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でんせつのおくすり。



 どうしても手に入れたいものがある。

 今までの態度が嘘のように意欲的な僕を、ディーは驚嘆の目で見ていた。

「これだけあれば、しばらくは研究に困らないじゃろうな」

 嬉しそうなマロックの前には、鱗の破片を入れた一面の試薬瓶。

 …そして、謎の棒で水を入れ続ける僕の姿があった。



 先日僕の風邪を治した『ドラゴンの鱗を魔力水に溶かしたもの』というのは、民間療法ではなく、御伽噺に出てくる万能薬の一種だったらしい。

 この異世界ではドラゴンの討伐が頻繁には起こらない、むしろ伝説級の偉業ということを思い出せば、民間人に手の出る療法のはずはない。納得のいく話だ。

 さて、今回はたまたまディーが倒したドラゴンがいたので作成された、この薬。万能なのかどうかは知らないが、現代医学でも治す薬のない風邪を瞬時に治したのだから、奇跡の薬であることは間違いない。

 そんな奇跡を風邪程度に使っても良かったのかというのは、ちょっと引っかかるところではあるけれども…スライムの涎を試す未来もあったことを考えれば、むしろそんなのは瑣末なことである。

 薬として生まれ、役目を果たしたのだからヤツも満足なはずさ…と、心の中で万能薬に敬礼してみる。ダメだ、コップの詳細が思い出せない。モザイクがかかった何だかわからない物体が想像されてしまった。勢いのまま敬礼もしてしまった。どうしよう、僕、何に敬礼しちゃったんだろう。

 ところで、ディーとケー王子はとても仲良しだ。

 だからディーはもちろん、仲良しお兄ちゃんにペロッとこの話をした。

 物は奇跡の万能薬だ。

 製法があり、材料がある。ならば作ってみようとするだろう。誰だってそうする。僕だってそう…あ、うん、僕はしないかもしれない。鱗が溶けるわけないと思ってたし、リアルタイムで見てもなお納得できないからな。

 えぇと、でもまぁ、ケー王子もまた興味津々となり鱗を属性魔力で出した水に入れてみた、と。しかし結果はディーと同じで、固い鱗は全く水に溶けやしない。

 ここはひとつ成功者である僕に薬を作らせようと、部屋を脱走したところをお約束でマロックじーさんに見つかった。ケー王子の凄いところは、そこで説教を回避してマロックに万能薬の作成を依頼する図太さだ。

 しかし話を聞いたマロックもまた、如何に試しても鱗を水に溶かせない。

 かくして2人の王子と1つのヒゲ束…コホン、1人の魔導師が僕の前に餌をぶら下げ始めたのだった。

 どいつもこいつも、水を入れるだけの簡単なお仕事でさえ、僕が渋ると思っていやがる。

 本当に渋るんですけどね。

「よし。マサヒロ、今度こそ叙勲してやる」

「嫌だよ。だから、なんで僕がそれを喜ぶと思うんだ…」

「そうだろうとも。万人が興味のあるものといえば、これだろう。マサヒロ、私はお前に領地と爵位を与える用意がある」

「あー…ケー王子も残念な部類ですか。…しかし王子の権威をものともせず、そんなもの要らぬと言わせていただこう。僕はノーと言える日本人なのだ!」

「なんと」

 目を剥いたケー王子が立ち尽くす。

 …彼がショックだったのはどちらなのだろう。

 領地と爵位を断る人間か、それとも残念な弟と同列に扱われたことか。まさか今更、僕がノーと言えることにではあるまい。

「ふむ。…では確か、魔法剣に多大な興味を示していたな。魔力がない人間に扱える魔法剣か…レディアに何とかさせよう」

「ディー…彼女は無から有は作り出せないよ、無茶振りしすぎだ! あとね、悪いけど普通に要らない」

「何ッ」

 リアルに剣を貰ったって困る。扱えないどころか、下手すりゃ銃刀法違反で捕まるんだもの。

 間近に見て大興奮するだけで十分です。

「そうじゃのう…マサヒロは水晶の森で随分と楽しんだと聞く。以前に精霊に分けて貰った水晶が残っていたはずじゃ、お前に一つやろう」

 心惹かれないかと言うと嘘になるかもしれないけど。

「いや、いい。写真は撮ったし、実物は飾っとくと埃被るしね」

「…おぬし、本当に枯れ切っておるな…」

 わぁ。じーさんに言われたくない台詞ベスト3に入るよ…。

 だけど、もしも死ぬほど心が荒んで衝動的に水晶が見たくなったとしても、ディーに頼めば連れてってくれそうだ。どう考えても一面の水晶のほうが癒される。第一ドラゴンさえ襲ってこなければそれほど苦行な旅路でもないだろう。地図は未だによくわからないが、はぐれても最悪、歌えば稼げることもわかったんだ…日銭を稼ぎつつ救援を待てばいい。

 あと、飾り棚を置くよりは本棚を置きたい。部屋のスペースは限られている。

「では、この私がじきじきにサンドイッチを作ってやろう」

「謎のプレミアつけなくていいから。っていうか、もう褒美考えるの飽きたんだね、ケー王子」

 どうせ料理したことないだろうから、サンドイッチでさえまともなものが出てこないという伏線だろう。

 パンがなぜかパン屑に進化してるオチとかあるんでしょ? あと、牛鬼のハムとか挟む気でしょ? 僕は騙されないよ?

「万能薬が出来たら貰う。出来るまでは他に任せる。…第一王子とは己が躍起になって動くべきではないのだ。時期国王として正しい決断だと思わないか?」

「ジャイアニズムって言葉知ってます?」

「知らないな」

 ですよね。むしろ平然と「ああ、知っている」とか言われたら挙動不審になるよ、僕が。

 ケー王子が早々と薬師柾宏(水入れるだけ)の雇用を諦めても、ディーとマロックはなかなかに粘る。

「お前の好みを詳細に言えば、伴侶を見繕ってきてやろう」

「すみませんが、異世界人との遠距離恋愛はちょっと…」

 世界を跨ぐ熱烈な恋愛結婚なら様になっても、世界を跨いでお見合いって。まるでこちらの世界の全女子に振られた人みたいじゃないか。婚活全敗か!

「…ふむ。では結婚ではなくハーレムが希望ということか」

「誤解を招く言い方はやめたまえ」

 男のロマンと言わなくはない。ないけれど、用意されたハーレムとか。

 女の子達は僕を通り越して、雇い主ディーしか見てないのがもう前提じゃないか。僕のために用意されたように見せかけて、実は僕のほうが、女の子達が高い給料を貰うための道具なのだ。うん、コレ、ただの他人の金で行く風俗だ。

 そしてディーの部屋をよっこらせと通って女の子に会いに行くのか。愛もないのに、何という面倒くささだ。

 素直にゴロゴロしながら本でも読んでるほうが有意義だね。

「おお、そうだ。マサヒロが好みそうなものがあるぞ」

 ファッサ~とヒゲが靡いた。えっと、ヒゲじゃないよね、報酬…。

 侮りきった僕の前で、マロックはその名を告げた。

「羽衣じゃ」

「はごろも…?」

 …シー…チキン…?

 綺麗なミルククラウンが想像された僕は、首を横に振る。一人暮らしだと缶詰とも仲良くなるから、ついそっちに意識が流れた。

「羽衣というと天女が持ってる的な?」

「テンニョとはなんだ?」

 はい、違いましたね。

 異世界、天女いないのに羽衣あるよ。誰が使ってんの。天男?

「えっと、それは誰から奪い取った羽衣なの?」

「奪い取ったりなどせぬよ。羽衣樹の葉が稀に変化するもので、そこそこ珍しくはあるが…まぁ、子供のオモチャじゃな」

 一応、布のような形状なのだろうか。

 うーん。もしかしたら翻訳の都合で、こう聞こえるだけなのかもしれないな。

「でも僕が欲しがりそうなの?」

 問いかけながらも、ちょっとワクワクしている。翻訳がどの言葉を選ぼうが、意味するところが同じなら答えは一つだ。

 その布を使えば、空も飛べる…?

「鳥のようにとはいかないが、魔力の有無に関わらず、ちぃとだけ浮くことができるぞ」

 その程度だからオモチャなのじゃが、とマロックがヒゲを撫でる。

 飛べないけど微妙に浮く、というと…あれ、何の役に立つの?

 だけど鳥のように飛べると言われると、使いたくないような気もするな。あんまり高く飛んで、何かの拍子に落っこちたらイカロスさんコースまっしぐらだ。それにこっちで空を飛ぶとなると、ちょっと世間体がなぁ。何かの拍子に誰かに見られて、須月さんちの柾宏君、なんか空飛ぼうとしてたわよ、あらヤダ夢見がちねーとかご近所で噂になったら目も当てられない。

 そして異世界の空なんて飛びたいと思えない。絶対、ドラゴンとかに出くわしてパクッとやられる。

 悲観的過ぎる? 何を言うか。ドラゴンはこの異世界では稀にしか出会えないはずの魔物のくせに、つらっと僕の前に出てきやがったのだ。

 タイミングを計って扉をくぐったのに、雨垂れが必ず旋毛に落ちる…僕はそういう星の下に生まれている。ドラゴンでなければ巨鳥だな、必ずパクッとする奴がいる。

 そう考えると浮く程度というのはちょっと夢も見れつつ、丁度いいかもしれない。

「そんなもので良いのか? それほど珍しいものでもあるまい」

 ケー王子が訝しげにマロックに問う。ディーは僕が乗り気になったことに気付いて満足げに頷いている。

 そしてマロックが「葉が稀に変化したもの」と言っているのに「珍しくない」と言い切る王子。そりゃ、王子ならよっぽどの珍品じゃなきゃ手に入りますもんね。マロックの言う稀の程度も、四葉のクローバーを探すくらいのアレなのかもしれない。

 そう考えると正しい子供のオモチャかもしれないな。ますます遠慮しなくて良さそう。

 マロックはヒゲを撫でながら微笑んだ。

「ケイアシェラト様。マサヒロは自分の世界では手に入りにくく、かつ重荷や面倒に感じない程度の物でないと喜ばないのです」

 僕が富を望むタイプだったらディーのお財布が破産している、と説明する魔導師に複雑な気分になる。

 日本円用意してから言えって。日本円なら驚くほど受け取るって。富ならいつでもウエルカム状態だって。

 どうせ言っても日本円は来ないので、僕は余計なことを言わずにおいた。

「では、明日にでも防具にはならない鱗を分けてもらってこよう。楽しみだな」

 ケー王子がニコニコしながら言った。

 今から駆り出されるかと思っていた僕が意外な気持ちでいると、マロックが金貸しの取り立てみたいな顔をした。

「試薬瓶もたくさん用意せねばならんしの」

 う、うわぁ。なんか騙された気分だ。

 しかしながら「ちょっぴり浮ける羽衣さん」には興味がある。よかろう、ならば僕の全力を見せてくれる。


 そうして話は、冒頭へと戻る。

 

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