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かぜの後に:前半戦



 残酷な現実。

 信じられないというように目を見開いたディーは、しかしすぐに状況を受け入れた。

 憂いを帯びた青い目で、彼は呟く。

「騙したのだな」

 申し訳ありません、と兵士は言った。

「お見通しというわけだ。しかしここ二日ほどは大人しくしていたぞ」

「お一人で無闇に外出されなかったのは確かなようですが、場合によっては魔物の素材を狩りに行くつもりだったそうですね? 既に、担当していた護衛から殿下の行動についての引継ぎは終えております。…マサヒロ、殿下を上手く城内に留めたそうだな。良くやった」

 ディーの足止めを労われてしまった。

 裏切られたような目で見ないでくれ、ディー。

 僕の風邪は本当だったし、誰一人、何一つも裏切った覚えはない。

「…お帰り、ヒューゼルト。結局、三日間いないってのは嘘で、本当は一泊二日のお仕事だったってこと?」

「いや、今日は移動日だ。本来であれば今朝向こうを出て、こちらには夕方に戻る予定になっていた。単に昨夜、夜を徹して移動したので今朝から護衛が可能になったというだけだ。殿下には日程表通り、三日間不在にする予定だと伝えてあった」

 出張三日目の朝、八時半にディーの部屋に現れたヒューゼルト。目の下の隈は濃い目だが、護衛に支障はないそうだ。

 本来なら移動からの帰宅で、むしろ今日は休めたのだろうに…相変わらずクソ真面目だ。

 ディーは拗ねたように、チョコチップメロンパンをコーヒーで流し込んだ。



*-*-*-*-*-*-*-*-*-*



 そもそも、なぜディーはそんなにも一人でこちらに来たかったのか。

 そこにはヒューゼルトが決して僕には知られたくないであろうドラマが隠されていた。

 …実際、後部座席の護衛兵は苦い顔をしてそっぽを向いている。

「どうせ自分で頼むことができないのだから、ついでに買ってきてやればいいと思ったのだ」

 一方、助手席に座るディーの暴露は、今日も絶好調。相手の心情なんて思いやらない。

「マサヒロにもらったシナモンも、もう使い切るのだろう?」

「…なぜご存知なのですか」

「寮内で作っていれば、どこからでも話は聞ける。大体、いつまでも私に持ってこないのが悪い」

「ですから、殿下に差し上げられるような出来ではないと…」

 ヒューゼルトが呻く。

 ちょっと待って、今、聞き捨てならないことを聞いたよ。

「ヒューゼルト…もうシナモン使い切るの?」

 え。ちょっと。どれだけアップルパイ焼いたの、この人。 

 一回の使用量って、そんなたくさんじゃないよね。きっとササッとで十分ですよね。二袋分差し上げましたよね。

 ルームミラー越しの護衛兵はむっつりと黙り込んでいる。

 ディーがショッピングセンター内のスーパー見学をご所望だったのは、ヒューゼルトにシナモンを買いたかったからなのか。

 しかしながら、問題はもう少し奥が深いようだ。

「…で、さ。作ってるの知ってるせいで食べたくて焦れまくってるディーにも差し上げられないってことは、それでも納得のいく出来にならないってこと?」

「…くっ…。私の無能を笑わば笑うがいい」

 無能とかいう話じゃないよ。むしろ怖いよ、その執念が。

 てっきり「アップルパイって美味しいね」くらいで済んでるのかと思ったのに、あのアップルパイの完璧な再現を求めていたのか、このお菓子兵士。

「あのねぇ、ヒューゼルト。あのアップルパイは一応、美味しいと評判のお店です。それなりに人気のあるお店だということです。基本レシピは大体決まっていたって、お菓子屋さんの数だけレシピはあるんです。自分のとこのレシピを教えてくれたりはしないと思うから、完璧に同じものっていうのは無理だと思うんだよ?」

 企業秘密ってものだよ、と懇々と説いてみる。

 ヒューゼルトは落ち着かなさげに何度も足を組み替えていた。

 どふどふと振動が伝わる。

 …おい、後部座席なのに足組み替えまくるな。メッチャ運転席の背中にぶつかってるわ。蹴られてる気になってきたわ。

 ミラー越しの表情を見るに、悪気はないようだが。

 ショッピングセンターの駐車場に車を停め、僕は隣のディーに問う。

「とりあえずシナモン買って来ようか。他に用事がないなら僕だけ行ってきてもいいんだけど」

「いや、財布を寄越せ。私が買うのだ」

「なんという強盗発言。え、自分でお買い物したいの、ディー」

「うむ。喋らなくても問題なかったはずだな。こちらの買い物は面白い。いつか、あの不可思議な道具をピッとしてみたいものだな」

 バーコードですね。コンビニのバイトでも紹介してあげたほうがいいのだろうか。まぁ、言葉が通じないから無理なんだけど。

 らっしゃーせー、とダルイ声で不敵な笑みを浮かべるディーを想像しようとした。

 …そこまで言葉が崩れたディーを想像すること自体が無理だった。さすが王子、僕の妄想力を上回るほどにコンビニ不適合。

 あれ、僕のコンビニ店員観がおかしい?

 都会なら淘汰されちゃうんだろうけど、田舎コンビニは多少愛想と品揃えが悪くても潰れないからな…。


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