式の演出は不思議がいっぱい
僕のストレスゲージがぐんぐんと上がっている。
への字口の端っこを見て、はへっと白い犬が笑った。
「…何なら、この魅惑のふわふわを撫でて癒されてもいいんだよ?」
「結構です」
こいつはニセ犬だ、誘惑には断じて負けない。
だけど、手はグーにしていないとちょっと危ないかもしれない。
無意識に撫でたら負けだ。
自分にそう言い聞かせつつ、能面のように無表情なリルクス君が近付くのを視界の端に捉えた。
ディーよりの報酬を賜るため、その下準備としてリルクス君と犬耳王子が来ているのだ。
ちなみに犬耳王子は「癒し要員」と自称しているが特段何の役にも立っていない。
「これはどういう意図がある?」
示されたのは、スプーンで新郎の口にケーキを運ぶ新婦の写真。
これは…ファーストバイト!
さっと取り出したウエディング用語辞典を素早く捲り、僕は記載内容を読み上げた。
「カットしたウエディングケーキを新郎新婦が互いに食べさせあう演出。新郎からは「一生食べるものに困らせない」、新婦からは「一生美味しいものを作ってあげる」との意味が込められている」
「…一生ケーキに困らないことがそう重要と思えないんだが、必要なんだろうか?」
演出は新婦の好み次第だよ…。
でも、この台詞はもう幾度となく口にしたものだ。これでは彼は納得しない。
リルクス君はどれが『結婚式に最低限必須である項目』かを知りたいようなのだが、正直申し上げてそんなもの僕だって知らないよ。
「やりやすいのがケーキカットからの流れってだけだから、別にケーキでやらなくてもいいんだよ。あと『披露宴』の項目なので、『式の最低限』には含まれない様子」
納得した顔で雑誌を積んだテーブルへと戻っていくリルクス君。
ウエディングプランナーでも何でもないのに、なんで僕は用語とかに詳しくなっちゃってるんだろう。辛い。
僕の中での結婚式のイメージといえば指輪交換と誓いのキスくらいだ。
披露宴ならお色直しとケーキカットは皆やってる感じがする。
それだって、本当に必要なものなのかと言われるとな。
…そもそも彼らの求めるものは宗教式なのか、人前式なのか。異世界風の式は要らないのかね?
しかし、どうやらリルクス君はトワコさんに2着以上のドレスを用意する方針のようなので、披露宴でお色直しは決定のようだ。
だけどさ、披露宴て。
誰に披露する気なのか。いつものメンバーは有無を言わさず含まれていそうな感触ではあるが。
まさかトワコさんちのご家族を異世界に招待するつもりなのだろうか。
ってことは僕の部屋経由で…? いや、それ、聞いてない、ぞ…?
「素敵です…綺麗ですわ…まぁ華やか!」
ほんわりとレディアが雑誌を見ている。
やはり女の子はこういうものが好きなのだろうか。
…綺麗かもねぇ…でも、僕にはあっちの人もこっちの人も同じに見えるなぁ…。
これもそれも、同じドレスに見えるなぁ…。
髪…うん、差してる花の色は違う。
何がどう違うのかなぁ。
わかんないな。
ええ、違いのわからない男、柾宏です。作り手にとっては張り合いがないでしょうが、代わりに優劣や文句もつけません。後者を長所として押していきたい。
僕はそういう意味で、装飾や演出選別においては全くの戦力外である。
用語やらの解説者としての役割しか期待されていない。
そしてレディアの女子感覚は大変貴重な戦力であるため、リルクス君はレディアの反応のチェックに余念がない。
彼女がうっとりしたものを素早く調査し、脳内でトワコさんの好みに合いそうかチェックしているのだろう。
いつか従姉が結婚したときには「結婚式は引き算よ。やらなくていいものを引いていくの。だってお金さえあれば詰め込みたい演出は幾らでもあんのよ」と言っていた。
しかし知人は写真を撮っただけで式さえやらなかったと言うし、トワコさんがどれほど結婚式に夢を持っているのかがわからないことには、手の施しようがないと思う。
ふと、ディーが眉を寄せた。
「マサヒロ、これは何のためにブロッコリーを追い回しているのだ?」
それは…ブロッコリートス!
もはや右手によく馴染んだウエディング用語辞典である。
「新婦が後ろ向きに花束を投げ、受け取った者が次の花嫁になれるというブーケトスの新郎版。子孫繁栄や健康が祈願されており、近年アジア圏で浸透し始めている」
あ、うん。僕も詳細は初めて知ったかな。
マヨネーズ付きの場合も有りか。親切…だね。「ちなみにカリフラワーの場合は、「お仕事頑張って」という意味が込められている」だと…?
どうしてだ、全然わからないよ! カリフラワー!
…まぁ…ノリさえあれば何でもいいのか。
再びリルクス君が何かの説明を求めて近付いてきた。
「ここにあるタワーは何だろう?」
「…ん?」
昔からあるタイプのウエディングケーキだ。
そうだよね、確かに、何も知らない人がこれをケーキと判断するのは難しい。
一応中身が偽物であることも交えて説明。
「…何のために食べられないケーキをこんな高さに…」
合理主義のリルクス君には、理解できない演出がいっぱいだ。
もちろん僕にもいっぱいだ。
「知らないよ…一応イベントだし、お客さんが多かったら遠くからでも雰囲気が楽しめるようにじゃないの…」
「ああ、成程な。それに実際にケーキをこの高さにすると、崩さず皆に切り分けるためには相当剣技に優れた者が必要だろうしな」
またつまらぬものを斬っちゃう人くらいにしか、多分そんな芸当は出来るまい。
リルクス君はトワコさんのためなら自分の主義主張をあっさりと曲げるので、今回に関しては疑問は持てども受け入れが早いなー。
そんなことを考えていたら、ディーがごく当たり前のような声で発言した。
「ヒューゼルトなら出来るのではないか? 一度試してみるか」
何を言っているのか。
僕は思わず苦笑した。
「いや、ディー。さすがに…」
「可能だと思います」
飛び込んだ言葉に、僕は真顔で振り向いた。
生真面目な護衛兵の顔は、冗談を言っているふうではなかった。
「…あっ、でもほら、まずケーキ作って積み上げることがそもそもねっ…」
「ヒューゼルトなら出来るのではないか?」
「可能だと思います」
「…えっ…」
僕は再びスイーツ護衛兵を見つめた。
こいつ…作る・積む・斬るをやってのける気だ…。