かどわかしが出た。
耳を疑う言葉が聞こえた。
「え?」
二度どころか三度目の問い返しを行う僕に対し、嫌な顔も見せずにレディアは言う。
「先日、ギルガゼートが攫われました」
やはり、聞き間違えではない。
僕は視線を肩越しに後ろへと投げ…リルクス君と白熱討論会を開いているギルガゼートを見た。
「…自力で戻ってきました。空間転移で」
「空間魔法使いで、本当に良かったね」
頷く僕の前に、唐突にリルクス君が転移してきた。
レディアが小さな声を上げたが、認識が追いつかなかった僕はまるで動じていないかのように相手を見つめる。
驚いたよ、もちろん。でも悲鳴を上げるタイミングを逃したんだ。
「誰でも転移を使えるわけじゃない。独学で、よくあそこまで能力を伸ばしたと思う。俺の前に教えた人間はいないんだろう?」
「え、えぇ。彼は元々小規模のアイテム袋を作れるだけでした。私達が『空間魔法使いはこんなことができるらしい』と伝えると、自身で試行錯誤し成功して見せたのです」
言われてみれば、檻の中で出会った当初は、空間魔法で逃げる素振りなんてなかった。
親に売られたんだ、落ち込んで逃げる気力もなかったのかと勝手に思ってたけど。
…いつ転移できるようになったんだろう。
そして、ギルガゼートの努力を褒めるべきだと言いたいのだろうか、リルクス君が威圧感を出してくる。怖い。
会話中の相手に消えられたギルガゼートは、気にした風でもなく、とことことこちらへ寄って来た。レディアに促されて席に着く。
「ギルガゼート、怪我はなかったの?」
「怪我ですか? …あぁ、先日の話をしてたんですね。大丈夫ですっ」
まるで心配したことを喜ぶようにニコニコされると、ちょっと悩ましい。
「えーと。無事で良かったよ。ほら、転移できるっていうのは聞いてたけど、実際見たことってあんまりなかったからさ」
…なんかリルクス君に睨まれている。やっぱり褒めろってことなのかな。
でもこの流れからいきなり褒めるとかおかしいだろ。諦めてくれよ。
「マサヒロに何かあっても一緒に逃げられるように、頑張って覚えましたから!」
ブレないな。そしてこんなに懐かれる意味、相変わらずわからない。
…だから、褒めないってば。ここで褒めたら「よしよし、僕のためによく会得したね」っていう感じじゃん。何様だよ。
かといって「あっそう」と言うのはまたあんまりなので。
「じゃあ、もしもの時は、よろしくね」
とりあえず、当たり障りなく頼んでおくことにした。
「任せてください!」
とてもいい笑顔で返された。
ギルガゼートが、とっても努力家なのは知っている。
先輩であるリルクス君が、魔法陣なしでは『犬型のディーニアルデとトワコさん』という限定した人達しか共に転移できないのに対して、ギルガゼートは不特定の人間2名が同行可能なのだ。
ただしその内の1名はリュックサックだと思い込む必要があるため、負ぶさるような体勢を取らなければならないらしいのだが。
できるようになった理由もアレだ。
不特定その1というのはつまり、僕を連れて逃げる想定なのだが、僕は希にしか姿を現さない。代役で練習したため『マサヒロ役』となら転移できるということ。
リュックサックの役である不特定その2が転移できる理由に至っては、更にアレだ。
逃げる際に大きな荷物がないとは限らないし、そこに生き物が入っていないとも言い切れないと言うのだ。アイテム袋には生き物は入れられない。つまり「マサヒロの大事な荷物を置いていくなど言語道断。持って行けるようになりたい」という徹底ぶりなのだから返す言葉に困る。
何より、生き物を詰めた大袋を背負って逃げようとする僕…それがどんな状況を想定しているのか見当もつかない。なんか、犯罪のニオイしかしないんだけど。
「そこで本題。そんな努力家のギルガゼート少年が拉致されかけたのはなぜだろう…ということなんだね」
現在ギルガゼートは、リルクス君の空間魔法講座に参加している。一応、こんな話題が本人に聞こえないようにという、リルクス君からの配慮だ。
ギルガゼートにだけ身内贔屓を発揮するリルクス先生を何とはなしに見つめつつ、僕らはテーブルを囲んでいた。
「警備隊には届出ておきましたが、子供の誘拐は他に起きてはいないようでした。治安が悪化しているというわけでもなく…」
「身代金目当てと言うには…。ギルガゼートはここによく出入りしていますから近所の者なら見知っています。そもそも、スラム居住のレディア宅から買い出しに行った者を狙うというのもおかしな話ですしね」
「レディア自身を知っている者なら、マロックの存在も知っているだろう。その弟子を狙うなどありえないはずだったのだが」
三者三様に考え込んでいる。
しかしながら、判断材料が少すぎる。
「ただの変質者なんじゃないの、ショタコンの。犯人は見てないのかな? どんな人間だったか全然わからないの?」
一番ありそうだと思ったのだが、残念ながら三人は「それはない」と首を振った。
「しばらく後をつけられていたようなんです。人通りが少なくなった場所で、横道から出てきた男に突然腕を掴まれたのだとか」
レディアがちょっと泣きそうな顔で説明をしてくれる。自分だったらと思えば恐ろしいし、面倒を見ている子供がそんな恐ろしい目にと思えば、泣きそうにもなるのだろう。
「一度は振り払って逃げましたが、追っ手が複数人となり、追い詰められたのだそうです。ロープで後ろ手に縛られていましたが、相手が目を放した一瞬の隙に、うちまで転移したため無事でした」
「あー…複数、なんだ」
変質者なら徒党を組んだりはしないだろう。いや、わかんないけど。性癖を曝しあったショタコン男達の犯行だとは思いたくない。
そうすると、身代金目的なら確かに複数の男でも違和感はないし、レディアやマロックに恨みを持った人達だったとしても…。
「傷を付けるな、と言っていたらしいのです。ですから、殴られたりもせず…」
子供を殴りたくはないのに、誘拐はしたいのか。変な奴だなぁ。
だけど保護者ズに恨みを持つ人物なら、ギルガゼートはむしろ積極的に害されていてもおかしくなかったのか。
身代金目的となると、スラムに出入りする金持ちそうでもない少年を狙うというのはまた、微妙な線。
「ギルガゼートはしばらく、うちから出さないでおこうと思います。窮屈だとは思いますが、…何かあっては嫌です。師匠の家にも転移できるそうなので、一日一度は報告に行かせようとは思いますが」
不安そうなレディアは、そのまま言葉を切った。
リルクス君の講習会が終わってしまったのだ。