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誰得CD



 長い旅を終えて自宅へ帰還。

 一週間の休みをフルに使い切ってしまった。やはり旅行とは休暇初日に始まり、強制的に最終日までを使うものなのだろう。幼い僕の記憶(トラウマ)は虐待でも試練でもなく、ただの真理であったのだ…ならば僕も家族を許せる気がする。そう、旅行とは一個人が止めようとしても、簡単に止められるような甘いものではない。いわば荒行。つまり旅人とは険しい山岳に挑む修験者なのだ。それがわかっただけでも収穫があったというもの。

 あれ。本当は五日間の旅行で、残り二日は家事を片付けつつまったりゴロゴロの予定だったから…予定が狂ったせいで洗濯が次の休日まで持ち越しじゃないか。うわぁ、ヤバイ臭いになるかな。っつーかコレもう籠に入りきらないだろ。しかしもう何もしたくはない。

 洗濯籠に旅行で出た洗濯物をギュウギュウと詰め込んで、僕はそのまま回れ右した。見てないぞ。僕は溢れそうな洗濯物など見ていない。あの洗濯籠があと一週間もたないなんて信じない。現実から目を背けて早足で階段を上る。

 ただいま、お部屋。

 ぼふっとベッドに倒れ込み、息をついた。

 やはり幻想的な水晶の森といえども、敵ではなかったな…。帰宅して、よりわかるのは、部屋の良さ。(五七五)

 自分の部屋以上に魅力的な安住の地はない。見栄も世間体もなく自分の好きなものだけで構成し、欲しいものにすぐ手が届く適度な散らかり具合が許される場所。いや、たまに度が過ぎて本が雪崩を起こしたり、埃がコロコロ転がったりしちゃいますけど。

 ここが僕の心身を守る完全無欠のセーフティーゾーンであることは確かだ。失うことは考えられない。

 …絶対、転勤なんかしないぞ。

 部屋がここまで居心地よく熟成するのに、一体どれだけかかることか。

 転勤しないと出世できない? 全然構わない。等級はもう諦めたので、僕は号俸を極めてみせる。後輩達よ、僕の屍を越えていけ。

 目指せ、窓際でちょっとウザイけど首にできない困ったオッサン。

 部屋の保持と安定した収入を両立するためなら、汚名くらい厭わぬ。



「…今日明日くらいは窓開けなくていいからゆっくり休めとか、別れ際に言ってなかった? 僕の妄想だったかな?」

『窓を開けなくてもいいぞ。コレがあるからな』

 ベッドでゴロゴロしながら古い本を読み返していたら、まさかの異世界着信。呆れながらも本を閉じて脇に寄せ、仰向けに転がり直す。

「なかなか使う機会のないケータイ、使いたかっただけなんだろ…。僕しか通話できる人がいないのに、僕には毎日窓開けろって言っちゃってるもんね」

 油断させておいて、とんだ策士だ。結局ディーの相手をしているじゃないか。

 愛想笑いも給料に含まれる世の中で、会社だって週休制なのに…異世界はブラック企業か。いっそ王子様のお話し相手というジョブとして給与をいただいてもいいくらいだが、異世界通貨ではマンガが買えない。うん、要らないです。

「で、何の御用っすか?」

『私も忙しいのでな、そう長くお前の相手はできない』

 いやいや、僕には今日はもうディーと遊ぶ予定なんてなかったよ?

「あー、うん、残念だねぇ。そんで?」

『…お前、いつもより私の対応に手を抜いているな…顔が見えないとこんな弊害もあるのか』

 不満げな声を出されても、ノリノリな対応なんてする気はない。僕は疲れているのだ、消費は抑えないと。今夜中に気力体力を回復できないと明日の業務に支障が出るかもしれない。連休取得しておきながら休み明けに疲れた顔で仕事するなど…完全に周囲を敵に回す所業だ。行き先がアレだから旅行に行ったなんて言えない僕には、お土産も用意できない。休みの間の仕事をフォローしてくれた人に、無駄に嫌な思いをさせるのは困る。休み明けとは、空元気であってもテンションを上げて行かねばならないものだ。社会不適合者の自覚はあれども、せめて給料分はちゃんと働きたいからな。出世欲ないし、給料分以上に働くかはわからないけど。

『正式にマロックに預けることになった。早めに知らせておこうと思ったのだ』

「…ああ、ギルガゼートのこと」

『マロックの身の回りの世話をしつつ、レディアの店に働きに行く形になる。彼らは、歓迎してくれたよ』

「…珍しい空間魔法の使い手として?」

『そうだ。表沙汰にされない能力を間近で観察できるのが、彼らにとってのメリットだ』

「あの子は、それで平気そう?」

 言い方を変えればモルモットだからな。マロックとレディアが非人道的なことをするなんて思っちゃいないけどさ。

 これが一番いい方法だと、僕だって思う。それでも奴隷として売られた少年にとって、研究素材として見られるのが負担になるだろうと予測はできる。元々、僕について来たがっていたし。

『彼は現実をよく理解している』

「…そっか」

 その言い方に、僕の予測がそのまま現実なのだろうと知れた。ギルガゼートは村に戻りたくない、奴隷にもなりたくない。無条件に庇護してくれる者がいない以上、最も好条件である場所で妥協するしかない。そしてこれは間違いなく破格の待遇だ。

 捨て猫を拾ってあげられなかったような罪悪感はあれど、僕も感情のまま後先考えずギルガゼートを抱えることはできない。野生動物は自然環境で、異世界人は異世界で過ごすのが正しい。本音としては第一に同居人を養うような財力とかないし、喜々として子供の面倒を見るほど子供好きじゃない。ぶっちゃけ仕事から帰ったら寛ぎたい、家でまで気を使って疲れたくない。つまりギルガゼートが決して悪い子じゃないのは十分理解しているが、それでも同居はお断りしたい。

『お前の財布も、結局は受け取ったぞ』

「それは良かった。着替え一つないんだから、当面の生活費は必要だからね」

『それにより更にマサヒロへの好感度が上がったようだ。マジでハンパないぞ。そのうちお前を拝みだすかもしれん』

「うわ、王子が俗語を使いこなしやがった。それ、ヒューゼルトの前で使わないでね、僕が殴られるから」

『ふふふ』

「おい、返事!」

『冗談だ。しかし、マサヒロ。お前のアイデアと確保した人材で、こちらはしばらく楽しくなりそうだぞ。レディアも十分やる気だ。録音と再生という未知の魔道具といい、彼女は今後名を馳せることになるかもしれない。私としても面白いものは歓迎するからな、何か思いついたら必ず報告するのだぞ』

「あれ、CDプレーヤーの異世界版って完成したの?」

『まだだ。だが、大分いいところまで来ているらしい。そういえばお前、詩人として十分に通用するのだったな。完成の暁にはお前の歌を残すのも悪くない』

「やめてよ、そういう嫌がらせ!」

『…ふむ。楽士を用意させるぞ?』

「アカペラがじゃなくて僕の声を残すこと自体が恥ずかしいの! 大体僕はこっちの歌しか歌えないのに、そっちの楽士が弾けるわけないだろ。ディーが歌って残せばいいじゃん」

『…自分の歌など聞いて何が楽しいのだ』

 え。じゃあ、ヒューゼルトが餌食になるのだろうか…どうしよう、先手打って、止めておきなよって言っといたほうがいいのかな。もし命令で歌を録音させられたりしたら、ヒューゼルトがまた視線で僕の命を狩りに来そうな気がする。

 …でも、ちょっと聞いてみたい気もするな…命令されるかどうかわかんないし、とりあえずは黙っておくか。

『マロックも案外歌が上手いという噂があるな』

 わぁ、更に誰得なんだい、そのCD!

 僕はやっぱり、何も言わずに黙っておくことにした。


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