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人には得手不得手がある。



 どこからともなく響く怪しげな呪詛。

 ぶつぶつと繰り返されるそれは、王子の表情を引き攣らせるに十分であった。

「…スキ…キライ…スキ…」

「スキ、キライ、スキ、キライ…」

「あ、ディー。遅かったね。さぁさぁ、その辺座ってディーもむしりなよ、遠慮せずに」

 魔道具職人達はノックもせずに「邪魔するぞ」と入ってきた王子と護衛に気づいていない。

 僕を先触れに出したからといってもノックはすべきだと思う。あ、でも今のレディアは集中を切れさせないほうが幸せなのかもしれないな。

 何せ死んだ目をして一心不乱に花びらをむしっている。

「…これは、何事か…。いや、何となく理解した。しかし彼らは何を言っているのだ」

「うん。あれはねぇ、花占い。…だったんだけど、集中が切れてくるとピンクの袋に青突っ込んだりしちゃうから。ピンク、青、とか言いながらやってても、なぜか青って言いながらピンクむしってたりするじゃん。どうせ交互にやるだけなんだったら、色を言うよりこっちのほうがテンポいいみたいでさ」

 ピンク、青と言っていたのだ、始めは。でも案外ピンクって言いづらい。

 意識が曖昧になってきた僕がスキ、キライに変えてみたところメトロノームの如く一定リズムでできたので、彼らも真似し始めたということ。

 ちなみに僕はもう花占いには飽きて、今は青青青、ピンクピンクピンク、みたいな間抜きむしりにチャレンジしている。

「お姫様のお相手は終わったの?」

「ああ。しかし一人で出歩くのは感心しないぞ、マサヒロ」

「ご冗談を。僕を害して得のある人間などいない」

 一般市民は護衛などつけずに出歩くものですよ、王子様。

 ディーは腑に落ちない顔をしている。

 腕っ節が弱いから心配してるんだろうけど、正直お前と一緒にいるほうが危なくないかな。

 警備兵の努力で治安が悪くないなら、目立たぬ村人Aが暴漢に出会う確率は低いはずだ。

 むしろ王子と同行して暗殺者が出るけど護衛兵がついてるから無事ってのは、安全って言えるのだろうか。

「あぁっ、殿下。気がつかずに申し訳ございません」

 レディアがディーの存在に気がついた。

 勝手にヒューゼルトが椅子を用意し、ギルガゼートがお茶を入れにキッチンへ向かう。

 もはや誰の家だかわかったものではない。



 お茶を飲む間は休憩となった。レディアは少しうずうずしていたが、きちんと休憩を取ったほうが効率は上がるものだよと伝えると頷いた。実際に効率がどうなるのかは知らない。

 VDT作業には目を休める時間が推奨されているらしいので、この『ヴァカみたいな量のデリケートな花びらをテでむしる作業』にも積極的に休息を導入していくべきだと思う。

 休みすぎると終わらないのが悩ましいところ。

「ねぇ、ヒューゼルトも結構得意そうじゃない? こういう地道なこと」

 護衛兵は眉をひそめたが否定の言葉は吐かなかった。

 レディアに遠慮したのかな。

「私には向かないと思う」

 ディーの言葉に僕以外の全員が「殿下はそんなことをしなくてもいい」という旨の台詞を口にする。

 しかし僕は、決してそんなことは言わない。

「僕もディーには向いてないと思う。残念だったね、ディー。挑む間もなく僕に負けちゃって」

「…何…?」

「僕、超早いんだよ、むしるの。そして今日は泊り込んでむしる。今夜は3人で楽しくむしる」

「何だと? あ、明日また来れば良いのではないか」

「往復する時間がもったいないよ。お前、見てないもんね。牧草ロールくらいの高さあったよ。まぁ、ディーはまた明日来れば良いのではないか?」

 僕はレディアとギルガゼートとお泊まりするんだぁ。

 決して嬉しい事態ではないのに、殊更に自慢げにそんなことを言ってみる。

 ディーはぎりっと歯を食いしばるとヒューゼルトを睨んだ。

「私も今日はここに泊まる」

 釣れた。

「いけません、殿下」

 そして即行で駄目出しされた。

「そうだな」

 渋々ながらもあっけなく納得。

 大変に悔しそうなディーであるが、王子様が突然スラムに泊まるとか僕も無理だと思うよ。

「マサヒロ、牧草ロールとはなんですか?」

 ギルガゼートが不思議そうに尋ねてきた。

 そうだよね、異世界ではわざわざ牧草巻かないよね。

「家畜の餌かな」

 うん。ごめんね、あんまり僕も詳しいことは知らぬ。

 ギルガゼートが一旦「こんなにある」って見せてくれたときに部屋がすごい草刈りのあとのニオイになったから、何となく思い出しただけなんだ。

 ところで花びらしか使わないなら、むしり終わった花の真ん中とか茎とかのゴミもすごい量出るよね。どうするんだろう。

 ビニールはないし、指定ゴミ袋もないよね。でも高価なアイテム袋ごと燃やすような金持ちはいない。

 そんなもんは野原に捨てて来いってなるのか、一応は燃えるゴミとして集積されるのか。

 燃えるゴミかな、生の草。

 隣町なんてついこの間まで生ゴミが燃えないゴミ扱いだったな。

 確か焼却炉の温度が高くないと燃やせないものが多かったりするんだよね。お高い焼却炉が買える自治体かどうか…ゴミの処理も金次第なんだ。

 異世界なら魔法があるし、結構駄目なものなんてなく燃やせそう、高火力で。

 唐突に気になる城下のゴミ事情と分別区分。

 だけど考え込みかける僕を見る、周囲の目が痛い。しかし。そんなに見られても牧草ロールの説明はせぬ。

「えっとね、とにかく花が1.5メートルくらい積んであったよってことが言いたかったんだ。ギルガゼートが埋まるくらいある」

「何だと…事実か?」

「…それはまた、すごい量を調達したな、レディア」

「申し訳ありません…少し事情が…。ヒューゼルトも手伝ってくださると大変に助かります…」

 レディアの声は切実だ。

 だって彼女は、パニックに陥って僕に電話をかけてきたあの日から、ずっとむしっている。ピンクと青がゲシュタルト崩壊しているのだ。

 納期もあるのに本業の魔道具作りには手をつけられていないらしい。花は魔法とアイテム袋で低温貯蔵しているものの、カサカサのドライフラワーになってしまえば素材としてはもう役に立たないのだとか。

「さて、マサヒロ…そろそろ再開するのだろう?」

 ディーがおもむろに僕に手を差し出した。

 首を傾げる周囲と違い、僕はにやりと口元を歪める。

「するけど、ディーはいいよ? 苦手そう、だもんね?」

「馬鹿を言うな、お前に出来て私に出来ないはずがない」

「そうかな。うーん。じゃあ、勝負だディー!」

「望むところだ!」

 そうして僕らはむしり続けた。

 終わらない草の向こう。まだ見ぬ茎の果てを目指して。



 ちなみにディーは、5分で飽きた。


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