前へ次へ
41/102

電話帳とは



「それは私が登録したのだ。しかし日本語はさっぱりわからなかったので途中で諦めた」

 ディーは今日も、通常運転だ。


 レディアからの着信が、僕の携帯電話に「マホ」と表示される謎。

 ディーに問いかけてみたところ、実にあっさりと解決してしまったので逆に困っている。

 …まさか、挑戦と玉砕の記録だったとはね。

「なんて登録しようとしたのさ?」

 まったりと、窓枠を挟んで僕らは向かい合っていた。

 互いの窓に飲み物を置いて、お盆や皿は越境気味にお菓子を提供しあう。

 慣れてしまった僕には、この距離が妥当に思えて仕方がない。これがもはや日常だというのだから、おかしな話だ。

「初めは、「魔法陣経由」と登録しようと思ったが、長いのでボタンを押すのに疲れた。よって「魔法」と改めた。しかし、そこには更に大きな壁が立ちはだかっていたのだ」

 ディーは、ふぅと溜息をついた。

 どこか物憂げなイケメンオーラ。金髪碧眼を好む女の子なら二、三人はクラッとさせたかもしれない。十人とかは無理だろう。そんな感じ。

 しかし僕にはわかる…これは、残念の前触れだ。

 きっと碌なことを言わない。気がついて、心の準備をした。

「該当する漢字がわからなかったのだ。あまりにわけがわからないので嫌になった。最後は投げやりに決定ボタンを押した」

 あ、やっぱり碌なことじゃなかったですね。

「翻訳メガネは…あぁ、ダメなんだね。日本語から訳すことしかできないのか」

「そうだ。こちらの言葉を、日本語に変換する術がない」

 苦笑する僕に、肩を竦めたディーが言う。

 辞書があるとはいえ、膨大な言葉の海から、あてどもなく一単語を探すわけにもいかないだろう。

「前にお前が用意してくれた日本語の表と、お前自身が騒いでいた音から探したんだ。だから、カタカナ変換はできたぞ」

 騒いでいたかなぁ? 記憶にないけど。

 悩む僕に、ぴらりとディーが見せたのは…大分前にふざけて書いた、ひらがなの並んだ表…。

 こ、これは…使っちゃいけないものです!

「もっと綺麗に作ったヤツがあっただろ! なんでコレ!?」

「いけないか?」

「いけないよ! だってこれ…冗談で説明した、コックリさんのヤツじゃないか!」

 鳥居の絵があって、はいといいえがある。例のアレである。

 しかも、チラシの裏だ。

 とある漫画のオバケキャラの説明から怪談話に発展した際に書き散らかしたもの。

 っていうか、むしろこっちで処分した気でいたよ。いつの間に着服してたんだ…相変わらず手癖悪いな。

「…回収しよう。さすがの僕も、コレを使われて何かの怪奇現象が起きたら居たたまれないしな」

 しょぼすぎて辛いし。どうせならホラーっぽい字体で禍々しく作ってやりたいよ。やらないけど。

 だって、そりゃあ何も起きないといいけど、そっちには謎の精霊というモノがいるだろ。何かの拍子に興味を示されたらたまったもんじゃない。

 万が一にも祝福されたら、ものすごい脅威が呼び出せる代物になりそうじゃないか。チラシの裏なのに。

「どうして素直に「魔道具」じゃなくて、「魔法陣経由」なんて書こうと思ったの?」

 もっと言うなら、素直に「レディア」って登録すればいいのに。それなら、あいうえお表から簡単に文字を拾えただろう。

「当初の中継機は、まだ魔道具とも言えない状態だったのだ。魔法陣を書いた板だった」

 ディーが名残惜しそうにチラシを見つめている。

 いや、もっと見栄えのいいヤツは既にあげてるんだから。諦めろって。せっかく定規まで使って、まっすぐな線書いてやったのに…。

「あのね、ディー。残念なことを言ってもいいかな」

「何だ」

 自信満々に「カタカナ変換できた」とか言ってたディーに、僕は現実を突き付ける。

「できてないからね、カタカナ変換も。マホじゃなくてマホウだから」

 だから、漢字にも変換できなかったんだと思うよ?

 目を見開いたディーは、完全に予想外だという顔をしている。

 僕らは言葉を発さないまま、コックリさんの表の「マ」と「ホ」、そして「ウ」と「ー」とを指差し、頷いたり首を振ったりする。

 三分ほどそんな小芝居を続けたところで、ディーは溜息をついて自分の非を認めた。

「もう魔法陣経由じゃなくていいんでしょ? ついでに登録し直したらいいよ」

 できれば「レディア」に。

 そう思う僕の横で、ディーは朗らかな笑顔を見せた。

「わかった。じゃあ、モドキにしよう」

「ダメ、ゼッタイ」

 レディアが何かのモドキみたいになってしまう。美女モドキだろうか。

 確かに僕は、レディアのいないとこで携帯モドキの魔道具のことをそう呼んでいるけれども。

「ディー、これは通話先の相手を示す登録なんだよ。人の名前でないのなら、せめて機器が置いてある場所の名を登録すべきだ」

「…それは絶対のルールなのか? そんなことは説明書には書いていなかったぞ」

「ルールです。暗黙の了解です」

 ならば仕方がない、と呟いて王子は諦めた。なぜそんなにも物品そのものの名をつけようとしたのかは謎である。

 そうしたらディーの携帯も僕の携帯も「携帯電話」って名前になっちゃうんだぞ。わかっているのか。

 電話帳登録の意味が全くない。

 あ、そうか。もしかして電話帳って概念を持っていなかったのか。

 …でも、面倒だからいいや。そのうちリストが増えていけば勝手に納得するだろう。


 レディアは「美女」と登録されました。

 …ディーよ…。


前へ次へ目次