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膝を狙われる。



 犬派です。

 だから、仕方がなかったんです。

「…マサヒロ。お前は、本当に面白い。…面白いが、流石にこれはな…」

 うわー、引くわーって目で見るのをやめてくれないか、ディー。

 剣を構えたヒューゼルトは、無言かつ、絶妙に視線をずらしていた。

 ぽっふぽっふと揺れる尻尾が、僕の胸をリズミカルに叩く。

 膝上に、男が乗っているというこの苦行。

「…なんで?」

 僕の震え声に、ふっと微笑を浮かべた犬耳、の、成人男子。

「お前、さっきまで、犬だっただろおぉぉ!?」

 見知らぬ男が突然膝に乗るという事案発生!

 異世界の変態、怖い!

「弱っていたので人化が解けてしまっていたのは確かだね。だけど一応、獣人はヒト型で暮らすものなんだよ?」

「知らないよ、早く膝から下りてよ! 重いし、普通に怖い!」

「しかし懐いたので断る」

 もし、これが猫耳女子だったのなら、僕も決して嫌ではなかった。驚きはしても、恐怖に竦み上がりはしなかった。

 だけどこれはあんまりだ。犬耳男の膝乗せなど誰も得をしない。血の涙しか出ない。

 発狂した僕が勢いのままに立ち上がると、犬耳男は消え失せた。

「きゃん!」

 ぼてりと落ちて悲鳴を上げたのは、毛並みがパサパサの可哀想な感じの犬。僕は「おわぁ、ごめん!」と反射的に謝って抱き上げかける。かけるがピタリと手を止める。危ない、コイツ、本物の犬じゃなかった。

「…なぜ止めるんだい。椅子ほどの高さから転げ落ちるなんて、可哀想な犬は怪我をしてしまったかもしれない」

「いや、犬はそんな演技派の目で見てこない」

 椅子に腰を下ろし直して、喋る犬の声を全力で否定。

「恩返しをしようと思っているだけだよ?」

「ディーにするといいよ、回復魔法をかけたのはディーだから」

 きゅんきゅんと悲痛な声を上げて、上ってこようと脛を爪でカリカリしてくる犬。

 やめろ。犬好きの心を抉るのはやめろ。

 せめて犬耳男の姿でいれば容赦なく蹴り飛ばせるというのに。

 僕は必死に、哀れっぽい感じを演出してくる犬から目を逸らす。騙されるな、これは男に膝抱っこをされたいと言う変態、決して犬じゃない。

「侵入者と判断し、処分しても良いでしょうか」

「いま少し待て」

 冷静な主従の声。

 僕ははっとして犬を睨んだ。

「そうだよ、これじゃあ僕が不審者の侵入を手引きしたみたいになっちゃうじゃん。急いで捨ててこなきゃ!」

 まさか路地裏で拾った重傷の野良犬が、回復魔法を受けて目を覚ました途端にメタモルフォーゼをかましてくるなんて思わないよ。

 鶴の恩返しですら正体バレまでに、おつうさん訪問⇒「覗かないで下さい」のワンクッションがあるよ。

「ごめんね、ディー。せっかく回復魔法かけてもらったのに…なんか謎の生き物だった…」

「少々驚いたが、どうということはない。獣人は珍しいが、まぁ、これを見たことがないわけではないからな」

 そうなのか。僕は今まで普通の人間しか見たことはないはずだ。エルフも獣人も特に好みではないのであえて探すこともしなかったが、流石に見かけていれば気付いたと思う。

「言われてみれば、確かに。君は面白いね、ここは汚れた野良犬を抱いて入るような場所じゃない」

 きょろりと犬耳男が辺りを見回し、それからディーを見てにっこりと笑った。

「世話になった。ところで、しばらくここに置いてもらえない?」

 なぜだかヒューゼルトが相手を睨み付けない。

 どうしてだ。初めて僕を見たときの警戒はどこへ行った。

 混乱する僕の前で、ディーはにやりと笑った。

「野良犬ではなく、国賓扱いをお望みか? 書状などはあるか」

「…残念だけど、今身分を証明できるものは、…ご覧の通りこれしかないね」

 犬耳男は首に提げていた小さな袋から荷物を引きずり出し、そこから更に短剣を取り出した。

 ガム一粒しか入らなさそうな袋から出てきた、大きな旅用バッグ。僕は驚きに目を見開く。

 一般向けのアイテム袋はこんな極小サイズではない。

 一瞬、彼に空間魔法が使えるのかとも思ったが…ディーはルドルフェリアの空間魔法使いが獣人だなんて言っていなかった。

「小さい袋、特注品だね」

 呟いた僕に、犬耳男は曖昧な笑みを浮かべる。

「袋の大きさの話なら、獣人族にとっては既製サイズだよ」

「そうなの?」

「そうそう。こうやって首にかけておけないと、獣に戻ったときに荷物がなくなるじゃないか」

「え、でもじゃあ服はどうやって? って、やめろ、膝を狙うな、気持ち悪い!」

「きゅーんきゅーん」

「せめて犬になってから言え! 二倍気持ち悪い!」

 見ろ、この鳥肌を! 可愛い犬かと思ったら変態だったとか、衝撃以外の何物でもないわ!

 頭を抱えて唸る僕を横目に、小首を傾げたディーが言葉を発した。

「ところで瀕死で何をしに来たのだ、ディーニアルデ」

「まさかの知り合い!?」

「知らないの? 残念第二王子コンビとは僕らのことだよ」

「知らないよ!?」

「そんなことはディーニアルデしか言っていないので安心しろ。私の外交用の顔は完璧だ」

「外面良いって本当に得だよね。こんなに同じ匂いを感じるのに、未だに化けの皮が剥がせないんだ。それにしても、彼は何だい? 彼が噂の吟遊詩人?」

 すんすんと鼻を動かしながら寄ってきたので、僕は椅子を放棄してヒューゼルトの後ろへと走り込んだ。ディーが頼りにならないのなら護衛兵を使えばいいじゃない。

 そう思いながらも、第二王子コンビという名乗りからして相手は獣人の王子なのだろう。護衛兵は多分、犬耳男を斬り捨てることはない。国際問題になってしまう。

 しかし詩人とか、もうすっかり忘れていたのですが。未だにどこかに噂が残っているのですか?

 とりあえず変態に乗られた膝は丁寧に払っておいた。

 …払った手を、じっと見つめる。

 なんか嫌な気分のその手を、ヒューゼルトの背中に、べたぁ。

「なするな!」

「気持ち悪さをお裾分けしたい」

「要らん!」

 ベシッという音と共に側頭部への衝撃。脳出血しそう。わりと本気で叩かれた気がします。平手なのは優しさか。

 多分ヒューゼルトは、男を膝乗せした図から目を逸らしたのではなく、犬耳男自体から目を逸らしていたんだね…。この犬耳、どう見てもクソ真面目なヒューゼルトとは相容れない存在だもんな。

 僕とヒューゼルトの攻防の間に、王子ズは慣れた顔で話し合いを行っていた。

「お前の護衛はどこへ行った? ここまで一人で来たわけではあるまい」

「護衛部隊が丸ごと襲撃者になりました。結構長い付き合いだったのに、酷くないかな? こんなか弱い子犬様が勝てるわけないよね、屈強な兵士に囲まれて。我ながらよく逃げ切ったもんだよ」

「長い付き合いで隊ごと愛想を尽かしたのか、襲撃計画のために長いことお前の性格に耐えていたのか、判断が付きかねるな」

「本当だよね。あー、彼が君の詩人で助かったな。とりあえずしばらく厄介になるよ。疲れたから寝たいけど、お腹も空いた。あ、剣が壊れちゃったからちょうだい、ついでに鎧も。侍女は可愛いの付けてね」

 獣人王子はまるで自分の縄張りにいるかのように、食事に風呂に武器防具まで図々しく要求し出す。

 ディーはにっこりと笑った。

「出て行け」

「酷くない!?」

 鬱陶しくなって言っただけのようで、ディーは決して意地悪や食事抜きなどを実行していないようだ。


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