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とりあえず、皆の旋毛は3回押しておいた。



 溜息をついて、足元を見つめる。

 異世界勢の訝しげな視線にさらされながら、僕は首を横に振った。

「ダメだね、浮かない」

 飛べない羽衣は、ただの布だ。

 何となく言ってはみたが、うん、すごく当たり前のことだ。ただの事実だった。


 一生懸命に水を入れるお仕事をしたのに、報酬が不良品である。どういうことなのか。

 マロックはしきりとヒゲを撫でさすっている。

「…おかしいのぅ…。こんなことは初めてじゃ」

 そんなこといってるけど、大体のことは初めてなんだろ、異世界人に関しては。

 僕が膨れっ面になってしまうのは仕方がないと思う。

「僕だけ浮けない。そんなのってないと思う」

 期待したのにさぁ。別にビュンビュン飛びたいとか言ってないのに、なんて意地悪をするんだよ。人種差別だよ。

 そんなことを考えながらも、頭の片隅では、まぁ順当なところかなぁと思っていたりもする。

 多分、また魔力がゼロなアレがソレなんだろう。

 日本人を差別したのではない。異世界人を区別したのだ。致し方なし。

「よし、帰って不貞寝しよう」

「早まるな」

 ディーが誰より早く引き留めの声を上げたが、別に僕は早まってなどいない。ただ、休日は有限なのだ。ダメなら、はい次!ってしないと、あっという間に月曜の朝が来るのだ。

 例によって異世界人が関わることでどんな事象が起きるともわからないからと、僕らは訓練場にて佇んでいる。

 あっちこっちで攻撃魔法が飛び交っているのに…。羽衣という名のストールを肩にかけた僕と、それを見守るだけの王子達という異質さよ。

 市街に出るでもないのに異世界お忍び服に着替えるのが面倒なので、僕は無地Tシャツにカーゴパンツの平民丸出しスタイルだ。体術訓練をしている人達と似たような色合いにしてあるので、遠目には違和感がないはず。羽織ってきたズルズルローブはその辺に置いてあります。ええ、訓練の邪魔ですから。

「…やはり問題はないようじゃがの…」

 小さな声に目を向ければ、マロックじーさんが少しだけ浮いている。

 当て付けなのか。そのヒゲ、一文字にまっすぐ切って、斬新なパッツンヒゲにしてやろうか。アバンギャルド・マロック。

 若干攻撃的な僕の心境を察しているのか、ディーはうっすらと笑ってマロックから羽衣を取り上げる。

 …と、おもむろに脱ぎ捨ててあったズルズルローブを羽衣で包んだ。

 ふより、と風呂敷包みのようなそれが浮く。

「ふむ、これは浮くのだな。マサヒロ、そちらの素材で出来たものを何か貸せ」

 言われて、あわあわと各所ポケットの中に手を突っ込む。

 …埃しか出てこない。あ、入れたまま洗濯したらしいシワシワハンカチが出てきた。

「酷い皺だ。全く形状が戻らないのだが…何を拭いたのだ。汚そうだな」

 シワシワハンカチをディーに渡したところ、すごく嫌そうな顔をされた。

「汚れなんてついてないじゃん。それにせいぜい手を洗って拭いたくらいだよ。むしろズボンと共に洗濯されてるから綺麗だし。平気平気」

「しかし…これは不適切な状態だ」

「余程許せないようだけどさ、自分でアイロンかけてない人に言われても痛くも痒くもないよ」

 アイロンさんはなぁ、セッティングにも片付けにも時間がかかるのだよ。予熱と余熱で。

「そんなに気になるんなら、ディーがちょっとこれに水かけて伸ばしてさ、さっと炙って乾かせばいいよ。あ、燃やしたら怒るよ」

 汚くないってば、と重ねた僕を信じたのか、ディーは眉根を寄せたままハンカチに目を落とす。

 ちゃぷんと現れた水球がハンカチを飲み込み、そのままくるくると回りだす。わりと長いこと水の中でグルグルされているハンカチ…あのぅ、洗濯済みなんですが、一応。そんな念入りに洗わなくても、濡らすだけでいいんじゃないですかね。汚くないなんて全然信じてなかったね。

 やがて水気を切って、乾燥させられた僕のハンカチは、それなりにシワシワじゃなくなっていた。

「…まだ皺が残っているな。持ち主に似て妙なところで頑固だ」

「アイロンかけないハンカチがピシッとするわけないでしょうが」

 頑固だった記憶はないので、ハンカチは特に僕の性質を受け継いだりはしていない。

 そしてディーによって羽衣で包まれるハンカチ。

 全く浮かない羽衣。

「…やっぱ異世界物質はダメってことかな」

 絶望的じゃないですか。はよ帰って寝なければ。

 改めて諦めモードになる僕と違って、ディーの実験は止まらない。

 ディーはどこからともなく短剣を取り出し、ハンカチで包んだ。そして更にそれを羽衣で包む。

「…浮いた。なぜだい」

「ローブを着たマサヒロならば浮くかも知れんな。どちらかというとローブが浮くのだろうが」

 ディーの結論に、勢いよくローブを掴む僕。あっ、裾がヒューゼルトを直撃した。わざとじゃないよ、超睨まれてるけど、本当にわざとじゃなかったんだよ。

 でも今はヒューゼルトどころではないので、スルーしてローブを着込む。

 実験結果への興味が止まらないのか、ローブの前を留めるより先に、ディーが羽衣を僕の肩にかけてきた。先程マロックがしていたように胸の前で布を合わせ…あれ、やってみるとなんか乙女のようなポーズだな。マロック、まさかそっちの…。ま、まぁいい。とりあえず僕はもう少しソフトに羽織っておこう。

 すると、なんということでしょう。

「…あ、し。がっ…」

 ううう浮いたあァ!

 つま先が地面から離れ、ふよふよと身体が上昇する。

 でもすげぇ不安定! これは…油断すると上下グルンといってしまいそうだ!

 …っていうか、いってしまったわ。あんまり粘る暇もなかったわ。

「うむ、さすがだ。斬新だな、マサヒロ!」

 ディーがとてもイイ笑顔だ。

「お前がそんなアクティブな動きをするとは思わなかった。先程の攻撃を水に流してもいい気分だ」

 笑いを噛み殺したヒューゼルトからは悪意しか見えない。

「ほう…羽衣でそのような高さはなかなか出ないと思うのだが、異世界人だからかのう」

 完全にモルモットを見る目つきのマロック。

 …心配しようよ。誰か、上下逆さまで浮いてる僕をもっと心配してよ。ノーモアハングドマン。

 仕方がないので、一生懸命空を蹴って体勢を整えようと四苦八苦。

 何かこう、浮き輪したまま水の中で前転しようとしてるみたい。何物かの強固な抵抗を感じる。

「…ぬぐぐ…っ」

 あのぅ、皆さん、生ぬるい目はもう結構なので。いい加減に誰か手を貸せ。

「…くふぅ…」

 力尽きた僕は、やはりグルンとされて再び吊るされた状態に。

「思ったよりも抵抗したな。前より体力がついたんじゃないか?」

 そんなことを言いながら、ディーが僕の腕を掴んだ。そんな観測いらないよ。僕に今必要なのは地面だよ。

 ディーが何がしか呟くと、風がふわりと僕の上下を修正する。

 目を見開かざるを得ない。

 急激に上昇するテンション。

 魔法だ。魔法をかけられた!

「風? 風? 風魔法?」

「どうした、気持ち悪いぞ、マサヒロ」

「唐突な暴言健在! しかし今はそれどころじゃないので許します!」

 どういう原理だこれ、面白いな。あれだけ上下に引っ繰り返されてたのに、風の柔らかサポートで体勢が安定しているではありませんか。

 ディーを少し見下ろす新鮮な高さで、ふよふよと浮きながらバランスを取る。楽しい。

 もう少し浮くと、より飛んでるっぽくていいんだけどな。是非ディーを頭上から見下ろしてやりたい。

 あれかな、謎の棒みたいな魔石はないけど、コイツも魔力反応で浮いているんだろうから操縦できないもんかな。

 そういえばローブのポケットに謎の棒を入れていた。さっと取り出してチャレンジ。

 僕を支える風魔法を、魔操棒で操作するイメージで…はい、全然ダメでしたー。恥ずかしやー。

 気付いたディーは、からかうでもなく難しげな顔をする。

「そうなのだ。なぜか羽衣は風属性ではない。浮くのにな。一体なぜだろうな?」

 いや、物の属性とか知りませんし。

 けれど言われてみれば、ピューと飛ぶとかいう感じではないのだから、風じゃないのかもなぁ…。

 まっ、飛ぶ魔法は風じゃなければ、重力だろうな。

 そんな安易な考えのもと、土玉操作のイメージで魔操棒を…はい、キター。

「いいじゃん。浮くじゃん。ばっちりですよ、ほーれスイスイーっと」

「マサヒロ!?」

「はい? ぐはぁっ」

 マロックに足を引き摺り下ろされるという事案発生!

「あああ危ないなぁっ! 僕が浮いてなかったらどうなってたと思うのさ!」

 混乱して口走ったけれど、浮いてなければ足を引っ張られることもなかったであろう。特に地面にめり込んだりはしない。

 ドキドキの心臓を宥めながら見回せば、皆様の驚きの視線が集中している。

「…何か、やらかしましたでしょうか」

「羽衣は、無意味に少し浮くことしか出来ないから子供のオモチャなのだ。なぜ高度や方向を自在に操れる?」

「…えぇ…?」

 無意味にとか酷いな。無意味なものを僕の報酬にしたのかね。

 しかしその後、土玉と同じ扱いで動いたと説明しても、マロックにはこの現象を再現出来なかった。


 羽衣は、これからも子供のオモチャであり続ける。


 重力の説明が面倒だから省いたことと、謎の棒のパワー…どちらが影響しているのかは、知る由もない。


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