちに淘汰され、仮想現実世界に取り残された八百万(やおよろず)の非リアたちは、恋愛という出口の見えない迷宮に捕らわれて、今日も『恋人』ではなく『変人』を量産する愉快な青春を繰り広げているのだ――……。




     ◆◆◆




 笠原晴美(かさはらはるみ)は夢を見ていた。

 それは苦々しさに満ちた幼いころの記憶……。


「――晴美、お前には『くの一』の才がある」


 夕暮れの河原。

 母親から謎の宣告を受け、純粋な晴美は困惑した。


「…………男なんですけど?」


 晴美の下半身には立派なゾウさんが生えているのに、くの一の才能があるとはどういうことか?


「――まあ聞け。お前の身体に流れる笠原の血は、室町時代から続く暗殺者の血。美しき遺伝子を厳選して取り込み、多くのハニートラッパーを輩出してきた美少女の血筋だ」

「びしょうじょのちすじ……?」


 困惑する子供を見つめる母親の瞳には、愛情よりも享楽の色が煌めいていた。


「ぷぷっ……そしてそんな血の下に生まれたお前もまた、将来は絶世の美少女へと成長していくだろう」

「だから! おれは男だってば!」


 激高して反論する子供に、しかし母親は残酷な真実を突きつける。


「そうだな、確かにお前の性別は男だ。でもお前の外見はそうじゃない」

「え…………」

「ほら、そこで気絶しているおじさんを見てみろ、丸出しになった股間のポークビッツがギンギンになっているだろう?」

「うん」

「それはお前に欲情したからだ……こいつはお前を美幼女と勘違いし、社会における信用とパンツを脱ぎ捨てて、なりふり構わず襲いかかってきた」


 母親の足元には脂ぎった中年男性が転がり、遠くでパトカーのサイレンが鳴っていた。


「……ロリコンってこと?」

「そうだ。私がこいつを仕留めなければ、今ごろお前は『――なにっ⁉ 男だと⁉ でもかわいいからまあいいか!』と、開き直ったおじさんに犯されていただろう」

「……息子が襲われたのに楽しそうですね、母さん」


 晴美は母親の信頼度を下方修正した。

 ジト目を向けられた母親は息子の肩を掴み、真剣な顔を取り繕って言葉を続ける。


「いいか晴美……お前が成長してさらなる美少女と化していけば、間違いなく周囲の男はお前の尻を狙うようになる……それから身を守る方法はただひとつ、笠原家に伝わる一子相伝の暗殺術を体得することだけだ」


 他にも防ぐ方法はありそうなものだが、脂ぎったおじさんの姿に青褪めた晴美は、母親の言葉を信じて頷いた。


「おれ……殺しの技を極めるよ」




     ◆◆◆




 そんな幼少期のトラウマにうなされて、高校生になった晴美は目を覚ました。


「――はぅあっ⁉」


 ボロアパートの六畳間、汗だくになった美人が布団から身を起こす。

 のろのろ立ち上がり顔を洗うため洗面台に向かった晴美は、そこに映った自分の姿に辟易とした。

 サラサラの黒髪。

 整った顔立ちに、アーモンド形の目元。

 しなやかな四肢には無駄毛の一本も生えておらず、処女雪のように滑らかな柔肌が健康的な色気を放っている。


「くっ……今日も普通にかわいい…………」


 夢で見た母親の宣言どおり、十七歳になった晴美の見た目は絶世の美少女になっていた。

 ろくに手入れもしてないはずなのに、化粧をした女の子よりかわいいのだから笠原家の遺伝子は恐ろしい。


 この容姿のせいでどれほど苦労したことか。


 小学生のころには体操服やリコーダーを盗まれ、中学生になると休み時間のたびに男子から告白されるようになり、高校生になった今ではストーカーを撃退して通報することが日常の一部となっている。

 男子からは恋愛対象とされ、女子からは『笠原くんのせいで好きな子の性癖が歪んだ』と恨まれ、教師からも『今日の夜、家庭訪問に行っていいか?』と許可も出してないのに訪ねられる日々……。

 死ぬ気で体得した暗殺術は大活躍だった。


 おかげで晴美には彼女もいないし、彼氏もいないし、友達もいない。

 だけど晴美は寂しくなんてない。

 なぜなら彼にはネトゲの嫁がいるからだ。


 顔を洗って六畳間へと戻った晴美は、PCのディスプレイに映る嫁の画像を見て精神を安定させる。

 画面に映るのは亜麻色の髪を風に靡かせた美少女。

 ファンタジーな軽装鎧に身を包み、腰に片手剣を吊るした女の子が晴美の嫁だった。


 辛い現実から逃げた先で出会った理想の女の子。

 かわいくて、プロのイラストレーターとして活躍するくらい才能があって、いっしょにいるだけで楽しい最高の嫁。

 あえて欠点を上げるならば、仕事で男性向けのエロ同人を描いていたり、下ネタやアダルトビデオの話題で盛り上がれたりして……『中身がおっさんなのではないか?』という疑惑があるのだが……、


「ああああああ……おっさんの妄想消えろ! 精神崩壊するっ!」


 脳裏に浮かんだ中年男性の姿を消すために、ハルミは頭を部屋の柱へと叩きつける。

 彼が嫁の中身を想像して発狂するのはいつものこと。


「――嫁の中身は美少女! 嫁の中身は美少女っ! 嫁の中身は美少女ぉっ!」


 魔法の呪文を唱えることで晴美はSUN値を回復する。

 たとえ中身がおっさんの可能性があるとしても、彼女だけが晴美の希望なのだ。



 ――ピンポーン。



 そんな感じで晴美が日課の発作を起こしていると、家のチャイムが鳴らされた。


「…………来たか」


 その訪問者こそが晴美の精神を不安定にさせる最大要因である。


『笠原晴美さ~ん。【デジタル教育庁】のもので~す。扉を開けてくださ~い』


 扉の外から間延びした電子音声が聞こえるが、晴美は息を潜めて運動靴を穿いた。


『笠原さ~ん? いるのはわかってるんですよ~? 無駄な抵抗はやめてくださ~い……さっさと扉を開けないと強硬突破しますよ~?』


 少しずつ不穏になっていく電子音声に、晴美はこの日のために用意しておいた逃亡セットを押し入れの奥から引っ張り出す。

 たび重なるストーカー被害によって最近はほとんど引きこもりと化していた晴美だが、緊急事態に直面したことで半年ぶりに外出することを決意した。


『――対象の逃走意思を確認しました。強制収容モードへと移行します』


 そして晴美が山籠もり用の物資が詰まったリュックサックを背負った直後、扉の外から無機質な音声が響き、続けて振るわれた大型ハンマーによって錠前が火花を散らして弾け飛んだ。


『笠原さ~ん。動かないでくださ~い。抵抗すると痛くしますよ~』


 赤いパトランプを光らせながら、ゾロゾロと部屋に雪崩れ込んでくるロボット部隊。

 彼らに背を向けた晴美は「せいっ!」と、窓ガラスを突き破ってアパートの二階から飛び降りる。

 しかし晴美が飛び出たアパートの裏庭には別動部隊が待ち伏せており、


『――捕獲ネットを使用します』


 超強力ポリエチレンの網に絡めとられた晴美は、恥も外聞もなく泣き叫んだ。




「いやだぁあああああああああっ! 学校なんて行きたくないいいいいいいいいっ!!」




 必死の抵抗も虚しく、ロボットたちは拘束した青年を淡々と搬送する。


『大丈夫ですって~。【アマテラス】様が創立したオンラインスクールは、現実の学校とは違って、とっても享楽的ですから~』

「享楽的ってなに!?」



 笠原晴美、17歳。

 痴情のもつれからくる人間関係が原因で不登校になっていた青年は、そうして未来の謎多きオンラインスクールへと入学することになった。






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