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食べたく、なるなる。



 レディアの家に、僕らは集った。

 ディー、ヒューゼルト、犬耳王子、僕。

 レディア、ギルガゼート。

 そしてリルクス君にトワコさんだ。

 …結構、狭いな。

 ちなみにヒューゼルトが城から、皆の分の椅子持参で来ております。足りないから。

 空間魔法を付与した袋から椅子が次々と取り出される様は、どう見てもマジックショーだった。

「ディーエシルトーラ王子、そろそろ離してくれないかな?」

「動くな。お座り以外の姿勢は許さん」

 僕の隣では、ディーにものすごく引き綱を短く持たれた犬耳王子が小さく抗議している。

 魔道具でも何でもない綱なので、人型に戻ったら首がキュッといくため、犬耳王子は当社比でいつもより大人しい。

 王子同士であってもそろそろ外交問題だと僕は思う。

 ディーが残念な性格を隠そうと気を張りすぎた結果、逆に対応が穴だらけになっているのだ。これではただのドS王子である。

「ディーニアルデ、本当にいたんだ。そちらで捕獲しておいてもらえるなら助かるな」

「え、感想それだけとか冷たくない? リルクス、冷たくない?」

「俺はいつもこんなものだと思う。…トワコはディーニアルデに近づかないように」

「はい。皆さん、今日、ありがとうございます」

 トワコさんはこちらにぺこりとお辞儀した後は、犬耳王子を警戒してリルクス君の背後に立っている。

 ちょっと、犬耳。なんか嫌われてるよ。

 犬耳王子が前に出ていては会話が進まないと判断した僕は、一歩前に出た。

 リルクス君が、トワコさんを庇いつつ一歩下がった。

 …残念だが、僕も警戒対象のようだ。

「じゃあ、とりあえず席についてくれるかな。あっちのお誕生会席がディー、床の犬を挟んでそっちからヒューゼルト、レディア、折り返してトワコさん、リルクス君、ギルガゼート、僕で行こうと思うよ」

「どうして僕だけ床なの…」

「この位置ならば伏せも許可する。しかし万一私とヒューゼルトの間から脱走した場合、先程持ち運んで来た袋に詰める」

「結構怖かったんだよ、アレ! 揺れるし暗いし息苦しいし!」

「帰りは友人だというリルクスに引き渡すので、袋が必要かどうかはそちらと相談しろ」

 犬耳王子は、じっとリルクス君を見つめた。

 うるうるした目にも怯む様子はなく、淡々とした声は「魔法で帰るから袋はなくて構わない…です」と告げた。犬耳王子、勝訴である。そしてリルクス君が、意外とディーには敬語だったという。

「俺に異論はないが一応聞いておきたい。この配席の基準は何だ?」

「リルクス君が超警戒みたいだから、トワコさん連れて逃げやすいドアの近くだよ。あと、レディアは女の子同士近くのほうがいいかなってのと、僕がリルクス君の隣に座るのが嫌だから、同じ空間魔法使いのギルガゼートに守ってもらうためにワンクッションだよ」

 僕のうっかり失言をスルーして、リルクス君の興味がギルガゼートを捕らえた。

 ギルガゼートは唇を引き結んでいる。

「ルドルフェリアで見た記憶がない…お前はこの中の誰かの奴隷なのか?」

「違います。奴隷商に捕まってたところをマサヒロが助けてくれて、ここで働けるようにしてくれたから」

「そうか。トワコの前で皆殺しにせず済んで良かった。親はどうしているんだ?」

「…親…、いません。でも、みんなに良くしてもらってます。お給料もいいし、ご飯もおいしい」

 皆殺しと聞いた途端、ギルガゼートが言葉を選んでいる。

 複雑な気持ちを抱いているようなのに、リルクス君の隣に配置したのは失敗だったかな。

 だけど、僕も魔王の隣は嫌だな。

「ギルガゼートは先祖返りだから、リルクス君の故郷では会ってないと思うよ」

 リルクス君の視線が僕に移った。圧迫感から解放されたのか、ギルガゼートが小さく息をつく。

「空間魔法を、あんまりそれっぽくない使い方で魔道具に付与してもらってるんだ。ほら、貸し出してた携帯電話とか」

「…あれは、魔法なんですか?」

 驚いた顔でトワコさんが言った。

 リルクス君が眉を寄せて、僕は違和感に気づく。

 はじめの挨拶…トワコさんはこっちの言葉を片言で喋っていたんだ。今は日本語だから、リルクス君には理解できなかったのだろう。

「うん。音だけ空間を繋げてるんだよ。電波とか仕組みとか説明できないしさ」

 その間に身振り手振りで皆を着席させる。

 ついでにモドキを返却してもらった。見たところ壊れてはいないようだ。

「今日はリルクス君とトワコさんとの交流パーティーだし、お肉を用意してみました」

 という建前です。

 本音?

 もちろん『懐柔策として、肉を食わせる会』だよ。

 異世界人でも日本人でも関係ない。この肉の前では誰もが平等だ。こいつを前にして、負の感情を持ち続けることなど出来はしない。

「…ま、まさか、それは!」

 悲鳴染みたトワコさんの声。

 レッグバッグの口の大きさを無視して出てきたのは、白と赤の紙バケツ。

 存在感と共に放つのは、猛烈に腹を減らす匂い。

 香辛料が貴重なこの世界で、そう、この秘伝のスパイスに勝てる人間が存在するとは思えない。

「じゃーん。バーレル・サンダーさんのパーティーチキンです」

「ああぁぁぁっ。嘘ぉ、絶対もう二度と食べられないと思ってたぁ!」

「食べれるよー。食べたい人はこちらへどうぞー」

 はいはいっ、とトワコさんは我を忘れて詰め寄ってきた。

 リルクス君が彼女の腕を掴んでいるが、大した抑止力にはなっていない。

 レディアは小声で「美味しい匂いが!」とギルガゼートと頷き合い、ディーも青い目をキラキラさせている。

 ヒューゼルトは…食べ物を持ち込むことを話していなかったので渋い顔をしている。すっげぇ不機嫌そうだ。

 しかし今日は味見とか無粋な真似に構っている暇はないのだ。間違えたね、毒見だった。

 トワコさんがやたらと嬉しそうなことに、リルクス君はどこか困惑げだ。

「不思議そうだね、リルクス君。しかしサンダーさんの力はこんなものではないのだよ」

「…何…?」

 秘伝のスパイスとやらには多分、我々の意識と胃袋を素直にする働きがあるのだ。

 もちろん麻薬ではない。ハーブ的な効能に違いない。

 あと、パブロフ的なアレな。僕も唾液が止まらなくなっているので早く食べたい。

 食べたいが、ここは少し我慢して、彼女が如何に素直になったかを見ていこう。

「トワコさん、改めて自己紹介しよっか。須月 柾宏、24歳です」

「はいっ、トワコ ワグリ、21歳ですっ」

 …ん?

 僕は笑顔を繕ったまま、チキンを紙皿に一つ載せた。

「ごめんね、名前がよく聞き取れなかったみたい。もう一回いいかな?」

「十和湖 和栗です。『まろん』になるところでしたが母の友人が先にマロンと付けたらしくって、「同じとかありえないし。考えたらマロンって在り来たりだし。いっそクールジャパンな和栗でいくわ。女の子の名前には昔からあぐりってのがあるの、アタシ博識。音が似てるから丁度いい、うちのベビー、温故知新」とかいうクソみたいな母親のお陰で付いたクソみたいな名前です!」

「…oh…」

 絶句する以外にない。色々と予想外で。

 しかしながらチキンに意識を乗っ取られたトワコさんは、自分の言動を深く省みる様子はない。嫌いで隠しているという珍名もスパッとぶっちゃけてしまわれた。聞けるだろうなーくらいの軽い気持ちだったのに、クソとまで言われてしまっては、聞き出して申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 ならば、ここで彼女を正気に戻すのも酷というものだろう。

「そっかぁ、大変だったね。ほらほら、座ってチキン食べなよ」

 和栗のモンブランだのパフェだのが脳内を巡る。

 いや、和栗っても名字ならばあるはずだ。名字と名前が逆転しているかのような感触だが、いっそ悪くはないかもしれない。

 しかし当初の予定でさえ『まろん』って。

 トワコ母はそんなにも栗が好きだったのだろうか。

「ありがとうございます! あっ、もう一ついただけませんか!」

「いいよいいよー」

 チキンで許してくれるならいくらでもどうぞ。

 請われるままにチキンをもう一つ紙皿に載せて渡してやる。

 トワコさんはニコニコ顔でお礼を言うと、くるりと振り返ってリルクス君に一つ差し出した。

「リルクス、肉、食べる!」

 にっこり。

 その眩しい笑顔に、リルクス君は固まった。表情は元々ないに等しいので確かな内心の変化はわからないが、思い人の笑顔だし、推して知るべし。

 片言なので何だかアマゾネスにしか思えないのだが、そんなことは決して口にしない。

 翻訳腕輪もなく、異世界ハードモードでスタートしたトワコさんが必死に覚えたであろう言葉である。

 多分リルクス君の過保護生活で他者とあまり関われず、言語能力が伸びきらなかったんだろうと予測はできるけれど、意思の疎通ができれば十分のはずだ。

 英語の教科書に出てくるエミリーさんを、授業中にマーカーで蛍光ピンクの髪に塗ったりしていた僕では、トワコさんの努力に口を挟むことはできない。

 仲睦まじくチキンを食べ始めたリア充カップルは置いておき、見慣れた異世界チームにもチキンを配ろう。

「行き渡るまで隣の人に回してね」

 紙皿に載せたチキンを、そう言ってディーの目の前に出す。

 一瞬絶句したヒューゼルトが慌ててそれを取り上げた。

「殿下に配膳させようとするな!」

「友達同士のパーティーとはこういうもんです」

 それどころか職場の飲み会でもこんなもんです。

 構わないぞ、と言いかけたディーを遮って、ヒューゼルトはさっとそれをディーの前に置いた。

「ちょっと。回してってば」

「まずは殿下だ。回してやるから次を出せ」

 毒見は諦めたのかな。

 思いながらも次のチキンを用意する。ヒューゼルトは素早く受け取って、レディアのほうへ運ぶ。

 ディーがちょっと残念そうな顔をしているので、隙を突いて僕は再び彼の前に皿を出した。

「はい、回して」

「うむ、わかった」

 意気揚々と受け取ったディー。慌てるヒューゼルト。

 そして、キラッキラ笑顔のディーに皿を差し出されて固まる、ギルガゼート。

「受け取れ」

 …まずったかな。ギルガゼート、久し振りにプルプルが止まらなくなっている。

 そして2人にナチュラルに順番を飛ばされて、落ち込んでいる犬耳王子が不憫だ。 

「ギルガゼート、ディーの腕が疲れちゃうから早く受け取ってあげて」

「あぅ、は、はいっ」

 あんなに小刻みに縦揺れするチキンを見たのは初めてだ。

「ヒューゼルト、椅子出してあげたら。犬耳王子に床で食べさせるわけにいかないだろ」

「…っ、当たり前だ!」

「急に頭上で椅子出さないでくれるかな! 可愛い犬が潰されたらどうする気なんだい、ゾワッとしたよ!」

 不憫かと思った犬耳王子は案外元気だった。キャンキャンと文句を言っている。

 それなりに和気藹々とした空気で皆は肉を食べ始めた。

 皆、笑顔である。

 …あ、いや、リルクス君だけは真顔だ。

「おかわりは各自でお願いしますよー」

 聞こえているかは知らないが、一応声掛けしておく。

 とりあえずの環境整備は成功したようだが、僕の緊張はまだ解けない。

 リルクス君が魔王と化す可能性が高いのは、トワコさんが帰ってしまうかもしれない話を切り出す時だからだ。


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