容疑者M。
暗殺者がやってきて。
開いた窓から侵入しようとして。
けれども何かに阻まれた結果、落下したらしい。
「僕らからは暗殺者とかそういうものは見えなかった。変わったことといえば、がつんっていう大きな音がしただけ」
「何せ、窓がな…あの有様なのでな。通常の外の様子というものは一切見えないのだ」
「結界って言うより、多分、僕の部屋に阻まれたんだろうねぇ…そんなこともあるんだねぇ…」
事情聴取ということで、僕は簡単に異世界の壁を越境してしまった。
靴を取りに行くことは許してもらえなかったので、靴下のまま。しかし何かの容疑者らしい僕がいつまでも王子のプライベートルームにいることは許されず、別の部屋に移動して取調べ中。
今、ヒューゼルトの小脇に抱えられています。侍女さんがスリッパを取りに行ってくれているらしいので、それまでの辛抱だという話。牢屋に入れられるのは困るけど、椅子か何かに置いてくれてもいいのに…ここの椅子は確かにディーが使っているけれど、別にちょっと他の部屋から僕の分の椅子を持ってきてくれればいいじゃないか…。王子以外は座ってはいけないのかな。でも、そんなこと気にするなら、王子の前で容疑者をぶらりと抱えたままのほうが失礼ではないのかね。
いつも僕の部屋と繋がっていたディーの部屋というのは、王子の私室と言われると全く広くない。机があって椅子があって棚があって…窓から見える範囲というのはそんな程度。庶民感覚からはみ出ない程度の部屋の大きさだった。だからこう、ディーは王子様ですよ!っていう気分にイマイチなれなかったんだなぁ…。
粗忽ものな僕はあまり気にならなかったのだけれど、王族の部屋がそこ一部屋だけだなんて思うのは確かにおかしかったんだろう。
そして抱えられて移動するうちに理解したのは、そこがいわゆる書斎だったということ。ディーの部屋というのは…ホテルのスイートルームみたいなアレだった。ベッドが置いてある部屋と、リビング的な部屋と、応接間的な…とにかくいっぱいあって、全部まとめてディーの部屋、みたいな。とにかく僕の感覚が間違いだった。そうだね、当たり前だよね!
最初からこんな感じのとこに住んでいる人なんだって知っていたら、僕の態度ももしかしたらもう少し違うものになっていたのかもしれない。
「すまないな、巻き込んでしまって」
ディーの言葉にぼんやりと首を振る。いやぁ、何だか付き合い方を考えなきゃいけないのか今更悩んでしまうなぁ。
「お前の部屋の窓は開いているが、私の窓は閉めてきた。不在の間は部屋に誰も入らないよう言いつけてきたから、心配するな」
いや、何もかも心配だよ。特に暗殺者、間違えて僕の部屋に侵入しないですかね。ディーの部屋が留守だったんで窓から出ようとしたら迷い込みました、みたいな。夜中に迷子の黒ずくめとか出てきたら叫ぶ自信あるよ。ぴょあぁ、とかそういう珍妙な感じの悲鳴を。
「どうでもいいけど、白昼堂々暗殺者が出るのっておかしくないの。普通は闇夜に紛れて襲わない?」
「いいや、奴らには時間なんぞ関係ないな、いつでも出るぞ。暗殺者ブッキングで三人くらいかち合ったこともあったな。別の手のものだろうに共闘し始めて、あれには笑うしかなかった」
本当に軽やかな笑い声を上げている様は、正直理解できません。笑えないよ、すげぇピンチだと思うよ、それ?
引きつった顔をしている僕に、ようやくスリッパが届けられた。
侍女さんはヒューゼルトの小脇でぶらんとしている僕を奇異なものを見る目で見ている。なかなか、精神的にくるものがあるな…。
ぺちぺちとヒューゼルトの足を叩いてアピールすると、ひょいと持ち方を変えられた。背後から横腹を支えられ、スリッパの位置に上手に下ろされる。荷物扱いも酷いものだと思ったが、完全に子供にクックを履かせるかのような所業…こんな屈辱は初めてである。
「………………」
「………………」
思わずヒューゼルトを睨むと、相手も僕を睨み返してきた。
「こら、やめないか」
ヒューゼルトを嗜めたのは彼が隊長と呼んでいた男。近衛兵団第四部隊隊長らしい。第一部隊が王様、第二部隊が王妃様、第三部隊が第一王子を守る近衛兵なんだって。第二王子であるディーは第四部隊が守護を担当。
「殿下、そろそろ支度をしなくてはいけませんね。ヒューゼルトは殿下につけ」
「はい」
「マサヒロ。できるだけ急いで戻るから、ゆっくりしていろ」
えっ…? 容疑者のまま、見知らぬ異世界人と二人きりにされるだと…? 隊長がそっちにつけばいいじゃん、ヒューゼルト残してくれてもいいじゃん?
僕はどんな絶望的な顔をしたのか。
ディーは当然のことながら、隊長も、更には今し方睨み合ったばかりのヒューゼルトまでが吹き出した。
「何だ今のは! マサヒロ! 捨てられる子犬かお前!」
「ないなぁ…これほど腹芸ができない暗殺者はいないわ。置いていかれる子供の顔をしたよなぁ」
「ようやく警戒するまでもない矮小な存在であることが証明されて、良かったな。私も肩の荷が下りたよ、マサヒロ」
あぁ、ヒューゼルト…お前のそんな晴れやかな顔は初めて見るよ。僕を見ればしかめっ面しかしていなかったというのに、もう完全に小馬鹿にしてくれたね。眼中になくなったね。警戒されなくて嬉しいけど、なんかお前に一泡吹かせる術はないものかと考えてしまうよ。僕は心が狭いのかな。
赤面したまま押し黙る僕を置いて、薄情な王子と護衛兵は去っていった。
未だに顔に笑いを残したまま、隊長は「さてと」とわざとらしい声を出す。
「気を取り直して、詳細を教えていただこうかな。なぜ殿下に口止めをしたんだ?」
「…口止め? 何を?」
「お前の存在をだよ。部隊長として、ヒューゼルトからは異世界人が殿下と場を繋いだという報告は受けていた。宮廷魔導師のマロック殿がお前に魔道具をつけることに成功したので危険はないと仰り、殿下はこの件に対し緘口令を敷かれた。王子を守る立場でありながら、部下は「窓から侵入できる異世界人がいる」という情報を共有できていなかったのだ。それが今回お前を、暗殺者を手引きした容疑者として取調べせねばならない理由だ。誰もお前を知らないのだから、まずは調べねばならない。それから、決して間違うな。お前の窓は今日初めて殿下の部屋の窓に繋がった」
「…えぇと、前から会ってたのに言ってなかったのがまずいから?」
「そうだ。それが知れてしまえば、場合によっては兵士達は殿下のお心を疑うだろう。それは我らも本意ではない」
まぁ、守られる側が護衛に黙って危険なことしてたら、守ってやりたくなくはなるよね。王族だし、近衛兵だって仕事なんだからそんな職務放棄はしないだろうけれど、護衛との関係がこじれるのは確かにまずいだろう。
「僕は特に口止めをした記憶がないんですけど」
「…ならば、異常事態であろうになぜこちらへ入り込んだり、こちらの世界の事を調べようとしなかった?」
「僕の生活は毎日仕事に行って帰ってくるだけの繰り返し。それでも行かなきゃ生活費も世間体も問題です。繋がった先が王宮だっていうのに迂闊に入り込んで罰せられるような真似はしたくないですよ。帰れなくなったら困る。僕は生憎腕っぷしには全く自信がないし、別に無理矢理召喚されてそっちで生きていかなきゃいけなくなったわけじゃない。僕の生活が変わらないんだから、むしろ懐っこい王子が勝手に隣に住み着いたみたいな感じなんです。お互いにちょっとした非日常を窓越しに楽しんでいるだけですから」
そこまで言って、ディーが僕のことを口止めした理由をぼんやりと考える。
マロックじーさんだって異世界研究がしたいとごねた。繋がった先が王子の私室でなければ、僕は実験動物的に回収された可能性だってある。そんな風に「ちょっとした非日常」では済まなくなると思ったんじゃないだろうか。だから自分と護衛の関係が悪化する可能性があっても、僕の存在を隠した。
「さすがにもう、僕のことはバレちゃうんですよね」
「あれだけの目撃者がいるものをなかったことにはできないな。王宮に起きた異変なのだから、陛下にも報告せねばならない。今日は外国の方々がおられるからな…このようなことが聞こえてはまずい。お偉いさんが出立された後にでも、密かに陛下と謁見することになるだろう」
「僕、異世界かつ田舎町の一般市民なんで作法とか全く知りませんけど。いきなり無礼討ちにされないかな?」
「異世界人だからな、多少は大目に見てもらえるだろうが…あまり無礼な態度を取るなよ。陛下が許されたとしても周囲が許すとは限らない」
「…既にディーにはえらい態度取ってるんですけど…」
「人目があるところではやめておけ。お兄さんからの忠告だ」
はい、自称お兄さん。