王子が魔王を手懐けた。
おかしい。
なぜ、ディーはこんなにも積極的なのか。
「報酬は手筈通りに」
無表情の魔法使いが、僕の肩をしっかりと掴んでいる。
小さく頷いた王子は、不可解なほどの笑顔を浮かべた。
「安心しろ、私は嘘はつかん」
売られる。
僕、何か知らないけど、売られる。
僕とディー、そしてギルガゼートが馬車の中にいた。護衛兼御者のヒューゼルトは車外である。
ギルガゼートがリルクス君と共同開発したという転移魔法陣で、なんとお忍び姫の国への旅行が一泊二日で可能になったのだ。
そうまでしてお忍び姫の国へ僕を行かせたい理由、わからず。
とりあえず頼まれていたブライダル雑誌数冊をレッグバッグから出して渡すと、ディーは徐に頷いた。
「用意しろって言うから買ってきたけど、本当にこんなものどうする気?」
突然結婚式の参考資料が必要なので集めろとか言われたので、雑誌を購入したのだ。
ケー王子結婚すんのかなーとか薄ぼんやりと考えていたけど、どう考えてもこちらの結婚式にはキリスト教式とか関係ないよね。
「もちろん、リルクスへの報酬の一旦だ」
あろうことか、そんなものを取引材料にして魔法陣を開発させたらしい。
「…トワコさんのウエディングドレスでも作るの?」
彼女が異世界に戻ってきたら結婚する話にはなっているようなのだが、そういえばまだ僕の元に窓の使用要請は来ていない。
トワコさんが日本に帰って、そろそろ三ヶ月が過ぎようとしている。
そして、リルクス君が僕に会うたび向けてくる視線には、たまに魔王が混ざりつつある。
だけど決して状況がどうかなんて聞いて、巻き込まれるような真似はしない。
僕は窓の通行規制などしていないので、そこは純粋に若いお二人で話し合ってほしい。そんな仲人気分。
「ドレスに限らず、こちらでマサヒロの国の結婚式を再現するつもりなのだ」
意外な言葉に、僕は困惑した。
…日本式って言うなら、もしかして神前式じゃね?
神主調達はさすがに無理だよねぇ。
あ、雑誌、完全に洋風な結婚式ばっかり載ってそうな表紙なんだけど。中身までは見て買わなかったよ、恥ずかしいから。
うーん。トワコさんが和装派か洋装派かによって、追加購入の懸念があるな。
結婚予定もないのにこんなもんレジに持って行く恥ずかしさ、ディーにはわかるまい。
店員さんが「あらあら結婚かしら。彼女のおつかいなのかしら」みたいな目で見て来るんだぞ。これは被害妄想じゃないはず。
…何かの間違いで、買うとこ知り合いに見られてたらイヤだな。
なんか、エロ本買うほうが恥ずかしくない気がする不思議。
「今回の、この本はリルクス君の希望?」
「いや、本自体はリルクスに渡す目的ではない」
ま、まさかのディーの私物発言!?
…と思ったけど、ディーにとってはただの物珍しい本だ。写真満載の雑誌というのは、純粋にディーの興味を引いている。
ギルガゼートも不思議そうにページを捲ってるしな。
「以前にマサヒロが言っていただろう、そちらの国の女は結婚式に夢を持っているものが多いと。それを教えてやったのだ」
「…と、いいますと?」
「元よりリルクスは書面上の婚姻手続きだけするつもりであったようだからな。トワコは親に晴れ姿を見せてやれないことを実は悲しんでいるのではないか、向こうの女の夢だというのに婚姻に適切な衣装を着せてもらうこともできないのでは、やっぱり元の世界に帰れば良かったと思われるかも知れんな…等と言ってみたのだ。なかなか帰らぬ彼女をじっと待つリルクスは、大変不安定になっていたので案外簡単に魔法陣の開発を引き受けたな」
「通り魔的犯行の前科がある相手に…。勇気あるね、ディー」
僕の印象として、リルクス君は昨今の突然キレる若者だよ。
電車で席を鞄で塞いでいても、注意したら刺されるかもしれないから注意できない感じのタイプだよ。
「魔法陣が必要な空間魔法ってのもあるんだね」
そっと強引に話題を変えてみた。
「ああ、転移は基本的に自分が飛ぶための魔法だと言っていた。他者や荷物を運ぶのに、魔法陣であれば陣に入る大きさまで運べるというから、馬車にしてみたんだ」
リルクス君は一度行った場所なら空間魔法でガンガン転移できるらしいが、ギルガゼートはそうではないらしい。
そしてリルクス君自身も連れて飛べるのは、他に一人(+小型犬一匹程度の荷物)くらいがせいぜいなのだという。
ディーは馬車ごと飛べる魔法陣の開発を依頼した。実際の起動には空間魔法使いが必要らしいので、積極的に世に広めていけるような技術ではないけれど。
空間魔法の可能性を研究しているリルクス君としては、自分以外のものを転移させる魔法陣開発にも積極的であったらしい。
「ギルガゼートは大丈夫だった? リルクス君と一緒でも」
いつぞやの顔面揚げカマ事件が脳裏を過ぎり、ギルガゼートのご機嫌を窺ってみる。
「はい。ルドルフェリアの魔法使い達は効率のいい使い方の基本を集落で学ぶのだそうですが、僕は先祖返りで独学なので…元々、僕のことをちょっと気にしていてくれたみたいなんです。色々教えてくれることも最近は多かったので、一緒に魔法陣を開発するのは大丈夫でした。とっても勉強になりました!」
にこにこと笑う少年の表情に、嘘はなさそうだ。