かぜの後に:後半戦
ところで、自首してきた犯人みたいに項垂れたまま無抵抗でついてくるヒューゼルトが怖い。
「え、えーと、ヒューゼルト。作ったアップルパイのどのようなところが気に入らないのか聞いてもいい?」
「わかっていれば改善している」
うーん。
パイ生地とリンゴとシナモン。どう考えてもこれだけあればアップルパイに思える。お菓子なんて作らない僕には、さっぱり彼の敗因の予測がつかない。
悩む僕と、俯くヒューゼルト。ディーはなぜか粉ものの棚の前で立ち尽くしている。シナモンはそこじゃないよ、製菓コーナーだよ。お好み焼き粉を手に取るな。
「あの時もっと落ち着いて食べておけば良かった」
ぽそりと聞こえた声に目をやるが、ヒューゼルトの表情に変化はない。無意識の独り言だろうか。
アップルパイでそこまで落ち込めるのもすごいけどさぁ…。
「わかったよ、帰りにあのケーキ屋さん寄って行こう。もう一回食べてみればいいじゃん」
あと、普通に協力を願い出ろ。意地の張り所を間違ってる。
驚いたようにヒューゼルトがこちらを見たけれど、僕は既にディーの手からお徳用の鰹節を奪い取るのに忙しい。
「これじゃないよ!」
「そうか? 茶色いぞ。これだけあればヒューゼルトも当分困らないと思ったのだが」
「茶色いけど、この間のは粉だっただろ! これ、ふわっふわしてるよ! どう見ても別物だよ!」
こんなものを入れたら大失敗もいいところだ。アップルパイがしょっぱくなるよ。魚くさいスイーツ、許せない。
「では、こちらだな」
「…わざとやってるの? それ、ガラスープの素だけど」
「ガラスープとはなんだ?」
「えー…。もー。ガラのスープだよ、ほら、シナモンはあっちだから」
「説明する気がないことはよくわかった」
ディーがこっそり握り締めていた、うずらの卵の水煮を返品。
うずらで何がしたいんだ、お前は。
返した傍から栗の甘露煮を手に取るな。しかも国産のほうか。無駄にお目が高いな。
子供のように何でも買おうとするディーの手をビシバシ叩いてやめさせつつ、シナモンを持ってレジに向かう。誰の財布だと思ってるんだ。
ちなみにシナモンは僕が買って以降、まだ発注されていなかったらしい。結局残っていた一袋も僕が買うこととなった。この田舎ではなかなか売れないのだね…。
ディーは表面上は何食わぬ顔でレジに並んだが、よく見ると、青い目がわくわくしている。
店員のお姉さんが、ピッと音を立ててシナモンを通過させた。
「168円です」
ディーは僕から奪った財布をおもむろに開けた。小首を傾げ、よく吟味した硬貨をトレイに並べていく。
完成。うん、372円ですね。
…何も合ってない。
「ディー、ちょっとごめんね」
横から手早く硬貨を入れ替えてやる。意味がわからずに硬直していたレジのお姉さんは、納得したようにディーに笑顔を向けた。はい、どう見ても外国人ですから、許してください。
僕が補佐についていることに安心したのか、お姉さんは予想外の攻撃に出た。
「テープでよろしいですか?」
問われたディーが微妙に肩を揺らす。話しかけられる予定ではなかったのだろう。
「はい、大丈夫です」
代わって答えておく。お姉さんは素早くカットしたテープをバーコードの上に貼り、「ありがとうございました」と一礼した。
うむ、と頷きを返しているディーと、見守るヒューゼルトの腕を急いで引っ張る。ここで立ち止まるんじゃありません、レジが詰まるだろ。
企業秘密だから教えてもらえない、と僕は言った。
だけど一応というか、念の為というか…一縷の望みを賭けてというか…店員さんに声をかけてみたんだ。
「先日もこちらで買わせていただいたんですよ。そうしたら、あそこの彼、アップルパイって初めて食べたらしくって。美味しさに感動して自分でも作ってみたそうなんですけど、何だか上手くいかないんですって。一般的なことでもいいんで、何かコツみたいなものってありませんかね?」
店員さんは、簡単かつ、にこやかに助言をくれた。
「そうですね…アップルフィリングの下には何か入れていらっしゃいますか?」
「…下…ですか?」
何かって言っても。何を入れるのさ?
っていうか、アップルパイの具ってそんな名前なの? おしゃれさんなの?
「はい。うちはスポンジケーキを細かくしたものの上にリンゴを乗せています。リンゴの水気が出ると周辺の生地がサクッとならないので、もしかしたら、そういったことかもしれませんよ」
「成程。ありがとうございます、ちょっと聞いてみますね」
全く嫌な顔をしない愛想のいい店員さんに背を向けて、僕はヒューゼルトの横に滑り込む。
ヒューゼルトは腕組みをして、じっとショーケースのケーキを見つめている。ディーも同様にケーキを見つめている。しかしこちらは前のめりで両手をベッタリついてる。ケースを触るな。子供か。
「ねぇ、今、店員さんに聞いてみたんだけど」
ヒューゼルトがちらりとこちらを見た。冷静を装おうとしているが、その目には真剣さが見え隠れしている。
「リンゴの下にスポンジケーキ砕いて入れてるんだって。リンゴの水分吸わせるらしいよ」
息を飲む音が聞こえた。どうやら盲点だったらしい。
ぐっしゃあ、と唐突に頭を握られた。…なん…だと…、殺られる…?
「よくやった、マサヒロ」
え、これ褒めてたの?
頭もぎ取られそうなんだけど! 前後に揺らすのやめて、もげる! 首がぁァ!
「確かにそうだ。もっとサクサクしていた気がする。しかし火を通しすぎるとリンゴの食感がなくなるので、パイ生地材料の配合が問題なのかと思っていた。それに、そう。確かに。リンゴではないものもいた気がする。てっきりパイ生地の底部分とリンゴが接していたせいだと思っていたのだが、そうか、スポンジケーキがいたのか」
急激な饒舌ぶりにびっくりだよ。ヒューゼルトの目は、じっとホールケーキの列を見つめている。
デコレーションされていないケーキは、売っていない。
「…スポンジケーキだけってのはさすがに売ってないんですよね?」
「はい。申し訳ございません」
「ですよね」
うーん。ヒューゼルトは、アップルパイを完成させるためにスポンジケーキを焼くのだろうか…。
無言になった僕らの耳に、店員さんは代替案まで提供してくれた。
「市販のカステラやビスケットを砕いたものや、乾煎りしたパン粉なんかでも代用できますよ」
「え、そうなんですか? …わかった、わかったから待ってヒューゼルト、頭掴まないで。砕いたビスケットや乾煎りしたパン粉でも代用できるんだってさ、買ってくか!」
通訳を待てない護衛兵、超怖い。首狩り族ヒューゼルト。
ヒューゼルトは最終的に店員さんに、今まで見たこともないくらい爽やかな笑顔で、気障っぽい礼をしていた。
アップルパイを二つとお好きなケーキ二つをお土産に選ばせる。
ヒューゼルトは四個のアップルパイを持ち帰った。まだアップルパイを見るのが嫌にはなっていないようだ。いくら性格が真面目でも、そこまで貫き通す必要はないと思う。
ディーはガトーショコラとチーズケーキ、そしてタヌキケーキを見つめたまま凄く悩んでいた。
僕は最後まで、三つとも買ってもいいとは言わなかった。