王子と怪盗の区別がつかない。
真剣な色を宿した瞳に、困惑した。
「頼む」
素直に「うん」とは、僕には言えない。
無意識に首を横に振ろうとしたら、がしりと頭を掴まれた。僕の拒否を拒否する、まさかの力業である。
腕力ではなく言葉で説得してはくれませんかね。
「まず、作法とか知らないし」
「構わん」
「えーと、ラフな服しかないし」
「問題ない」
「うん、そもそも意味がわからないし」
「気にするな」
「いや、気にするわ」
あと、頭を離せ。
真顔全開で言わせてもらうと、ディーはたじろいで離れた。僕の強固なお断り癖は今に始まったことではないのだが。二つ返事で応じるとでも思っていたのだろうか。
あ、レディアの頼みには二つ返事だったからいけると思ったのかな?
でも残念、レディアは恐らく僕に力量以上を求めないから安心なんだ。対してディーは、笑顔で無茶振ってきた実績がある。
…だけど本来であれば、僕は『彼女』に関わりのない人間なのだから。
「ディーが、お忍び姫のお茶会を断れない理由って一体何なの?」
「…断れないわけではない」
「だってお茶会に異世界人を連れて来いなんて変じゃないか。第一、城でのお茶会だろ、主催はディーじゃないのかよ、姫はお客さんなんだから」
ディーは口の両端を引き下げた。への字口をしても、駄目なものは駄目です。
さっきの会話だって酷いもんだよ、悪いけどディーの言外の声、わかってたからね?
「まず、作法とか知らないし」
「構わん(マサヒロが誰に対しても無礼なのは今更だ、私は気にしない)」
「えーと、ラフな服しかないし」
「問題ない(必要なら私の服を貸せばいいからな。ズボンの裾は折ればいいだろう)」
「うん、そもそも意味がわからないし」
「気にするな(断る口実が尽きたようだな、とりあえず押しきっておくか)」
…違うよ、被害妄想じゃない。ディーは案外僕と基本の思考が近いのだ。面倒くさがりのゴリ押し野郎という点でな。
ディーの中で、僕がお忍び姫のお茶会に連れ出されるのが確定事項だとするなら、この話題はどう断っても終わらない。もしかしたら義務義理の絡みであって、ディーの本意ではない可能性だってある。
それに、どれだけ嫌がってみたところで、延々と頼み続けられてしまえば僕が折れてしまうことは想像に難くない。
何だかんだ言って、僕はディーに甘いからな…。
あと、断り続けるのも実は面倒くさい。同じ話を聞かされ続けるってことだから。
「無礼講だよ」
「構わん」
「ジーンズで行くから」
「そうか」
「失敗しても責任取らないよ」
「気にするな」
かくして僕はお茶会参加を引き受けた。
イイ笑顔のディーがついた安堵の溜息に、多少の不審を覚えながら。
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
本当は先週むしりにむしった花びらで、レディアのインクができたかどうか知りたかったのだけど。
どうやら、そんな場合じゃないらしい。
「変だなって思ったんだよね」
今更ジーンズは駄目だと言われ、回れ右しかけた僕の視線に、ディーは肩を竦める。
「あの「そうか」は「ジーンズで来てもいい。だが着替えさせる」だったのか…」
ゴリ押し部分の読みが甘かったようだ。
ディーの部屋を出た僕は、廊下に踏み出した一歩の間に捕獲されていた。現在、ヒューゼルトに首根っこを掴まれて移動中だ。
これは、ない。
猫の子を持つような運ばれ方に文句を言いかけると、首の後ろを掴む指が喉の辺りまで回ってきたので口を噤んだ。絞めるな、普通に死ぬぞ。
しかし不満は伝わったらしく、小脇に抱える荷物型移動に変更された。
ヒューゼルト、不満はそこじゃないんです。逃げないから下ろせってば。
時折すれ違う人のぎょっとした目にさらされながら、連れていかれたのはとある扉の前。
ディーの目線だけの指示により、ノックもせずに扉を開けたヒューゼルト。中には数着の服が並んでいる。
「…ディー」
「どれでもいいから早く着替えろ」
「これはディーのじゃないの?」
「兄からマサヒロへ感謝の贈り物だ」
ええー。余計に意味がわからない。
表情が歪む僕に、ディーは目を逸らした。
ケー王子、どうした。お忍び姫のお茶会に僕が参加することへの感謝…。
「お忍び姫は、ケー王子に会いに来たのか。え、もしかして婚約者か何か?」
ディーの眉根に深い皺ができた。
「…婚約者候補だった」
過去形か。
突っ込んで聞いてもいいのかなぁ。
「兄が嫌がっていてな。別に悪い女性ではないのだが、兄は少し人間不審なので勧められた人間は簡単に受け入れない。嫁は己で探すと言い張るのだ」
「…えっと、人間不審なの? 僕には普通のお兄ちゃんに見えたけど」
「マサヒロに対する判断は、とっくに終わっているからな。兄はお前に警戒などしていない」
値踏みされた記憶もない。初めて会ったときだって、興味津々の態度しか取られた気がしないんだけどな。
「…それはそれとして、ケー王子、まだ結婚しなくていいの? 王太子的に」
結婚してなくて、婚約者もいない、いい年の王太子。しかも弟は継承放棄したんだろ、お世継ぎをせっつかれそうなもんだけど。
「いい。父は健在だ、限界まで本人の意志を尊重すると言っている。兄が決めない以上、私が先に婚約者を決めることも結婚することも必要とされていない」
好きな人がいるなら先に結婚してもいいよ、とは言われているらしい。
しかしディーもまた、対外的に自分の性格を隠している身なので。
「結婚なんぞしてみろ。既存のものを使うか別に建てるかはわからないが、私は居を移すことになる。部屋は残すにしても窓は持っていけない。嫁の監視は付く。日々気が抜けないではないか」
嫁って別にお前を監視するもんじゃないよ。
とにかくディーもこの残念性格を受け入れてくれる、もしくは隠し立てせずとも平気な相手でないと困るわけだ。おちおち部屋で油断することもできないぞ、と。
「それにしても大らかだよね。王族なんだし、幼い頃から婚約者が決められていて…って感じなのかと思った」
だけど考えてみたら皇族も王族も、最近は自分で嫁を見つけてくるニュースしか聞いてない。案外フリーダムなのかな。
「基本的にはそうなのだろうな。私達の場合は少し状況が違うし、王が認めている以上、口を挟める者もいないというだけだ」
ようやく僕はケー王子の人間不審の原因に思い至る。
まさにディーが王位継承放棄を明言した件だったわ、これ。
多分当時の状況は、実はケー王子には相当酷いものだったのだろう。幼少時のトラウマだ。だからケー王子は、周りに勧められた婚約者では簡単に信用できない。
そして跡目争いが再燃しないように、わざわざ王太子より先にディーが後継ぎを残すことを急がせたりもしない。
本人達にその気もなくとも、勝手に盛り上がりそうな感じの人が実際にいるんだろう。それを警戒してるんだ。
「大変だねぇ」
何て言ってあげたらいいかわからなかったので、万感の思いを込めてそう言うに留めた。眉根の皺をなくして笑ったディーを見るに、僕の思いは通じたようだ。
「あれ、だけどなんで僕の参加が必要なのかはわからないし、ケー王子の感謝の理由もわからないままだよね」
ディーは、笑顔のままゆっくりと僕から目を逸らした。
「…ちょっと」
何。何だよ。怖いじゃないか。
ディーの襟元を掴んでがくがくと揺さぶろうとしたが、この細マッチョ野郎、少しも立ち位置を揺るがすことができない。
「大丈夫だ、大したことではない。異世界人だということを伝えてもいない。ただ、身分に関係のない態度を許した他国の友人だと伝えている。私、つまり王族に対するマサヒロの砕けきった態度に興味を持った姫が、自分も話してみたいと言っただけだ」
襟で擦れた僕の手が赤くなっただけだったので、何食わぬ顔でディーを解放する。手が痛い。無駄なダメージ。
「成程ね。お忍びしたいお姫様だもんね。下々の生活にでも興味があるってわけだ」
王族公認の庶民がうろうろしていれば、捕まえて話も聞いてみたいのだろう。
「で、ケー王子は何」
「…マサヒロと話すことを条件に、角が立たないよう向こうから上手く縁談を断ってくれることになっている。実は、少し面倒な相手からの紹介だったのだ」
「…それ、僕が失敗しても大丈夫なの?」
「ああ。マサヒロの人となりについては十分に説明してある」
それはそれで失礼な話ではなかろうか。
お姫様に対する好感度をダダ下がりにしながら、僕は用意された服を振り向いた。
うーん。全部、キラキラ過剰気味の白い上下。
白ズボンかよ。
パンツ透けちゃわないかな。今日の僕は派手めのボクサーなんだが…。
ちらりとディーを見る。
王子コスプレ。彼が着るなら何も問題ないのにね。
「安心しろ、寸法は合っているはずだ。これと同じだ」
「なぜか最近見かけなかったズボンじゃないか! いつ持ってった!」
「いつだか、マサヒロの部屋に畳んで積まれた洗濯物があってな。さすがに汚れ物では触る気になれないので」
「持ってく何の理由にもならない! あと、サイズの心配してディーを見たんじゃないよ!」
全くもう。何かの際には城の中でも僕を使うために、こっちの服を用意しようとしてたってことなのかな。計画的犯行だったんだろうか。
「マサヒロが城下へ出るときの服をこちらに置いておけば、サイズを測るのに問題などなかったのだぞ」
「嫌だよ、脱ぎたてホカホカを人んちに置いていくとか」
大体、あれはくれた服じゃないか。くれたものは持ち帰るわ。
とりあえず拉致されていたズボンは後で持って帰ろう。
そして見つめるキラキラ白上下。…衣装に着られる図しか思い浮かばない。
拒否に傾く己の心のバランスを、得意の妄想力で何とか補う。
大丈夫。これはコスプレじゃなくて、宴会の出し物。演目、王子と姫のお茶会。
カボチャパンツに白タイツじゃなかっただけ、いい役。巻き巻きカツラとかかぶらなくていいんだよ、いけるいける。
「では、何を心配した?」
「うん。パンツ派手なんで、透けるかなーって」
ぶふっと横を向いてディーが吹き出した。
「…心配するほど派手なのか?」
「グラデーションの青地に、赤と黒の金魚ついてる、いっぱい」
ヒューゼルトが嫌そうな顔をしている。
「ほら、勝負パンツってヤツだよ」
ディーは机に縋り付くように、床とお友達になった。声を出さずに笑っている。
本当は別に勝負パンツじゃないよ。僕の下着の中では、お高い方だけどね。