ドアの向こうに変な人がいます。
自宅で配送業をやっている友人が、笑顔で部屋まで荷物を運び込んでいった。
ご丁寧に受領証にハンコまで求めて行ったが、必要だったのかな。
手元に渡されない控えは、梱包材も撤去して行ってくれたので差し引きゼロということなのだろうか。
「友人一同よりと言われましても。絶対悪乗りした1人か2人だろ。誰からだよ、これ」
違和感しかない贈り物を見つめて、立ち尽くす。
…そう。ドアだ。
さながら舞台道具のように、フレームとドアだけがドンとその場に存在している。
キャスターがついてて移動もできるよ。親切だね。鍵まで付いてる。
何の気なしにカチャリと開いてみるが、ドアはドア。特にどこにも繋がらず、ただ部屋の中心で最大限の異質さを放っていた。
開け閉めしても、思ったよりグラつかないよ、キャスターにはストッパーもあって安定してる。
そんな感想しか搾り出せない。
「秘密道具の中で欲しいのは、確かにドアだと答えたけれども」
ちなみにこのドアはとても手作り感に溢れていて、お値段よりは手間のほうがかかっていそうだ。何となく廃棄もしにくい仕様である。
下手な答え方をしていたら、電話ボックス的な形状のものとか時空移動用の乗り物的な形状のものが届けられた可能性がある。ドアよりも、きっとさぞや邪魔なことだろう。
悪友の本気、恐ろしい。
それでも多分、何となく元気のなさそうな僕を笑わせようという心遣いなのだろうな。
結構迷惑な大きさだけども。
「…結局、窓は直っても繋がらなかったんだよな…」
窓ガラスが入って隙間風をシャットアウトし、僕の部屋は、ようやく落ち着きを取り戻していた。
しかし、それでも僕らの状況が変わることはなかった。
ある日突然隣に引っ越してきた王子様は、また、突然引っ越して行ってしまったのだ。
「思えば色んなことがあったな…」
そっと窓ガラスに手を当てる。
始めは、そう、言葉が通じなかった。
彼が名乗った名前を、ドーナツだなんて聞き間違えたっけ。
「この窓だって、元に戻したかったはずなのにね。いつから、もうずっと繋がっててもいいかって思っちゃってたんだろう」
しみじみと呟いてしまいながら。
こんな風にディー達が過去になっていってしまうのだろうかと、思うと。
ちょっと、泣きたくなった。
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
がつん。
げしげしん。
ゴツッ。
ぎりぎりと音を立て、せめぎ合うは異界の扉。
向こうでは僕と同じ床で背泳ぎするような無理な体勢の金髪碧眼が、扉を押し続けている。
「気が合うという事はよくわかったよ、コノヤロウ」
「私もだ。しかし薄情な奴め。感動の再会だというのに、お前はなぜ私のドアを閉めようとする」
「違うね、逆だよ。僕のドアを閉めようとしているのがディーだ」
倒れた椅子。
半開きのドア。
机から転がり落ちたミニトマトがひとつ、扉をくぐって異世界へ行く。
読書しつつ食べようとしたトマトが手をすり抜けて、キャッチし損ねた僕が椅子ごと後方へ転がり、背後にあったドアノブに後頭部をぶつけ、その勢いでドアが開いたときにそれは起こった。
二度あることは三度ある。
僕らは三たび、世界を繋いだのだ。
向こうから転がり込んできたトマトは、ミニという形容詞をつけるには少し大きい。ミディトマトだね。
「あ」
押し負けた僕の扉は、ばたんと音を立てて閉じられた。
もう一度開けようと、立ち上がってノブを回すが、コンと小さく鳴ったきり動かない。どうやら向こうに障害物がある。
僕は、机の上の携帯電話に手を伸ばした。
もう使う日は来ないかもしれないと思っていた電話帳を呼び出して、通話ボタンを押す。
プル、と小さく呼び出し音が鳴らされたことに、息を飲んだ。
僕が最近聞き続けていたのは「おかけになった電話は…」というアナウンス。
だというのに、今聞こえるそれは1コール、2コールと相手方を確実に呼び出し続けている。
『マサヒロ!』
「ディー、もう少しそっちのドアを閉めてよ。僕のほう、全然開かない」
『…ふむ』
了承なのか何なのかはわからないがディーはひとつ唸り、通話は途切れた。
次いで、右手にかかる負荷が軽くなる。
がつっと音を立て、10センチほどの隙間をあけて扉は動かなくなった。
「ディー。久し振り」
声をかけると、ひょいと隙間に碧眼が滑り込んだ。
「うむ。無事だったか」
「ちょっと負傷したけど、概ね。そっちは?」
「無事だ。全て問題なく片付いた」
「…戦争、は?」
「起こっていない。あれは一貴族の勝手な行いであり、スオウルードは隣国よりの正式な謝罪を受け入れた。また、その貴族は既に隣国にて処罰を受けた」
詳細はわからないが、ムチムチの独断による行動であり、ガリガリはムチムチを庇いきれなかったということか。
半身も入らないような狭い隙間を覗き込み合って、僕らは相手の無事を確認する。
碧眼が不満そうに歪められるのを、眺めた。
「一体どういうことだ、これは。こんな狭くては行き来が出来ないではないか」
「困ったよね。どうしてそっちも押し開けるタイプのドアなのさ」
僕らは再び、自分の扉を押し開けようと試みる。
ゴツッと音を立てて、こちらのドアが押し負けた。
幸いまだ微妙に開いていたので、向こうに声をかけて、少し場所を譲ってもらう。
「まさかこんな展開が待っていようとはな…」
ディーの溜息。
聞いてみると、このドアはギルガゼートによって製作されたのだとか。
マロック、ヒューゼルト、レディア、ギルガゼートも同じものを持っているらしい。
「窓が繋がらなくなったと知ったギルガゼートが、お前に会えなくなったと大泣きしてな。私達を置いて帰ってしまったリルクスに絶交を言い渡した」
「子供か。って、子供だったわ」
「うむ。そんなギルガゼートが何日も部屋に引き篭もった後、このような奇妙なドアを配り始めてな。我々も受け取る以外になかった」
「あ、やっぱりそっちもドアだけなの?」
「そうだ。何せドアだけなので自立もせず、かといってこれで異世界を繋げという無言の圧力にあっては、皆アイテム袋にこれを仕舞い込むことも出来なくてな。各々の部屋に扉だけが置かれているという現状だ」
この扉は、ディーの書斎の壁に立てかけてあったのだという。
あれ。ということは…。
「マサヒロ?」
「うん。そのままドアを閉めないでキープしててね」
僕は、フレームを両手で支えた。
ゆっくりと、後ろに足を踏み出す。キャスターがコロコロと回転し、扉は僕についてくる。
同時に僕の扉はゆっくりと開かれていく。
「おお、いけるいける」
「どういうことだ。マサヒロ、お前のドアが遠ざかっているぞ」
「ああ、うん。なんかね、こっちのドアは位置を動かせる前提で作られているんだ」
悪友よ、多分掃除の邪魔にならないよう動かせる仕様にしたんだと思うけど、配慮をありがとう。
お陰様で、異世界は僕を受け入れる体制を整えてくれた。
適切な距離が開かれ、僕とディーは互いのドアを全開にすることが出来た。
でもドアの開閉分だけ余裕を持って広がった、僕の部屋でもディーの部屋でもないこの白い空間が何なのかわからなくて怖い。
踏んだら床がなくて落っこちるって可能性もないわけじゃないよな。
「むっ」
「へぁっ?」
ディーがなぜか自分のドアも動かそうと試みたのかフレームを持ち上げ…、体勢を崩した。
ドアで殴りかかられるという経験に慄きつつ、僕は側にあった僕のドアにしがみつく。
頭上から倒れ掛かってきたディーのドアは…そのまま僕と僕のドアをするりと通した。
床に倒れたはずのそれは、しかし何の音も立てない。
「…これ、どういう状況かな」
僕の足元に、くぐりぬけたディーのドア。試しにそれを跨ぎ超えても、特段何の支障も起こらない。
それどころかディーの書斎に立ってから、覗き込んでみた僕のドアは、きちんと僕の部屋に繋がっている。
悪戯心で、僕は自分のドアを持ち上げて、ディーの書斎内へと置いた。
転んでいたディーは何事もなかったかのような顔をして立ち上がり、自分のドアを壁に立てかける。
「…変なの。ディーのドアは、謎の白い空間に繋がってるね。僕の部屋じゃなくて」
僕のドアはディーの部屋に移動してきてしまっているのに、きちんと僕の部屋への通路として機能している。
これも、キャスター付きのドアという特殊な状況が生んだ奇跡か。
普通はドアも窓も固定されているものだから、倒れてもう一方の窓やドアをくぐり抜けてしまうなんて事態は起きようがないんだろう。
「マサヒロ。これをそちらのドアに通すとどうなるのか試してみたい」
「…まあ、なんかまずいことになったらもう一回くぐり直せばいいだけだもんね?」
興味津々のディーが、自分のドアを持ち上げて僕のドアをくぐった。
あっと思って床を見つめるが、さすがは抜かりない王子様、いつの間にか靴を脱いで僕の部屋へと渡っている。
靴を脱いでいるなら、特に言うことはないな。
「ふむ。私のドアも、私の部屋に繋がったな」
「どういうこと?」
「こういうことだ」
ディーが突然、何もない空間から書斎へと現れた。
今はディーのドアが見えるが、彼がくぐる前にはそこにドアなど存在してはいなかったはずだ。
そして確かに、ドアの向こうには僕の部屋が見えていた。
「…ディーに開け閉めしてもらわなくても、僕のドアだけで行き来できるんだろうか」
「失敗したところで、どうせお前なら何度でも世界を繋ぐ気がする。試してみろ」
失敬な。
そんなことを思いながらも、否定できない自分もいたので、僕は無言で自分のドアを使って部屋へと戻った。
僕の部屋に、不審な点は何もない。
僕は、ぱたりと扉を閉めた。
さっと取り出したガラケーでディーへと電話をかける。
『どうなった、マサヒロ』
「何の問題もなく戻れた」
『私のドアは、開けても閉めてもどこにも繋がらなくなってしまった』
んん?
それはもしかすると。
「僕のドアが閉じているから? 開閉権は、やっぱり僕にあるってことかな」
『かもしれない』
僕は再び扉を開いた。
二度と異世界へは繋がらなかった…なんてことはなくディーの書斎が現れる。
ただし、ディーのドアとは接さずに。
グルグルとドアを動かせば、書斎内での位置を移動することが出来た。
「ねぇ、ディー?」
ディーの背後から声をかける。
しかしそんなことをしていても振り向かないところを見るに、ディーはこちらを視認できないようだ。
『なんだ?』
電話越しに返事を返すということは、背後からは声が聞こえていないってこと?
通り抜けない限りはこっちが覗きでもしているみたいな状況なのかな。ある種、モニターみたいな状態なのだろうか。
片足をドアから出すと、気配に気づいたらしいディーが振り向いた。
「やっぱり、ディーのドア越しじゃなくて単体で繋がるようになったみたい?」
「ふむ」
背後から現れた僕に不思議そうな顔をしたディーは、自分のドアをもう一度開いた。
そこには、僕の部屋がある。
「成程。お前のドアが開いているときだけ、私のドアもお前の部屋に繋がるのか」
「ここで、僕のドアを開いたままレッグバッグに収納してみると…?」
「なんと。全く変わらず私のドアは使える。空間魔法の影響は受けないようだ」
パタパタとドアを開け閉めしたディーは、青い目を真ん丸にして、パタンとドアを閉じた。
開け放さないとは、躾が行き届いている。
「では逆に私のドアをアイテム袋に収納した場合には」
ディーは棚の上にあった袋を手に取り、そこに扉を収納した。
それを確認した僕はレッグバッグから自分のドアを取り出して、開け閉め。通り抜けて、また開け閉め。
「関係なく繋がるのであった」
「ずるいぞ、私のドアはお前のドアが開いていないといけないのに」
「こうして僕のプライバシーは守られたのでした。めでたしめでたし」
そうしてドアをそれぞれの袋に収納した僕らは、どちらからともなくハイタッチで、交流の復活を祝ったのだ。