ギルガゼートの秘密
「別に、いいよ。帰ったら使わなくなるものだから。半分こにしようって話もしていたんだ」
僕がそう言っても、周囲の目は何だか酷く冷たい。迎賓館の使用人達に対する、僕の好感度メーターがぐんぐん下がっていく。
「しかし、この袋では、お話されていた量の硬貨は入らないでしょう」
「僕がもういいって言ってるじゃない。大体、買い物に行ってもらってる間にまた歌って増えちゃったんだから、これに入らない量になるのは不可抗力ってものだよ」
怯えたように身を小さくしているギルガゼート。
まるで断罪するかのように使用人は片眉を上げた。
「入らなかった分がどこへ行ったかというのが問題なのです。この建物の中で問題が起きたとなれば、我々の信用にも関わります」
というかね。ディー達とならまだしも貴方になんて話してないよ、そんな話。通りすがりか接待中かは知らないけれど、小耳に挟んだ情報で客に苦言を申し立てるなんて、このホテルの従業員教育は一体どうなっているのかね。常識的に接客業としてやっちゃいけないこと…あれ、異世界だからいいの? いやいや、やっぱりそんなことないよな。王様と王子様がお茶しながら話してる内容について、ポット片手の侍女が直訴に来たりするわけないもんね。よし、やはりコイツはダメな子だ。ならば、僕はこの理不尽には屈さぬ。
「…わからない人だな。問題が起きたか起きてないかは、事情も知らない貴方が決めることじゃないと言ってるんだよ」
なんて険悪な雰囲気。相手は、ギルガゼートがお金を盗んだと僕に認めさせようとする。僕は真っ向から否定する。盗まれていたとしたって正直構わないが、ギルガゼートはそんなことはしないだろう。山分けは諦めたけれど、報酬については何度か打診しているんだ。盗むくらいなら素直に報酬の話を受けてると思う。もらえる物を盗むとか…無意味に犯罪者になる理由がない。
言葉が通じず代わりに買い物をしてもらうためにお財布を預けていたのだし、ディーと合流した今となっては旅費の心配もない。給料も受け取ってくれなかった彼が、それを自分が帰るための旅費に転用してくれるというのなら、願ったり叶ったりなんだ。
今、話題となっているのは一枚の布袋。
ストリートパフォーマンスにて稼いだ、空き缶二つ分の硬貨…それは確かに、この小さな布袋に入りきる量ではない。それどころか布袋はパンパンにもなってはおらず、余裕のある姿を見せている。大量にあるはずの硬貨がいつからか見当たらないことを、ギルガゼートは僕に報告していない。
それを知った途端に鬼の首でも取ったみたいにギルガゼートを責め立てようとする見も知らぬ使用人と。短いながら、通じない言葉に四苦八苦しながらも共に過ごしたギルガゼートと。
どちらを選ぶかなんてのは、わかりきってる。
「彼が受け取ってくれたんなら、むしろ僕にとっては喜ばしいけど…」
「ぬ、ぬすんだりしてません!」
「ほらね。こう言うんなら、そうなんだろ。その袋じゃなくたって、どっかにあるんだから気にすることじゃないんだよ。それに、足りなくなったらまた歌えばいいじゃないか。貴方に払わせようとしてるわけでも何でもないのに、首を突っ込むなんて出しゃばりすぎだよ」
第一、この人は最初っからギルガゼートに対する態度が酷いんだ。奴隷商人に捕まりはしたけど、別にまだ奴隷じゃないし。小汚れてたのだって被害者だからだし。別に僕は子供好きじゃない(むしろ不得意だ)けど、目に余ること甚だしい。
気分を害したような態度を隠しもしない相手に、僕はきっぱりと言った。
「ディーエシルトーラ殿下の客である僕の行動に文句を言うなんて、使用人である貴方は一体、何様なの?」
ごめんね、ディー。虎の衣を借りたよ!
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苦笑するディーに、僕は肩を竦めて見せる。
使用人一人の暴走は、迎賓館の責任者の土下座にまで発展した。周囲で見ていた他の使用人が、僕の言葉を聞くなり、大事になったと判断して責任者の元へと走ったようだ。
「なんで知らない人に、僕が何を信じるかまで指示されなきゃいけないのさ。僕を心配して言ってくれてるならもう少しまともに相手をしてもいいけど、ただギルガゼートを貶めたいだけだろ?」
「誠に、誠に申し訳ございません。どうかご容赦を…!」
「…ふむ。所持金の件は私が預かるとしよう。客であるマサヒロに対し使用人が気安く世間話を持ちかけるなど…どうやら教育を終えていないものが館内に紛れ込んでいたようだな? 忙しいのはわかるが、少し目を配ると良いだろう。話は終わりだ。もう、下がっていい」
まだ謝り足りない様子の責任者には、しかし王子の言葉に逆らうことなどできない。肩を落としながらもきちりと礼をして部屋を出て行った。
ぐでっと椅子の肘掛に伸びた僕を、ディーは笑いながら見ている。
「ごめんなさい。ぼくのせいで。ほんとうに、申し訳ありません」
半分泣いているようなギルガゼート。「まだ不運続きなんだねぇ」と僕が呟くと、ディーは小首を傾げて問う。
「それで? 実際、残りの所持金はどこへやったのだ。それを出してくればすぐに解決したのではないか?」
「ギルガゼートに預けっぱなしだから知らなーい」
「…その…、袋の中にあるんです! 全部、入ってるんですっ…」
ディーはテーブルに置かれていた財布(仮)を手に取った。せいぜい入って一握りだろう。けれど彼は頭ごなしに否定せず、袋の口を覗く。
「…マサヒロ」
「なぁに」
「お前、本当に面白いな」
突然面白い人認定されて、僕は胡乱げな目をした。ディーはにやりと笑って、袋の口を僕に向ける。
袋の中は、真っ黒だ。
コイン一枚見えない。
「…黒いね」
「空間魔法だ。おい、これはお前が術をかけたのか?」
「…はい」
「なかなか口を割らないのも理解できる。空間魔法が使えると知られることは、身を危うくするからな。今後も秘匿しておいたほうがいいだろう」
ギルガゼートは、少し肩の力を抜いたようだ。
全く話が見えない僕に、ディーは空間魔法について教えてくれる。
「空間魔法は特殊だ。北にルドルフェリアという高い山があって、そこに隠れ住む一族しか使えないといわれている。血統魔法の一種で、このように小さな袋に大量のものを入れたり、空間を捻じ曲げて移動する距離をなくしたり、そんなことができるという話だ。便利さに目をつけられて人買いが横行したゆえに今では集落から出て来ず、そこへ至る道も空間が捻じ曲げられていて許可なきものは辿りつけない。信頼できる一部の者とだけ取引していると聞くが…お前は奴隷商人に捕らえられていたのだったな。ルドルフェリア出身なのか?」
「…いえ…ぼくは、トロンの村で。両親は…普通でした」
「トロン。小さな農村だな…先祖返りか…。ごく稀にそういう子供が生まれ、陰で売買されるとは聞いたことがある。生まれること自体が稀なうえに闇取引だ、本来であれば見つけることは難しい」
教えてくれていたはずなのに、また取り残されている。これが、異世界を知ろうとして来なかった代償か。ちょっと遠い目になった僕に、ギルガゼートは一生懸命といわんばかりの表情で話し出した。
「村へ帰ってもまた売られるだけだ。ぼくの魔法は珍しいから、いくらでも買い手はいるって言ってた。マサヒロはぼくを助けてくれたし、さっきだって何も聞かずに信じてくれた。ぼくはマサヒロといたい。料理でも洗濯でも薪割りでも水汲みでも、何でもやるから…マサヒロの家に置いてくださいっ」
「…んー…。…いや、無理なんだよねぇ…」
ショックを受けた顔で泣き始めたギルガゼートに、僕は慌てた。
「ギルガゼートが、秘密を話してくれたってことはわかるんで、僕も言うけど。僕は異世界人なんだよね。だから、さすがに世界を跨いで子供を連れていったりできないっていうか…むしろ戸籍もない外国人を向こうでどう扱えばいいのかわかんないっていうか。ここまで懐かれるのも意外だったしさ」
意味がわからないという顔から、信じられない話を聞いた顔になるまでそれほど時間はかからなかった。ファンタジーな異世界なのに空間魔法が異端だなんて、僕のほうがびっくりだよ。アイテムボックスはどうした。亜空間収納にはご飯を入れてもいつまでもホカホカなんじゃないのか。
「ねぇ、空間魔法ってこんな小さい入り口でも物入れたりできる?」
「出し入れするときだけ空間の入り口を広げることはできるよ。だから例えばこの袋に、袋の口以上大きな盾を入れることもできる」
「いいねぇ。それなら、ディーの側に置いてもらうのも現実的じゃないから、レディアの弟子ってのはどうかなぁ? 魔道具に空間魔法が付与されていたら、夢広がりんぐじゃない?」
「付与した者が知られればその身を狙われることになろう。空間魔法を欲しがる者が後を絶たないから、あの一族は外に出るのをやめたんだ」
「こっそり付与すればいいじゃない。見てもよくわかんないような使い方すればいいんでしょ?」
「…例えば?」
「すっげぇ小さい剣の鞘とか。指輪に小さなスリット入れてさ、そこに空間魔法を付与するの。指輪から剣が出てくるとかカッコ良くない? 武器持ち込み不可の場所で罠にかけられたときなんか、重宝するよ。初めから魔道具って言ってるんだから、そういうものかなって思わない?」
本当は手のひらからしゃらっと出てくる剣がロマンだと思う。だけどそんな装身具をつけて過ごすのは現実的ではないからな。
「あとね、空間繋いで、人が通るんじゃなくて音だけ遣り取りできたら…相手は限定されるとしても純こっち産の携帯電話ができる気がする。不思議な道具ではあっても空間魔法だとは思わないんじゃないかな」
相手が一箇所固定ならトランシーバーだけど、そこはレディアの職人ぶりに期待して。一携帯で三箇所くらいと繋げるようにできたら、お年寄り携帯まではレベルアップできるよなぁ。
ギルガゼートは何を言われているのかよくわからないようだ。携帯電話、知らないもんね。だけどディーの青い目がキラッキラしている。
「問題はレディアが女の子だから、ギルガゼートを家においてくれるかどうかってこと。さすがにこんな子供じゃあ、保護者もなく家を借りたりできないもんね?」
「レディアだけでは万一事情が漏れた場合にギルガゼートを守れるか不安があるな。この件はマロックを同席させた上でレディアと話してみよう。マロックの弟子としておいたほうが対外的な守りとなるかも知れん。魔導師の弟子に手を出すなど、師の報復を考えれば正気の沙汰ではないからな」
ギルガゼートは急転直下の展開にわたわたしている。僕とディーの会話がヒートアップしていく傍らで、無言のヒューゼルトはひたすらにドアを守り続けていた。