招待状(返品)
目を真ん丸くする僕の前で、ディーは皮肉げに笑った。
「…えぇと。言ってる意味がわからないんだけど?」
手の中に押し付けられる紙は受け取らず、手指をグネグネと動かして逃げの一途。むしろ押し付け返す。
案外この紙、硬いのですが。
手が切れそう。切り傷できそう。っていうか、今、薄皮切れた。
ヒューゼルトがいれば、この『不気味な手の動きで紙を押し付け合う会』を止めてくれたのかもしれないが、残念ながら既に夜、既に部屋。
ケー王子によるとお忍び姫ことテルシア姫は、ご満悦であったとのこと。
正直申し上げて、大した話もしていないうえ、出された菓子には文句をつけた。僕としては本日のお茶会、大失敗である。
「マサヒロが言ったのだ。機会があれば姫の国を訪れる、とな」
「言ったけど、そんな機会はないのだよ」
「ああ言った以上、招待されるに決まっている。面倒くさがりなマサヒロが随分積極的だと、私も驚いたのだぞ」
もう一度重ねて言わせてもらおう。
「言っている意味がわからないよ、ディー。僕は行きたくないから、機会なんて要らないよ」
面倒になった僕は押し付けられた紙を一旦受け取り、相手が気を緩ませた一瞬のうちに、ディーの陣地の床を目掛けて放り投げた。
ぺそり、と床に落ちた紙。
「…お前。王族からの招待状をそのように…」
呆れた声が降ってくるが、僕の心は全く痛まない。
「いや、知らないし。要らないし。行かないし」
「そんなことだろうとは思ったがな。マサヒロ、あれはお前が悪いのだぞ?」
なぜか説教モードのディーに諭されて、僕は情けなく眉尻を下げるしかない。
駄目っ子ディーに説教されるなんて。
まるで僕が、彼よりももっと駄目っ子みたいじゃないですか。
「あの言い方では、こう取られるのだ。『行ってはみたいけど尋ねる立場や名目がありません』とな。場合によっては『招待してくれたら行けますね』というダイレクトな要求だ」
「…違います。『いつか機会があったら行きます』というのは『行く予定はありません』という言葉を失礼にならないよう遠回しに表現したものです。場合によっては『実際、機会はないので行きません』というダイレクトなお断りだ」
「お前の国ではそうかもしれないが、こちらでは違う。むしろ機会だけで済むのなら、王族が機会を作れないわけがないだろう」
「お前ら王族がどう思うかは知らないけどね、機会ってのはこっちの都合のことなんだよ。馬車移動とか、何日仕事休んで国を跨ぐ気だ。そんなん、帰ってきたら会社に席なくなってるわ。行けたら行くねってのは、ほぼ行く気はないねってことだよ。行く気があるなら「うん、行くね」って素直に言うよ」
そもそも、あのマズイ菓子を作り出す国を訪ねてどうするのだ。食生活が合わない予感しかしない。
僕だって砂糖が嫌いなわけじゃない。
金平糖も氷砂糖も、カステラの底のザラメだって大好きだ。
…だけど、あのお菓子、普通に不味かったんだもの。…ジャリ、もさ、ドロォ…だよ?
もさもさスポンジとドロドロ汁による不快指数はMAXだ。ジャリっとシュガーだけならば、まだ耐えられたかもね。
しかもお忍び姫は言ったんだ。アレの名前は「ミルルの砂糖菓子」だと。
マジで、アイツが砂糖菓子とか名乗ることを許せない。まずスポンジどっかに仕舞え!
和三盆の干菓子に土下座が必要なレベル。
ついでに、殻に包まれたミルルの玉子を模しているとか説明していたが、心底どうでもいい。
「…そうだ。和三盆」
「ふむ?」
「プレゼントしてあげればいいんだ。砂糖に絶大な自信を持っているあの無駄なプライド、粉々に打ち砕いてくれよう」
「おい、待て。おおごとにするなよ。兄の結婚を穏便に断れるかどうかがかかっているのだぞ」
だが、知ったことではない。
悪役顔でにやりと笑って見せると、ディーの鼻からプスンと間抜けな音がした。
え。何それ、未だかつてない笑われ方。
真面目な顔を取り繕おうとしているが、お前の鼻、今、プスンて言うたよ?
ツッコミを入れると、ディーはそっとこちらから目を逸らした。
その表情は一見、憂いを帯びて見えるけれど…右手で腹筋押さえながらちょっと頬の内側噛んでるね。誤魔化されない。
「…マサヒロ。お前がそのような未だかつてない小物顔で笑うからいけない。堪えられるものか」
「えっ、全力の悪い顔のつもりだったんだけど。むしろ悪の大王だよ?」
「いや、どちらかというと、三下だったな」
残念。生来の性質には打ち勝てなかったようだ。
「それにしても、マサヒロ。私はお前がもっと喜ぶと思っていたのだ」
唐突に謎の方向転換を図ってきたディーに、僕は首を傾げる。
あんなマズイ菓子で喜ぶと思われていたなんて、屈辱である。
「いや、そうではなく。前に、妹はいないのかだとか、女の子はいないのかだとか言っていただろう」
「…ああ。そんなこともあったかも?」
でも男子なら当然の発言じゃない?
ましてや窓越しの相方が、世間に申し訳ないくらいの残念王子なんだから。
相手から見ると世間に申し訳ないくらいの残念一般人の僕だけど、そこはそれ。退かぬ、媚びぬ、省みぬ。
「だから、他国の姫君と引き合わせることを喜ぶかと思った」
「…うーん。でも、お忍び姫じゃん?」
「テルシア姫は才色兼備と名高いらしいぞ」
「…いや、多分それ、嘘だよ」
ステマかもしんないよ。
あの護衛が噂の発信源かもしんないよ。
「レディアのほうが可愛いし、頭良さそうだけどな」
こちらで唯一交流のある女子、レディアを対抗馬として設定。
え、トワコさん? そもそも日本人だし、触らぬ神に祟りなし。魔王の眠りを覚ましてはならぬ。
というわけで。元魔導師見習いで、知識に貪欲。そんなレディアの頭が悪かったら洒落にならないと思う。
そして美女と名乗りつつも、見た目は可愛い系。
「そうなのか」
「え、ディーはそうは思わないの?」
「…女性とは皆美しいものだぞ。私が発言していいのは好みかどうかということだけだ」
「なに優等生ぶってんだよ、どっちかのいいとこ言ってみろ」
「ふむ。どちらかといえばレディアのほうが親しみやすいな」
「なんっで僕にお忍び姫勧めた、このヤロウ!」
大体、姫に惚れるなんてごめんだね。確実に配役が当て馬ポジションじゃないか。
勝手に身分違いで惚れたうえ、姫の危機に身代わりになって死んだりするんだろ。モブ顔の役割なんてそんなところだ。
「お前ならば、姫と恋仲になるのは滅多にない経験だと思うぞ」
「いや、恋仲にならないし。そもそも、お忍び姫とは食の好みが合わないから。そういえばディーはアレ普通に食べてたね。平気だったの?」
「ああいう菓子だと知っていたし、特段不味くもないのだが」
「…お前に美味しいものを買ってきてあげても無駄だということがわかった」
「特段不味くはないのだが、そう、美味くもないのだ。マサヒロが用意するものは外れなく美味い」
あっ、簡単に寝返りやがった。