開閉権は我にあり!
宴もたけなわではありますが、王子は意外と忙しかった。
いや、むしろよくこのイレギュラーに対して腰を据えてお茶なんか飲んだよね。
何やらディーには午後からご用事があるらしく、支度を始めないといけないらしい。そんなわけで異世界三人衆から解放されることになった。良かったよ。まだ幾らかの物を棚やらに戻しただけで掃除機もかけてないのに、一日が終わるかと思った。なんせ綿埃は現在進行形で僕の部屋をコロコロしているんだからね。あ、靴下に付いた。
「こちらも開け放しておくから、そちらの窓も閉じないよう大きく開けておけ。戻ってきたらまた話そう」
恐ろしい提案をしたディーに、ヒューゼルトの口が小さく開く。声は出なかったが、無用心だとかそういうことが言いたかったのかもしれない。僕だってそう思う。
というか、部屋の主がいないのに窓がフルオープンで繋がっていたら、万一そっちで何かあったときに僕が不審者扱いされる可能性が高いと思いませんか。自衛は大事。
「嫌だよ、落ち着かないじゃないか。それから窓同士はゼロ距離だけど、この辺微妙に隙間あるからね。普通に外の風スースー来てるから寒い。異世界のカナブンとか入ってきても嫌だし、アー○ジェット効かなかったら困る。僕だって暇じゃないんだから、せっかくの休日にひたすら窓辺で王子様待ちなんかしないよ。うわ、音だけ聞くとすげぇ乙女ティカルだな」
「お前はなぜそうも冷静なのか…異世界と繋がっているんだぞ、興味がわかないのか? …こら、まだ人が話しているのに閉めようとするな!」
うるさい、平和を返せ。またしても窓の開け閉めで力による攻防を繰り広げたが、今度は早い段階で僕が諦めた。もう無駄に手を挟まれるようなことはしない。次にスパァンが起こるときは確実にお前の手を仕留めてみせる。
「殿下、そろそろご用意をされませんと」
ヒューゼルトが言うと、渋々ディーは立ち上がった。何なら自分が会話を続けて異世界研究を…などと言い出したマロックじーさんは黙殺し、僕も椅子から立ち上がって見せる。いや、じーさんとマンツーマンとか、ヒゲが気になって会話どころじゃないと思う。もう既に、いいトリートメント使ってるストレートサンタにしか見えなくなってきてる。
「では、また夜に開けろ。寝る前とかに」
えー。全力で不満な顔をしてみたが、ディーは僕の顔から目を逸らしたので無駄な抵抗に終わった。しかも「じゃあな」などと一方的な言葉を放り投げて、自分の窓を閉めやがった。これは腹が立つと思いませんか。今まで散々僕の窓は閉めさせなかったのに自分勝手なこの所業ですよ。
そして意外と上から下に閉まる窓だった。あの窓が閉まるのを阻むことは出来ないな。自分の手が挟まる未来しか見えない。
…よく考えたら、もし外に開くタイプだったら、危なかったんだな。僕がガラッと窓を開けた瞬間に、向こうからバァンと飛び込んでくるガラス戸。出会い頭に即死だ。良かった。お茶を飲んで歓談なんて出来たのは幸運だったんだ。下手すれば綿埃にまみれて打撲死してたかもしれない。完全に変死だ。
そのうえで、僕は呟かずにはいられなかった。
「…そっち、窓閉めても繋がってんのかよ…」
閉じられた窓が、虚しく僕の視界に映る。どちらかが接続を切れば通信終了な、チャット的イメージでしたが…僕の方は繋がりっぱなし。
平和なトマト畑はもう戻ってこないのでしょうか。頑張って解明して解決しないと、永遠に異世界がお隣さんになってしまうということなのか。相手が姫ならお着替えイベントなどに期待が持てたのに、男相手じゃラッキースケベさえ起こらない。いや、どちらにしても窓全開のまま着替える姫がいるわけないか。それじゃ、ただの痴女だもんな。
とりあえず空気の入れ替えは諦めることにして、僕も窓を閉じた。
…もうこんな時間か。掃除機かける前にお昼ご飯にしちゃおうかな…。
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
りんりん、りん。
突如響いた鈴の音に、漫画の本から顔を上げる。
目を向けた先ではカーテンレールに吊るした三個の鈴が、さながらヒットした釣竿の先のように揺れている。僕の苦心の工作は、どうやら役割を果たしたらしい。工作に夢中になったので、今日は掃除機しかかけないで一日が終わりました。明日こそは洗濯しないと、来週のパンツが足りなくなる。最悪、買いに行けばいいって気になるけど、人としてダメだ。怠惰の申し子たる僕は、楽を選べば際限がない。綿埃が西部劇のように転がってたのがいい証拠だ。
少なくとも、この窓の向こうが正しい景色を映すような方法を相手に確かめないことには…と自分に言い訳して、窓に近づく。シャッとカーテンを開けると、鈴から繋がるテグスが垂れる。鈴は、使わないストラップやキーホルダーからバラして回収した物で、結びつけた先は割り箸。お菓子の空き箱を通し、落下しない程度にガムテープで箱を固定して、割り箸は窓の外に飛び出ている。一応、夜に備えて蓄光テープを巻いておいたので、相手は無事にこの未知なる呼び鈴を使ってくれたようだ。ふふ、幼少時にノッポさんに憧れた僕にかかればこの程度…あ、ちょっと、もう鳴ったのわかったってば。乱暴に扱わないでください、有り物で作ったんで、すげぇ脆いんです、壊れるんで。お客様の中にゴン太君はいらっしゃいませんか。
窓を大きく開けると、向かいのやけに薄暗い部屋に金髪を発見。急な明るさの変化に目が眩む。向こうも顔をしかめて片手で目元を覆っていた。
「眩しいな、何だそれは、魔法の明かりか?」
「電気ですけど。っていうか、そっちこそ。そんな暗さじゃ本も読めないじゃないか」
「こんな時間から本を読むのか? 徹夜する気じゃあるまいな」
「もう寝るのかよ、早すぎるよ」
ディーは僕の手元に目線を落とした。読みかけのページに指を挟んだまま持ってきてしまったが、このまま会話タイムに突入するのならば持っていても仕方がない。
「何の本だ?」
「妖怪達のほのぼの江戸ライフを描いたコミックです」
「…わからん、もっとわかりやすく言え」
指を挟んでいたページを開いて、相手の顔の高さ…は腕が疲れるので胸の高さくらいに持ち上げる。
「ですよね。架空の生き物が生活するだけの絵本ですよ。ほーら、こんな感じ…あっ」
サッと素早く取り上げられてしまったのですが、王子様、手癖悪くない?
「…この本で何を学ぶのだ?」
「いや、娯楽でしょ、物語は。言う気になれば人情とか互助精神とか言えるけどさ。あんまり押し付けがましい教訓とか盛り込まれると疲れるじゃん、日々の疲れを癒したくて読んでるのに。大体、受け取り方なんか人それぞれだよ。カッチカチの正義を書いたつもりの本で悪役に心惹かれちゃったら作者の意図とは違うものを読み取るでしょ」
「ふむ…実用的な事柄ではなく、物語が書かれているのだな」
「架空の物語が好きなんだ。毎日現実と戦ってるのに、本棚の中までも現実でしかないなんてそんな。夢も希望もないじゃない」
興味津々といった様子でパラパラとページをめくった彼は、そのまま自分の部屋の机にコミックを置いた。
「おい、持ってくな。大体、三巻から読んでどうする」
それは今日密林から届いたばかりの新刊だ。窓から身を乗り出して返還を要求すると、ディーはなぜか背中に本を隠して首を振る。男が可愛ぶっても騙されないぞ、お前に妹はいないのか。僕をほだしたくば、姫の上目遣いを要求する。
「ちょっと貸してくれても良かろう? 一晩くらい」
「それは今僕が読んでるんだから。…そんじゃあ一巻から貸し…っていうか文字読めるの?」
「読めないが見てみたいんだ」
何にしても内容が江戸の妖怪じゃ、文字がどうこう以前に異国…どころか異世界の方にはハードル高すぎるだろう。うーん、字が読めなくても楽しめるような漫画、あったっけ?
文字が不要な男の万国共通といえばお色気…いや、仮にも王子にエロ本渡すのはちょっとな。どうせ貸したらマロックやらに見せるだろうし。変な物貸したら野良猫ヒューゼルトに殺されそうだ。そろそろ攻撃が来るだろ、フシャーッて。爪ならいいけど、生憎と剣だもの。嫌だよ、部屋で孤独な惨殺死体として発見されるなんて。かといって全く楽しめないもの渡して「異世界人って意味不明」みたいな顔されたら腹立たしい。僕の本棚を貶めるものは許さぬ。
「まぁ、物は試しだから世界観が似ていそうなファンタジーでいいだろ。ほら、それ返して。こっちと交換ね」
それにこれなら古本で買った奴だから、万一飲み物こぼされたり借りパクされて買い直すことになってもそんなに悔しくない。打算的な男、柾宏です。
本棚から取り出したコミックを見せてやると、ようやくディーは読みかけの本を返してくれた。
妙に嬉しそうなその様子に、ふと疑問が掠める。今更言うことじゃないけど、王子様の部屋に繋がったにしては、警戒低くない? 僕がこっちの窓からディーを誘拐とかしたら、向こうの世界では打つ手なしってことになるんじゃないんだろうか。そんなんでいいのかな。ヒューゼルトが一番常識的だったんじゃない?
「ねぇ、そういえば昼間、ディーが窓を閉めても僕の窓はそっちに繋がったままだったんだけど」
「あぁ、お前の方が早く窓を開けたようだからな。開閉の優先権はそちらにあるらしい」
「…どういう意味?」
「マロックが言うには、世界が繋がったときに、お前の方が窓を開けきるのが早かったんだそうだ。だから主にそちらの窓が、こちらに繋がったという形になっている。こちらの窓は受け手のような感じだな。お前が窓を閉めると、こちらからは閉めた窓も何も見えなくなったからな。わかるか、窓が消えて空しかなかったんだぞ。お前が始めに二度開けしなかったら、夢かと思ったところだ」
だから、あんなに僕が窓を閉めるのを阻んだのか。向こうからは、ノックもできないから。
ますます大問題じゃないか。僕からはディーが窓を閉めても見えている…ということは、漫画を借りパクされても、最悪窓を割って乗り越えれば取りに行けるってことだ。侵入者として殺されるとかそういうのはさておいて。けれどディーからは僕が閉めた窓は認識できなくなる。さっき考えたまま、誘拐されたら助けは期待できないってことだ。
「王子、ヤバくない? 僕がこっちに引きずり込んで窓閉めたら、護衛のヒューゼルトも来れないんじゃん」
「ふはっ、正気か、窓の開閉も私に負けるお前が」
完全に馬鹿にした笑い声出しおった、コイツ。
「…まぁ、僕にそんな予定はないけどさ、もしもの話だってば」
「お前こそ、マロックに渡された腕輪を警戒もなく嵌めおって。取れなくなるとは考えなかったのか」
「…はぁ?」
恐る恐る、左腕に目を落とした。
こ、これはただのファンタジーな通訳腕輪だろ…あっ、本当だ、きつくなってる、抜けないじゃないか。謀ったな!
「ちょっ…やめてよね、月曜日までに取ってくれないとスーツなのに腕時計の横に成金腕輪という冒険心溢れる社会人になってしまう! ヤクザの金ネックレスよりタチ悪いよ! 見なさい、僕の金色の似合わなさを! 完全にオシャレを勘違いしちゃった人じゃないか! 好奇心で指突っ込んだら抜けなくなってリングプルを指輪にしてるのと同じレベルのダサさだよコレはっ」
「馬鹿、騒ぐな、人が来るだろうっ」
「じゃあ取ってくれる? 致命的だよ、この似合わなさは。これで人前に出るとか…せめて隠せるサイズのものへの変更を希望するっ」
「わからんよ、お前の怒るポイントが。…ゲツヨウビとはいつだ」
「そこからなのかよ、明後日だよ」
「明日マロックには伝えておくが、用意できるかどうかは知らん。腕輪を見せたくないだけなら認識阻害の術をかけさせれば良いしな」
そう言って、ディーは不意に身を乗り出した。僕の部屋の中を覗く。窓枠に膝をかけるというお行儀の悪さだが、僕は黙認して身を引いた。彼が随分と好奇心旺盛なのは既にわかっていることで、僕に危害を加えるつもりはないだろうから。
上半身がこちらの部屋に入った状態でも、特に不具合はないらしい。変な罠とか発動してちぎれ飛んだらどうしようかと思ったが、窓は異世界に繋がった以外におかしな機能がついたりはしていないようだ。僕の部屋がダンジョンとかにならなくて本当に良かった。
ぼんやりと僕が考えていると、ディーがぱっとこちらを見た。金髪に光が反射してキラッキラしている。青い目もキラッキラしている。
「あれ、そういえばディーって何歳?」
勝手に年上だと思っていたけれど、外国人は老け顔の法則か? こんなに無邪気に人の部屋を見るってことはもしかして…
「二十三だ!」
同い年だった。別に老けた子供じゃなかった。