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セーデンキィ・コンバーター



「…マサヒロ、大丈夫か?」

 大丈夫じゃありません。

 がっくりと項垂れる僕を、ディーは不思議そうに見ている。

 やっちまったのだ。またしても。

「エアリーディングスキルが欲しいぃ…」

「だから、一体どうしたというのだ。愚痴くらい聞いてやるぞ」

 親切で言ってますよ~、みたいな言葉だが、その碧眼にあるのは完全なる興味の色だけだ。

 しかしながら疲れきった僕は、傷心の胸の内を語ることにした。

 本日は平日。そう、話は就業時間まで遡る。

 乾燥が激しくなってきた昨今。お安いポリエステル素材の溢れるこの時代に。

 …帯電体質の僕。

「会社が乾燥してるのか、すんごいんだよね、静電気がバッチバチでさ。効いてるんだか効いてないんだかわからない除去アイテムも、今年はついつい買うの忘れちゃってて。だから会社であんまり人と接触しないように気をつけてはいたんだけど、ついうっかり…うっかりお局様に…」

 書類を渡してしまったのだ。たった一枚の紙を、指先が触れ合う感じで。

 案の定、静電気はバチリとすごい音を立てた。

 そしてお局様は「やぁん!」と悲鳴を上げたのだ。周囲は戦慄と共に騒然とした。

「いっつも周りの女の子をいびってるようなお局様だよ? まさかそんな声出すと思わないじゃない。あまりのギャップに笑っちゃうのは仕方ないじゃないか…」

「…ふむ。それで、笑って怒らせたのか?」

「ううん。何も考えずに、うっかり口を滑らしちゃったんだ」

 今にも文句を言わんと睨みつけてきたお局様に向かって。

 笑いに気を取られて、そのお怒りをものの見事にスルーした僕は、満面の笑みで「ははっ、可愛い(悲鳴)ですね」と。

「お局様が「えっ」とか言うから、慌てて謝ったさ。「あ、すみません、生意気でしたよね」と」

 …ざわついていたはずの周囲は一瞬で静まり返り、僕はようやく言葉の不足に気がついた。

「でもそこで「いや、いつもヒステリックなあなたの悲鳴が可愛すぎて笑っちゃったんですよ」なんて内情をわざわざ言えるわけないじゃない?」

 そうしたらものの見事に周囲から心配されたよね、お前熟女好きなの!?って。

 違いますから。イビリストなお局様とオフィスラブとかしませんから。

「それでもまだ、そこまでなら笑い話でいられたんだ」

 悪いことには悪いことが重なる。僕は更にやらかした。

 給湯室で、頬を引きつらせる同僚が「しっかしあの人相手に可愛いなんて、よく言ったよな」なんて言うもんだから。

「もっと言葉を選べば良かったんだ。なのに僕はそこでも「気がついたら口から出ちゃってたんだよ。だって言い方も可愛かったじゃない? ギャップに(腹筋が)やられるよね」なんて答えてさ…もちろん同僚はわかってくれてたよ、僕の表情とか腹筋を押さえたままの様とかで」

 気をつけなきゃいけなかったのは、背後だ。

 あっという顔をした同僚の意図に、あの時気がついてさえいれば。

「…いたんだよね、お局様。後ろに」

 その後、いつもツンケンしているお局様が、妙に僕にだけ優しくなってしまった。

 全然好みとかじゃないんで。本当に誤解なんで。

「僕は決めたよ。今週末はレディアの写真を撮りに行く。そして携帯の待ち受けにして、来週からの昼休みには、これ見よがしに机に忘れておいたりするんだ」

 レディアが渋ったら拝み倒す準備は万端だ。

 恋人だとか言う嘘はつかない。訊かれた場合にだけ、最近仲良くしている女の子だと答える。誰か一人見ればいい、レディアは可愛いので噂は簡単に広がるだろう。

 彼女なら絶対にこちらの知り合いとはかち合わないから、どんな誤報があっても問題ない。

「それはそれで、職場でのマサヒロの立場が悪くなるのではないか? 女性関係にだらしがないような目で見られてしまうぞ」

「立場なんて。お局様が本気になる前に手を打たないと、外堀から埋められてしまう。僕が空気を読めないのは今に始まったことじゃないんだから、もう読まないまま押し通すよ」

 僕は窓際であっても在籍し続けなければいけないのだ、給料のために。何が起きてもお局様ごときのために辞められはしないのだから、読めなかった今回の空気は諦めてとことんまで読まないべき。柾宏先生の次回のエアリードにご期待下さい。

 闘志を燃やす僕に、ディーは小さく首を傾げて問いかけた。

「ふむ。ところで、セーデンキィは…」

「待って、今、発音おかしくなかった!?」

「お、おかしくなどないぞ。完璧にマサヒロと同じ発音だった」

「そうかな!?」

 むしろ僕と同じ発音ということは翻訳されてないんじゃないかな。日本語発音ってことじゃないか。

 い、いや、落ち着け。もしや静電気を示す単語が異世界には存在しないのかもしれない。「何かバチッとするやつ」とかそういう言い回しなのかも。

 きちんと理解してから発声すれば、翻訳される可能性はある。

「ディー、ちょっと。知ってるよね、乾燥してると起こりやすい、触るとバチッてなるやつだよ。じゃあ、もっかい言ってみて、静電気」

「セーデンキィ」

「はい、アウト! 異世界の静電気、どこ行っちゃったんだよ!」

 本当に翻訳が仕事してない。

 残念、これはシナモンと同様の事態と判断だ。

 ええー。でも、静電気だろう? 存在があるとかないとか、そんなわけないじゃんね…。

 あれ、そういえば、うちでディーとバチッてなったことないな。ディーは帯電体質じゃないのか。同調者であっても、体質が同じじゃなくたって不思議はないけど。

「ディー、ちょっと。手ぇ出して、触りそうで触らない感じで」

 小首を傾げたディーが、言われるがままに手だけ窓を越えてくる。

 知らないとか言い張るなら体験させてやればいいだけだ。

 僕はポリエステル満載の服を、手近な毛糸の手袋で擦った。モヤッとパチッとしてきたら帯電完了だ。

 車の取っ手に触れようとして青い火花を散らし、友人に「バルス!」と叫ばれた僕の本領を見るがいい。

「…あれ?」

 これ以上ないくらいバチッとする要素を重ねて挑んだのに、触れた指先には何の衝撃もない。

 それどころか、ディーは眉を寄せてこんなことを言った。

「マサヒロ、お前、今何をした? 魔力が回復したぞ」

 …僕らの間に、しばしの沈黙が流れる。

「はい?」

 お前は何を言っているのか。

 僕が出したのは静電気であって魔力ではない。というか、僕に魔力がないと言ったのはディーなのですが。

「…ええと。ちょっと待ってね」

 まさか異世界の魔力の正体は静電気なのだろうか。いやいや、それなら帯電体質の僕は魔力の宝庫だし、そもそもバチッとしないで回復したよー、なんておかしくないか?

 その辺の静電気を吸収して魔力に変換するのかな。時間経過でMPが回復するってそういうこと?

 だとしたら、やっぱりディーには魔臓みたいな変換用の謎臓器があるのでは…。

 考え込みながら、僕は部屋の一角にある棚へと向かって歩く。学生時代に使っていたルーズリーフの残りなんかが入っている棚だ。

 目当てのものを取り出して、窓辺へと戻る。

「…何だ、それは?」

「下敷き」

 ぽよぽよん、と音を立てて湾曲させたそれを、ディーは興味深そうに見ている。

「それをどうすると…何…?」

 徐に下敷きを頭に載せて左右にシャカシャカ。…ディーは表情を全く変えずに、じっとそんな僕を見つめている。いつも思うのだが、ディーは状況の受け入れ方が大らか過ぎて、こっちが驚く。

「…すごいな。逆立っているぞ」

「こっちの世界では、大抵の人は子供の頃にこの遊びを済ませているよ」

 適当なことを言いながら、僕はパリパリいう下敷きを頭上に持ち上げる。

「はい、じゃあディーはこの隙間に手を通してみて下さい」

「うむ」

 下敷きと頭の間をディーの手が通り抜けると…なんということでしょう。もあもあと毛羽立っていた戦闘民族のような髪が、匠の手によってサラサラに生まれ変わったではありませんか。

「…マサヒロ」

「魔力、回復した?」

「うむ。魔力小回復薬を使用した程度に回復したように感じる。一体なぜだ?」

「僕が知るわけないよね」

 これ、1吸収100円とかで商売したら稼げるんじゃないかな。痛みもなく、目に見えて静電気が取れるんだ。世の帯電体質の方々が大喜びだよ。

 異世界人も魔力が回復して、win-winの関係ってヤツじゃない?

 しっかし静電気が魔力と置換可能とか…ロマンの欠片もないな、ディーの世界…。



 その後、僕の静電気はレディアの技術によって魔石に溜められるようになり、マロックの研究対象となり、ディーの非常用回復資材扱いとなった。

 異世界産の静電気除去リングはすこぶる快調であり、市販の気休め程度の静電気除去用品なんて使えなくなってしまった。

 …ただ、なぜだかこれは前述したようなwin-winの関係だと思えなくて…。

 何だか僕は魔石が交換されるたびに、搾取される牛か鶏の気分を味わっている。

 別に静電気、惜しくもないんだけどな。…なんでなんだろう…。


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