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魔王に覚醒された。



 誰も動けなかった。

 それくらい素早かったのか、或いは空間魔法が使われていたのかはわからない。

 僕はただ、呆然と自分の腹を見つめる。

 剣が…鍔近くまでめり込んでるんですけど…。

 …うわー、引くわー…。



*-*-*-*-*-*-*-*-*-*



 魔王の覚醒はものすごく唐突だった。

 フライドチキンを食べて楽しく時を過ごして。

 僕が何と言って切り出そうかなんて考えているうちに、トワコさんは自分で気が付いてしまったのだ。


 二度と食べられないと思っていたチキンが、ここにある。

 異国の吟遊詩人の噂を聞いてからは、結構な日数が経っている。

 チキンは美味い。


 その二つの事実だけで、十分だということ。

 あれ? 今なんか一つ多かったな。


「マサヒロさん…」

 チキンパワーだろうか、フルネームを名乗った後は日本人らしく名字で呼ばれていたのに、なぜか名前呼びに昇格している。もちろん、僕からは、和栗ちゃんとは呼びませんけどね。

「マサヒロさんは、日本と行き来できるんですか…?」

 呆然としたように問いかけてきた言葉は日本語で、リルクス君には理解できない。

 だから、引き金は僕の言葉だった。

「うん。僕とディーの部屋の窓が繋がってるからね。日本に帰りたいなら僕の家経由になるけど帰してあげられるし、誰かに手紙を書いたらポストに投函してあげるくらいはできるよ」

 息を飲んだトワコさん。

 そして、僕の目の前に現れたリルクス君。

 前というか、ものすごい近くというか。

 トワコさんに向いて少し斜めに下げた椅子に座った僕と、テーブルの間。

 そんな狭いところによく入れましたね。

 ただ、その手に握られて見えるのが明らかに柄部分でしたので、僕は嫌々その先を確認するに至る。

 …あー。何度見ても、引くわー…。

「リルクス!」

 トワコさんが悲鳴を上げ、惨劇の予感に全員が立ち上がった。

 周囲の視線を完全に独り占めだが、全く嬉しくないな。

「大丈夫か、マサヒロ」

 少し硬い声でディーが問う。

 いや、まだあわわるような、あわ、あわれるような、…うん、ダメだ、実は結構慌てているな。

 大丈夫、大丈夫。僕らは魔王に備えてきたのだ。

 ディー出資考案、レディア&ギルガゼート製作でね。僕は完全なる消費者ですとも。

「うん。なんかね、順調らしいよ? 腰から刃が飛び出してるけど、痛くもかゆくもないぜ!」

 サムズアップと共にディーに返す。そんな僕の声もイマイチ硬い。当たり前だ、腹にめり込んだ剣が、突き抜けて腰から出てんだ。心の中はかなりおかしなテンションだよ。座ってて良かったよな、立ってたらコレ、完全に生まれたての小鹿コースだよ。なんせ実は今、腰抜けてるもんね! イヤッホゥ!

 そんなことなど知らない味方異世界チームの面々は、血の一滴も出ずに平然とした僕の様子に安堵の息を漏らした。

 対照的に冷静なリルクス君が、僕の目を見る。

「なぜだ」

 なぜ死なないのかってか。

 好戦的人種、マジ怖いです。説明なんかしたら防御の穴を探してもう一回刺されそうだから、絶対に種明かしなんてしてやらない。むしろ説教してくれるわ。

「リルクス君は彼女の前で狼藉に及ぶことの危険をもっとよく理解して下さい。僕ら日本人は荒事に免疫のない人間が大半だよ。下手をすると惨殺を目にしたトワコさんは一生のトラウマになって、毎晩のように僕が殺される夢を見続ける可能性すらあったんだよ」

 PTSDである。切った張ったに馴染みのない一般人を、異世界マッチョどもと一緒にしないでほしいのだ。

 僕はあえて笑顔でトワコさんに片手を振って見せる。

「大丈夫だから、座って?」

「でもっ…」

「リルクス君が襲い掛かってくる可能性は聞いてたから大丈夫。その上で、トワコさんに会うのを承諾したんだ」

 意外とリルクス君も混乱しているのだろうか。

 こんな狭い場所にまだいる。

 近すぎるんで、そろそろ離れてもらえませんかね。

「トワコさんは、帰りたい? もちろん、帰って用事を済ませた後にまた来ることだってできるよ」

 リルクス君が初めて驚愕の表情を見せた。どうやら、その発想はなかったようだ。

 カップル引き裂き魔じゃありませんよ、だから敵じゃないとそろそろ判れ。

 トワコさんは困った顔でしばらく口をぱくぱくさせていた。

 やがて、異世界言語で言葉を紡ぐ。

「一度、家、私大丈夫、知らせる、帰る」

 大きく振り向いたリルクス君に、「でもっ!」と日本語を投げつけて。

「また、リルクス、一緒住む。…リルクス、嫌?」

「ルカ!」

 リルクス君は僕の前から消えて、トワコさんにハグしている。

 片言、とても、わかりにくいデス。

「一度無事を知らせに日本に戻るけど、またリルクス君の家に戻って来たいということでいいのかな」

「は、はい! あわぁ、リ、リルクス離して、こらっ」

 しかし日本語なのでリルクス君には通じない。

 剣を刺されるよりも害がないので、リルクス君には是非ともそのままトワコさんを抱きしめていてほしい。

「ねぇ、ルカっていうのは何だい?」

「ディーニアルデ、殺す。今すぐと後でとどちらがいい?」

「なんで! えぇと、ほら、トワコが悪夢を見るからダメだって言われてたよね、リルクス!」

「見えないところで殺す」

「リルクスまで敵になったら、こんな可愛い犬の命は本当に風前の灯なんだよ!?」

 表情が変わらないまま無遠慮に殺害予告をかましたリルクス君に、犬耳王子が悲鳴を上げて獣化し、可愛さをアピールする。しかし懐柔効果はあまりないようだ。

 いつものことなのか、気にしない様子のトワコさんが頬を染めて説明してくれた。

「リルクスがつけてくれたんです。こっちでは栗のことをトルカっていうらしくて…話の流れで和栗って名前が嫌いだって言ったら、じゃあ、こっちから取ってルカって呼ぼうかって。マサヒロさんにはさっき名前の話しちゃったんですけど、どうせこっちでも普段はトワコって名乗るので、他の人には教えてないんです」

 リルクス君にとっては『俺だけの呼び名』なわけですね。案外、乙女思考なんだな…。

 トワコさんのあの片言と、無表情でさして言葉も上手くなさそうなリルクス君とで、本当にそんな話になっていたのだろうか。状況が想像できない。

 ちょっとドリーム補正が入っている気がしないでもないが、まぁ両想いなのは確かなんだし、僕には関係ないからいいか。



 トワコさんは一度、自宅に手紙を書くことになった。

 リルクス君がレディアに届けたら、マロック経由でディーに渡し、僕が切手を貼って投函する。バケツリレーみたいだ。

「本当にこのクソみたいな名前で悪目立ちして、からかわれたり苛められたりストーカーがついたり、散々でした。向こうに未練はありません。でも、実は母親はとっくに離婚しておりまして、昔は…だった父も今では落ち着きました。3年前、父は別の女性と再婚するところだったんです。賛成していたはずの私が失踪したことが、お嫁さんとの関係に響いたりしてないか…それだけが心配なんです」

 携帯モドキに涙したり、フライドチキンに我を忘れるほど大喜びした彼女は、しかしそんなことを語った。

 リルクス君を挟んでトワコさんとの距離を取らされている犬耳王子が、もしも同居人だったのなら…彼女の心も帰郷一択だったことだろう。

 僕はちょいと指先を揺らしてリルクス君の注意を引き、側に寄りたくない心を抑えて、耳打ちすることにした。

「レディアは翻訳の魔道具を作れるよ。相談してみたら? あんまり小さいものはダメらしいけど、何かいつも身につけていられるアクセサリーの形で翻訳の魔道具をあげたら、今後はもっと意志の疎通が楽になるんじゃない?」

 リルクス君は、じっと僕を見た。視線で会話するほど仲良くないので、何度もやらないでほしい。

「何さ」

「…翻訳の魔道具を使っていたのか。トワコにも不都合のないデザインだろうか。ちょっと今出してみないか」

「えぇと、僕のは男らしいデザインだよ。あげないよ。そもそも他の男のお下がりなんかより、ちゃんと似合うアクセサリーを考えてプレゼントするほうが喜ばれるんじゃないの。ああ、ほら、これから改めて一緒に暮らすなら、記念的な意味でもいいと思うけどね」

 強奪されるのではないかと怯えた僕は、何食わぬ顔を取り繕って、新品プレゼント案をメッチャ推しておいた。

 チラッとトワコさんに目線を流したリルクス君は「そうする」と小さく頷いた。

 良かったね。これで今後甘い会話になっても「リルクス、肉、食べる」みたいな片言じゃないんだと思うと、なぜか僕も安心です。



*-*-*-*-*-*-*-*-*-*



 リルクス君は、トワコさんとディーニアルデ王子を連れて去っていった。

 今までリルクス君がスオウルードに来たことがなかったので転移が使えず、今回は二人で旅をしてきたようだが、今後は気軽にヒョイヒョイ来れるらしい。

「しかし、あの肉を土産に持たせてしまったのは残念だったな」

「もっと食べたかったですわ…夢に見そうです」

 食いしん坊達がフライドチキンへの未練を断ち切れないでいるので、僕は提案した。

「実は足りるか足りないかわからないからと思って、もう一つパーティーチキンを買ってきてあるんだけど」

「「「「!」」」」

「皆があえて目線を外している、この剣を抜いてくれたら出してあげてもいい」

 僕の腹には、リルクス君の剣が刺さりっぱなしだ。

 怖いから、自分で抜けない。下手に触って、痛くなったらどうしていいかわからない。

「しかしまた凄い魔道具を作り出したものだな。魔石は足りたのか?」

「はい、殿下。それに今回の魔道具はほとんどギルガゼートが一人で作ったのですわ。空間魔法使いがどのような手段に出るかわかりませんでしたし、既存の防御の魔道具はそれを持つ本人が必要なタイミングで発動させないと効果を発揮しないのですもの。そもそも自分の魔力を通して使うものですからマサヒロ様には使えませんでしたし」

「お前もすっかり一人前の魔道具職人だな、ギルガゼート。お手柄だったぞ。これも空間魔法なのか?」

「いえ、まだまだです。今回は『鋭すぎる』『固すぎる』『重すぎる』『熱すぎる』とか、そういう命に関わるような『危険すぎる』ものが範囲に入った場合、マサヒロの身体分の空間を歪めて通りぬけるようにしました。うまくいってよかったですけど、まだ、完璧にはできていなくて…」

 バツが悪そうにしゅんとするギルガゼートを、しかし周囲は温かい目で見ている。

 あれ、完璧じゃないから皆、剣を抜いてくれないのだろうか。慌てて僕も声を上げる。

「そうなの!? それって、この剣を抜くときの注意とか、そういうのと関係あるの!?」

「ないです。ただ、今回はマサヒロより一回り大きいくらいで効果範囲を設定しているんです。だから効果範囲を潜り抜けてから害を加えるようなものにはまだ対応できてないんですよ。たとえば、炎の攻撃魔法は『いきおい、炎の大きさが危険』として背後へ通り抜けますが、油をかけられてからマッチを落とされたりすると『無害な油と、少し火傷する程度の火』となり、結果丸焼けになろうとも防げません」

「えげつない! じわじわ苦しむ方法だけ残されてる!」


 剣はヒューゼルトが抜いてくれました。



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