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胡椒長者、募集中。



 はらはらとギルガゼートの目から零れる涙。

 レディアもうっすらと潤ませた目でこちらを見る。

「ひどいです」

 耐え切れないと言うように眉を寄せ、ギルガゼートが目元に手をかけようと…

「馬鹿! やめろ!」

 目を真っ赤にしたディーが、ベシッとその手を叩き落した。

 ディーは既にその過ちを経験したのだ。

「手を洗うまでは、決して目を触るな。こんな悲劇は繰り返してはならぬ!」

 にやける口元を押さえて、僕はひっそり呟いた。

「一人バルス、お疲れ様」

 異世界は時として、僕らを惑わせる。

 翻訳できれば、見た目が似ていれば同じ物だなんていう思い込みを、粉々に打ち砕く。

「ぐすっ、一体なぜ…っ…」

 嗚咽を零す少年の姿は痛々しい。

「マサヒロみたいな非力な人の世界の野菜が、まさか、こんなにも攻撃的だなんてっ…」

 一言余計じゃないかな。

 だけど、こっちの世界のタマネギが目に染みないだなんて、知らなかったし。

 皆、何か悲しいことでもあったみたいになっているけれど、全力で調理中なだけです。

 キャンプといえばカレーだろ?

 …僕の言葉から始まったこの会合は、異世界人達が全員「マサヒロに嵌められた」と証言する疑心暗鬼の場となった。

 それでも、僕はやってない。

 皆が空を仰ぎ、涙を堪える光景を前にしても、なお。

 カレーさえ完成すれば、冤罪は晴れると信じている。



「コメは前線で食うようなものじゃないって言ってたもんね」

 ひょんなことから、糧食の話になった。

「そうだ。今は特に戦時ではないが、魔物の討伐やらで隊を率いることは間々ある。しかしながら、携帯食は不味いのだ。驚くほどに不味いのだ」

 不味いって二回も言ったよ。よっぽど大事なことなんだよ。

 しかしながらこの世界の人は野生的なのだから、行軍中の食料は狩りで入手するのではないのだろうか。

 そう問えば、ディーは重々しく頷く。

「うむ。狩ることもあるぞ。魔物が多い地では肉食獣が多く、正直その肉は臭みが強い。しかし臭い塩焼き肉でも、携帯食よりまだマシだからな」

 おい、携帯食…もっと頑張れよ…。

 職場で、そろそろ賞味期限切れになる非常食が配られたとき、乾パンを貰った。特に嫌いではなかったな。ああいう食べ物なんじゃないの?

 そう思いながらも僕は興味津々で話を聞く。

 軍用食料ならただの非常食じゃなくて、ミリメシってヤツでしょう。食べたことはないけど、一時よく耳にした。美味しかったら災害に備えて買ってみたいと思いつつ、お高くてなかなか手が出ないのが長期保存食料というものだ。

 ちなみに僕の部屋には一切の非常用品がないので、何かあったら普通に死ぬ。まさに平和ボケの見本。

 でもやっぱり、手回しラジオ付き懐中電灯買う金があるなら、本とおやつを買っちゃうな!

「今のところ調理が出来ているんなら、主食が不味くてもいいやって放置されてるのかねぇ」

「他にはせいぜい干し肉に頼る以外にないのだし、川がない場所であれば手持ちの水を煮炊きで多量に消費することは出来ないのだぞ。つまり水精霊と親和性の高い者がいなければ、狩ったところで処理もできない。結局は主に携帯食に頼るしかない」

 あ、そうだった。忘れていたけど、点火棒的な効果の水出し棒はないんだった。レディア、頑張って開発すればいいのに。

 コメを前線に持ってこないのは、贅沢品以前に余計な水を使うせいもあるのかな。

「だけど、その水不足をどうにかしないと、士気ダダ下がりじゃない?」

「全くだ。携帯食か、臭みの強い肉の二択しかないのも辛いものがあるしな」

 なんで頑張らないの、異世界の糧食業者…。

 そんな風に思いながら、ぼんやりと記憶を探る。

「あれ、携帯食って何? 固焼きパンのこと?」

「固焼きパンより固くて不味い何かだ」

 何かって何だ。

 えぇと、アレかな。四角くて口の中の水分を奪うパッサリ感で、…あれ、でもそこそこ美味しいものしか想像できなかった。現代人ゆえに。

 きっと異世界にも美味しい固焼きのパンは存在するよね。ただ、旅用となると日持ちのみを念頭に置いているから美味しくなくなるんだろう。腐らずカビずにいてくれなければ長期に渡り携帯する意味がない。

 そうすると水分は限界まで飛ばされていて…重さはともあれ、もはや鈍器のようなものなのだろう。僕のような現代人にはとても噛めないのだろうな…というところまでは予測した。

 鈍器のような食べ物…連想されて脳裏に浮かぶのはスーパーで売られていた冷凍の棒ダラ。

 フルスイングで数人は撲殺できそうなアイツである。

 ただし棒ダラなら、ばーちゃんが煮てくれれば美味しく変身する。携帯食は、ディーの態度を見る限り特に変身しない。

「おい、これ、歯が折れる」

 僕はたった今ディーから差し出された、およそ食べ物ではない硬度を持った物質をそっとティッシュに包み取りながら言う。口に入れちゃったじゃないかよ、何これ、石?

 危なく、二十過ぎで全ての歯を失うところだ。8020(ハチマル二イマル)運動どこ行った。

「マサヒロは歯も軟弱なのだな」

「いや、僕だけじゃないよ。不味いとかいう以前に食えない。食い物じゃない。多分これは釘を叩いたりするものだと思う」

 しかし、ボリボリと音を立てて、ディーは携帯食という名の鈍器を食っている。ガッちゃんか。

 どうやら異世界とは剣を振り回すマッチョ達が、鈍器をボリボリ食らうという超危険世界のようだ。恐ろしい。

「そんなにも言うのであれば、良いアイデアがあるのだろう。マサヒロの国ではどのようなものが携帯食となっているのだ? 旅であれば携帯食は必要だろう」

「…うん。悪いんだけど、僕らは車や飛行機があるし。旅行に行くとしてもそこまで食べ物が日持ちしなくても大丈夫っていうか…非常食だとしても日持ちさせる方法がもうちょっと顎に優しいっていうか…」

 ご心配なく。このクソ田舎にさえ、コンビニはある。わりと街中なので、近所にコンビニが存在する分、僕は恵まれている。ファーストフード店はありませんがね。

 あと、田舎の中でも更に田舎の地区へ行けば、当然付近にコンビニはない。ホニャララ商店って感じの昔ながらの店しかない。

「その非常食の作り方を教えてくれる気は」

「ない」

「マサヒロ」

「だって、缶詰は無理だとしても、まず瓶詰めで密封でき…あれ、瓶ってガラス瓶? まさかの陶器瓶とか?」

 缶詰はどうやって作るかなんて知らないからね。あれは買うものであって、作るものではないですから。

 そしてもし陶器による保存食の世代としたら…壺の保存食って何だ、漬物とか梅干か?

 …この金髪碧眼に?

「ガラスが高価だからな。陶器瓶は存在するが、かさ張るし割れやすい。家庭での保存ならまだしも、旅食としてはあまり現実的ではないぞ。お前がよく食べている菓子の袋、あの作り方を教えろ。ほら、これだ」

 おい、なんでポテチそっちから出てきた。いつ奪われていた。

 僕が今までどれだけプラごみを置き去らないように注意していたと…。

 手癖の悪さに目を瞑ったとしても、一消費者に作り方の説明なんてできないんだってば。異世界産の袋菓子が作れたところで窒素充填とかどうする。油が酸化するぞ。

「無理だね。あと、ポテチ持って行軍なんてしたら、魔物と戦った後とかには中身が粉々になってるんじゃない?」

「…何だと…」

「普通にさ、真空にしたら菌の繁殖が抑えられて日持ちするんじゃないの。風魔法なら真空に出来そうじゃん?」

「シンクウとは何だ?」

 ダメだった。真空という概念がなかったわ。

 多分説明すれば理解はするんだろうけど、そこまでしなくてもいいよね。

 よし、まずレトルトパウチの外袋が異世界で開発されたら、保存食のことを考えようじゃないか。

「それより、臭みのある肉を美味しく食べるようにするほうが現実的じゃない? 塩だけだからアレなんでしょ?」

「香辛料か?」

「そうだね。お高いの?」

「お高いな」

 おお…こっちの世界ではお約束の胡椒貿易で長者スタイルが可能なことが判明した。

 怪しまれたりぼったくられるヒヤヒヤ感と共に金製品を換金するのは割と心の負担なので、貿易する気はないけどね。換金はディーの電話代だけで精一杯。自分のためになんて頑張らない。

 万が一にも多量の金貨を持ってるだなんて噂が流れたら、平穏を失うに決まっている。リアル成金デビューは結構です。

「カレー粉があれば狩った肉が大体食えるって読んだ気がしたのに、ダメかぁ」

 あれは確か傭兵の人の体験談か何かだっただろうか。

 …でも、考えてみたら僕に扱えるのはカレー粉ではない。

 カレールーだ。

 久しく食べていないな、カレー。

 外のカレーは辛すぎて食えない。果汁100%のジュースでさえ咳き込む僕の喉には、過度の辛さは刺激を超えて毒である。

 かといって、決してカレーが嫌いなわけじゃない。むしろ好きだ。

 でもジャガイモは剥きにくいし、使い切れないで芽がニョキニョキ出るから滅多に買わない。そうするとなかなか、カレーを作る機会がない。

 ジャヤとバーモンツのルーを混合する豚肉カレーがうちのジャスティス。理由は知らないが母がそうしているので受け継がれた。兄も僕も結婚していないので子孫に受け継がれるかまでは定かでない。

 祖母が作るカレーは、なぜか全く辛くないのに美味しい。でも、グリーンピースが余分。

 カレー。

 食べたい、カレー。

 鶏肉が好きだけど、カニ缶入れてもいいな。ビーフカレーはあまり出会わないのでお高いイメージ。

「マサヒロ。カレーとは…」

「ディー。行軍といえばキャンプ、キャンプといえばカレーだよね!」

「知らん、しかし」

「野菜を切ってくれるなら皆で外でカレー作ろうか」

「よし、すぐに手配しよう」

 …そうして カレーの名の下に集いし異世界人達。

 下ごしらえにて、全滅。

 とんだ殉職だ。



 始めに洗礼を受けたのはヒューゼルトだった。自炊のできる男は率先して作業していたが、ふとした目の違和感を洗い流すべく素早く戦線を離脱。当初はそれがタマネギによるものだとは理解していなかった。

 次に被弾したのは興味津々に包丁を取ったディーと、調理などしたこともないだろう王子をサポートすべく側に立ったレディア(肉切り済)。

 慣れない調理を前傾姿勢で行ったディーは最も近距離で直撃を受け、反射的にタマネギを押さえていた手を目に…。

 両手で顔を覆い「目があぁ!」と叫んで仰け反ったあの姿。ちょっとビデオをレンタルしに行きたい気分になりつつ、僕は思わず言いました。

「そんな近くに寄って切るからだよ。まぁ、外だからすぐに空気も入れ替えされるよ」

 空気に何かあるのだと判断したディーは風魔法で周囲の空気をシャッフル。

 予想外の友軍相撃(タマネギスプラッシュ)に悲鳴を上げたのがレディア。そして、前髪がちょっと濡れたまま、王子の悲鳴に駆け戻ったヒューゼルトだ。

 ダメな大人達が使い物にならなくなったので投入されたのは、最終兵器。

 ジャガイモを剥くという偉業を成し遂げたばかりなのに、そうしてギルガゼートは休む間もなく次の戦場へと配属され。

 …彼もまた果敢に挑み、そして硫化アリルの餌食となった…。

 異世界の壁、厚い。

「はい、それでは皆が頑張って切ってくれた具材を、軽く炒めて。水入れて。煮ていきますよー」

 ディーはウルウル中なので翻訳メガネをもってしてもカレーの箱裏の作り方が読めない。だから僕が進めるしかない。

 なんせ、元気なのはニンジンを剥き終えた僕だけだ。

 きっとタマネギに慣れているからだろう。いや、老化じゃない、まだ早い。年を取ると防衛機能の老朽化で涙が出にくいだなんて説は知らない。

「今日は子供もいるのであんまり辛くしないけど、興味のある方は後日勝手に十倍カレーでも何でも作ってくださいね」

 お料理番組調のつもりでそう言い添えてみたが、誰も答えてくれない。孤立無援。

 あと、僕が加わる際はいつでもこの辛さです。子供がいようといまいと関係などない。

 カレーが出来上がる頃には、くすんと鼻を鳴らす音もようやく聞こえなくなっていた。

 すっかり立ち直ったヒューゼルトが人数分の皿にご飯を盛っている。

「タマネギはひどいものだったが、カレーは美味しそうな匂いがするな」

 どこか辛そうに微笑むディーの目が赤い。

 あまりの事態に、目を洗いに行けよって言ってあげるのが遅れてごめんね。

「カレーは好きなんだけど、ジャガイモ剥くのが嫌いでさ。ギルガゼートは器用だよねぇ」

「得意です! いつでも剥きます!」

 何のアピールなのか。

 よし、じゃあ次は…、いや、特にジャガイモを使う料理で食べたいものが思い浮かばなかったな。



 カレー自体は好評で、僕の冤罪は綺麗に晴れた。

 戦犯タマネギには有罪判決が下され、次回以降は異世界タマネギを使用するという意思確認がなされた。

 だけどスパイスが高級品の異世界では、カレー文化が花開くのはまだ当分先のことかもしれないな。

 そう思いながら、僕は自室へ引き上げて気がつく。

 …余ったはずのカレールーは、なぜかどこにも見当たりませんでした。

 ま、まぁ、僕もしばらく使う予定はないからいいんだけれども…。

 案外早く、異世界カレーは実現するのかもしれないな。


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